2018年9月12日 (水)

人と人との付き合い

Coffee_cap 先日、あまり嬉しくない話を聞いた。自分が所属している医師会事務所の方が、医院に立ち寄って、話してくれたのである。

『先生、最近患者さんと、何かトラブルあった?』と尋ねられて、全く思い当たる節のない自分は、「いや、特に何も・・・」と答えると、医院を受診した人から、診療拒否されたと電話が入ったというのである。ご存じのように、患者様は医師を選べるが、医師は患者様を選べない。受診すればどんな方でも親身に対応して診察する。診療拒否などあり得ないのであるが、それだけに思い当たる人が数日前に受診されたことを思い出した。
数日前に、初診でみえたその方は、これまでの経過と言っても、医学的ではなく単に自分がどうしていたかを語っただけで、以前からもらっている処方をしてほしいと訴えた。これまでかかっていた総合病院での別の科の診療が終了したのに伴い、他の医院で診てもらうように言われたとのことで(それ自体変な話で、普通は他科が終わっても、継続して診てくれるはずである)、既に別の医院受診したが、そこの医師の反応が気に入らなかったようで結局通院せず、新たに当院へ来たのである。
私は、いきさつはどうであれ、当方でこれから処方しましょう、という気持ちで診察を始めようと、問診(医学的な)を始めたのである。ところが、すぐに『ごちゃごちゃいらないから、薬出してほしいんだけど』と話され、こう続けた。『俺は、シンプルに薬だけほしいだけだから、ごちゃごちゃ細かいこという医師は合わんのや』Favorite_phote347
その言葉を聞いても、まだ素直に、私がこれから処方していくつもりでいた。ただどうしても、自分の考えは知っておいてほしいために説明を話し始めた。
「じゃあ、基本的には、私とは相性は良くないかもしれないね、私は十分な説明して納得してもらってから医療行うから・・・」その後、だから少なくとも説明は聞いてから処方させて、と言う内容を伝えるつもりだったが、その言葉を発する前に、突然『わかったわ!じゃあもうえーわ、そんな医者には診てもらわんでも』そう言って、さっと診察室を出て行った。
あまりに素早い行動に、『薬、無いんでしょ・・・』だけ背中に向かって伝えたが、戻ってくることはなかった。
確かに、私とは相性が良くないかも?は、他の説明をした後で言うべき言葉だったと反省しているが、少なくとも診療拒否ととられるような態度や口調ではなかったはずであり、むしろ突然出て行かれた行動に、その時は理由がわからなかったくらいである。
とは言え、診療拒否されたと医師会に電話するくらいであり、相当ご立腹だったのかもしれない。改めて、人と人との対応で成り立つ医療・診療。どれだけ親身に、素直に相手を考えて診療しても、意思疎通の手段が会話しかない以上、言葉一つ一つ注意しなければいけないと、改めて思った。

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2018年8月 9日 (木)

伝えたいこと

Coffee_cap  また、少し間隔が空いてしまった。いつのまにか猛暑を通り越した酷暑の日々が続く真夏となっている。暑さだけじゃなく、その直前には西日本豪雨など、被災者の方にはお見舞いを申し上げたい。その一方で、この地球をわがもの顔で好きかってして、温暖化をはじめ地球を汚してきた人間の反省と早急な対策を考えずにはいられない。

さて話は、全く変わるが、看護学校の医学概論の試験問題に、昨年同様の『最近気になったニュースや報道をまとめなさい』と言う点数をあげるための問題を出した。昨年は8割以上の子が真央さんの死について書いたことをこのブログでも紹介したが、今年はいくつかの話題に分散した。

そんな中、私の目を惹いた内容を書いてくれた学生がいた。沖縄出身のその子は、こちらに来て、『慰霊の日』をほとんどの人が認識していないことに驚き、沖縄県民として、いや日本人として、すべての人に終戦日・広島、長崎の原爆投下日と共に知っていてもらうべきだと感じたと言った内容をまとめてあった。私も詳しくは知らなかった。日本人として、すごく恥ずかしく感じ、同時にそのことをまとめた学生が誇らしくも思えた。そこで、後日その子を呼び出し、5-10分で良いので教室で全生徒の前でプレゼンテーションしないか?と持ちかけると、同じ沖縄出身の三人でやると即答だった。Okinawa_irei

たまたま、今年は7月の私の授業が学校の行事で中止となり、その一枠が8月の初旬に振り替えられた。私だって8月の夏休み期間に講義したくないが、学生はそれ以上であろう。そこで、この日講義を短時間で終えると、男子生徒に買いに行かせた数個入りのアイスキャンディーを全員で食べながら、私が準備したスライドを見せたり、どんな内容でも良いからと集めた質問に答えたりして残り時間を過ごした。そして、その途中に沖縄出身の3人に慰霊の日のプレゼンテーションを行ってもらった。

慰霊の日とは?、関連する種々の写真の説明、沖縄では、この日をどのように迎えているか、などをまとめてスライドにして発表してくれた。他の学生たちも真剣に聴き入り、大きな拍手で終了した。Okinawa_irei2

中心となった沖縄出身の子が、iPADでスライドをつなぐと、インスタグラム向けに作ったと言う友人との写真などが一瞬映った。教室内で笑いが生じたが、私はSNSを日常で使いこなす若者が、こうして伝えたいことを、調べた上で、正しく伝えてくれたことがとても嬉しかった。

2500円かかったアイスキャンディー代ではあるが、私は十分支払う価値のある講義を行えたし、聴かせてもらったと感じている。

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2018年5月21日 (月)

リーダー

Coffee_cap 今年も新年度が始まり、看護学校の講義が始まった。もう、ずいぶん長く引き受けているが、やはり毎回新鮮である。こっちは変わらなくても、生徒さんはずっと18歳が中心。毎年、どんな子たちがいるのか、どんな反応が返ってくるのか楽しみである。

と、考えてみると毎年その学年で明らかに個性が異なる。ぺちゃくちゃ話す学年、とにかくよく寝る学年、眠いだろうに一生懸命目を開けて聴こうとする学年など。だが、そうやって学年の個性が定着してくるのは、夏前である。当初はみんなまだ仮面を取っていないからだと思っていたが、どうも、そのキャラは、ほぼ卒業まで続く。
教務や担任先生などと話していて、いわゆるリーダーの存在に気づいた。
18歳と書いたが、中には少し、だいぶ年配の人もいる。違う学校から来た子、一度社会に出てから来た子、中にはバツイチとなってこれからのために頑張る子もいる。何もそんな子たちだけでなく、現役の子でもなり得るが、やはり大きなグループに分かれて行き、その中でリーダーが誕生してくる。そしてその子たちがグループを、そしてクラス全体を牽引する構図ができあがってくる。と言っても、本人たちは、そんな気は全くないのであろうが、少なくとも、看護専門学校である。これまでの一般的な教育とは大きく異なり、どの子も経験していないし、またこれからどうやって行けば良いのか自信もないわけであり、誰かの勉強の姿勢や受講などを模倣しようとする。となると、リーダー的な子の影響を受けやすい。Photo
恥ずかしい話であるが、だいたい同じ内容の講義をするわけであり、時に数年前に使ったネタの笑い話や雑談を用いてしまう。しかし、その反応こそがその年の個性を物語ってくれる。単純に受け入れる学年、無反応な学年、過剰に反応する学年、遠慮気味にうなずいてくれる学年・・・
さて今年も、そろそろ学年の個性が決まって来る頃。どんな反応をするのか楽しみでもある。

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2018年1月27日 (土)

毎年の光景

Anichosinki  毎年この時期になると、この話題が上がる(ほぼ半年更新していなかったことは、棚に上げて・・・)。その名はインフルエンザ。

我々の年代の医師はインフルエンザに関して多くの変遷を経ている。①抗インフルエンザ薬が登場する前の医療 ②抗インフルエンザ薬が登場してからの医療 ③インフルエンザ迅速検査が登場してからの医療 ④タミフルが行動異常を引き起こすと報じられてからの医療 ⑤新型インフルエンザの登場などやたらインフルエンザ報道が多くなってからの医療
人間様の方で、インフルエンザに対していろいろ対応するが、インフルエンザは素直にこの地球上で存在し続け、繁殖していくことだけが使命である。少し難しい話となるが、インフルエンザはウイルスである。ウイルスはそれ自体は遺伝子情報のみを持った生命体で、繁殖するためには多種動物などの細胞を利用しないと繁殖できない。細菌のように、栄養さえあれば繁殖すると言ったものではない。つまり鳥や人に感染して初めて細胞を利用して増殖するのである。
さて前置きは別にして、インフルエンザに感染すれば、細胞を利用されてウイルスが増殖して更なる細胞に感染し細胞障害を生じるから、喉の痛みや鼻水、全身の疼痛など諸症状が出現する。しかし、人は通常ならウイルスを自由にはさせておかない。体内で抗体を作り、インフルエンザウイルスを閉め出そうとする免疫が働く。だから予防接種を打つし、医師は繰り返すインフルエンザウイルスの侵入で抗体をしっかり持っているからかかりにくいわけである。
つまり、ウイルスが侵入したから全員発症するわけではない。ウイルスが体内の免疫力に打ち勝って増殖繁殖を始めることが問題なのである。これによってウイルスは体内から容易に検出されるようになる。つまりウイルスが人の細胞を利用して増えてきた状態が感染で有り、ウイルスが相当数存在しているから簡易検査で見つけることが可能なのだ。

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インフルエンザが大流行中の先日、立て続けに4名同じ訴えで受診された。『家族がインフルエンザなので、心配で調べて欲しくて』と話されるが、咳も鼻水も喉痛も発熱もなにも自覚症状がない。つまり発症していないのである。心配だからと言う気持ちはわかる。だから『何も症状がない、つまり発症していない状況で検査してもウイルスは検出されませんから、陰性だから大丈夫とは言えないのです。検査は必要ないとお思いますよ』と丁寧に説明。しかしこの日は、4名とも、それでも良いから調べて欲しいとのこと。もう一度言葉を変えて説明したがやはり検査希望。で、実施して当然4名とも陰性だった。
ところが、4名とも結果を聞くと同じように『あー良かった~』
だから、検査で陰性だから大丈夫とは言えない!とぼやきたかったが、丁寧に、感染していないとは言えませんから、必ず経過見て、症状が出てきたら再検査して下さいね、と説明した。毎年繰り返す光景のような気がする。

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2017年7月 1日 (土)

求められるからこそ

Anichosinki 昨日看護学校で講義した『医学概論』の試験の答案を渡された。まだ全て目を通していないが、半分程度目を通して驚いたことがあった。問題の【3】では、生徒に点数をあげるためにこんな問題を出したのである。『最近、マスコミで報道されたニュースや記事で、あなたが一番気になった事についてまとめなさい』 で、ほとんどの生徒が小林麻央さんの死について書いていたのである。その関心度の高さは驚くことでは無いが、生徒のまとめた内容が、あまりにも似かよっていたことに驚いたのである。

ブログを綴り続けた行為についての賞賛や感想、ご主人の海老蔵さんの言葉や行動に対する感銘や同情など。みなさんマスコミの報道から得た情報で、それぞれの感想をまとめてくれていました。
私は、医学概論の講義で、死への対応や看護、尊厳死や安楽死と言った内容などを話していますが、いつも『答えなど無いとも言えます。けっしてひとつの事実や事象でのみ判断するのでは無く、多面的に捉えて、それぞれの立場や状況からいつでも問題意識を持って取り組み考え続けて下さい』と話している。私自身まだまだ未熟な医師。これまでに何百人と看取ってきたとは言っても、哲学者でも無ければ、宗教学者でも無い。医師として良識を踏まえて死に向き合うこと以外は、何も語れない。
驚いたことと言うのは、マスコミに対しての感想も書かれていたが、そのほとんどが悲しみに包まれている海老蔵を報道するマスコミに対して批判的であったことだ。確かに、今回のケースに限らず、マスコミの報道に関しては、誰でもがいろいろ思うところである。
しかし芸能界という特殊な社会。周知されることによる社会的責任、周知による共感や反感があり、それらを意識しつつ背負って生きていかなければならない。華やかな世界である反面、そう言った責務と義務が暗黙の上に課せられている社会でもある。
そして、大衆という意思や意見を発する存在。何かについて語り合うことが人としての使命ともなっている現代。意見や主張をすることに飢えていたかのように広がったSNSの自己主張は、必然的な状況としか思えない。
さらに、その大衆のために情報を提供する立場のマスコミ。モラルが存在はするが、それ以上に大衆が求める力は大きい。また隠された情報をマスコミが明かしたことで、社会が一変することもある。201771
全てが互いに求められるからこそ存在する立場である。報道を批判した生徒たちの多くは、少なくとも興味を持ってその報道を見て、何かを感じていたのであるから、報道に影響されていた大衆の1人であると言える。
マスコミに規制をかけるなら、大衆も最低限度を知り、その上で個人が想いの中で展開するだけで良いはずだ。つまり、亡くなったという報道のみを知り、心の中で哀悼の意を抱けば、それで良いではないか、と言う事になる。しかし残念ながらそれでは、互いに求め満たされていくそれぞれの立場が許さないであろうし、大局的に見れば、なんとつまらない世界かもしれない。
何かをまとめる立場では無いが、結局、互いにいつも思いやりの心で行動することが大切で有り、それこそが求め求められていることの最重要点であるのかもしれない。

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2017年6月18日 (日)

水面に映る

Coffee_cap 今回は、医療とはまったく関係のない話になるかもしれない。と思いつつ書き始めた今回のブログ。

実は、これまでも紹介してきたが、ここ数年、在宅医療と認知症に力を入れている。必然的とも言える状況から、自分も中心となって動かなければ我が町の高齢医療が崩壊すると言った危機感も有り、医師会の理事に選出されたこともあって、この仕事に力を注いで、行政とタッグを組んで多くの施策にも力を入れている。
実際、認知症も在宅医療もアカデミックでスマート(表現が間違っているかもしれないが)な医療ではなく、多職種との連携や家人との関係構築も重要となり、手間暇ばかりが増える。医術を施し、医学知識に沿って加療すると言った医療では、いわゆる雑用は思いの外少ない。それだけに、多くの開業医が、認知症や在宅医療に一歩踏み出せない理由ともなっている。実際、認知症や在宅を親身になって行っていることが、多職種の間で知れ渡ると、前向きのケアマネさんなどは、私への受診を勧めるためなのか、認知症の患者様がこの数年で激増した。しかし、認知症の患者様が増えて喜ばしいことは何も無い。ただ時間と手間がかかる。別の言い方をすれば、その間一般の患者様の診療が中断してしまう。そのため土曜日の午前11時から13時半までの間を認知症優先外来として、予約診療を行うようにして一年近く経つ。
昨日の土曜日も予約の認知症の方が4名受診されたのだが、最後の方が一番進行していて、問題行動も多い。鏡に向かって自分に挨拶をしたり喜んだりけんか腰になり、鏡に手をあげることもある。そんな方を診終えて、診察を終了した。20176182
次の日の日曜日が午後から日直当番であったため、急に美しい光景の中安らぎたい気分になり、車を跳ばして京都に向かった。新名神が直結する我が亀山市から京都は1時間である。京都東インターを降りると、大原三千院に向かった。着いたのは16時。閉門の17時半まで、のんびりと庭園やあじさいを楽しんだのだが、水面に映る木々を眺めていて、そこに自分の姿、と言うより人の姿は映って欲しくないと思った。
京都の山奥の三千院。静寂の緑に包まれていると、ただその中に溶け込んだ存在になりたくなる。人の存在を感じたくない。水面に映る緑を見ていて、鏡に映る自分と対応する患者様のことを思い出していた。20176181
自分は、人の香りがするから、自然の中に立つ灯台の姿が好きなはずである。しかし人の中にいて、人の悲しさを感じる日には、自然に溶け込んでいたいと感じた。やはり少し疲れていたのかもしれない。

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2017年6月 7日 (水)

健康の定義

Coffee_cap  昨年末に声帯ポリープにて全身麻酔で手術を受けたことを、ブログでもまとめたが、先月から頸椎ヘルニアで、再びアクティビティーが下がっている。4月の末頃から、左の後頸部から左肩全体に、凝りのような痛みがあり、そのうちに・・・などと思っている間に、左手母指にしびれ感を感じたため整形外科の友人に診てもらい判明した。自分で作った牽引装置で頭部を日に何回か牽引して、消炎鎮痛剤など服用して改善傾向ではあるが、器質的な変化によるものであることはわかっている。症状は消えたとしても根治とはならない。

我々開業医が外来診療を行っている中で、年齢による変化での訴えは数知れない。腰痛、膝痛、肩が上がらない、食べ物が飲み込みにくい、皮膚が痒い、元気が出ないなど多彩だ。とりあえず、何らかの症状の改善が期待できるため、『病気』として診断名を付けたとしても、その原因が加齢であれば、根本的な治療は不可能である。例えば、老人性皮膚そう痒症は加齢による皮膚乾燥が原因の掻痒である。痒みはある程度抑えられるが、若いときの潤いあるお肌には戻れない。
グルコサミンやコンドロイチンなどよく聞く名前のサプリメント。不思議なもので、ある程度値段が高い方が売れるそうである。薬として効果があると考える気持ちは理解できる。しかし、若い時からそうならないように予防は可能であるが、加齢に伴って生じる器質的変
化を、逆行性に若返らせる手だては無い。
話は変わるが、皆さんは健康をどのように定義されているだろうか?

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大昔中学生の頃に、あるコメンテーターがラジオでこう言っていた。『自分の体を意識しないときが健康では無いだろうか?』確かに、昨年声帯ポリープが出来て発声がつらい時に、喉頭、声帯という部位を認識しつつづけた。そして今回頸椎ヘルニアで、頚部の脊椎の形状や変化(医師であるが故に、その形状や発症機序が理解できる)で頸椎を意識した。私自身、この言葉が脳裏に有り、更に医療経験が増すと共に、この言葉を健康の定義のひとつとして利用している。
年齢に伴う変化を完全に消し去ることは出来ない。しかし健康と感じる程度までに症状を抑えることは、医療に於いては重要である。対症療法と原因療法。症状だけをとる治療は、医学では、概して良しとはしないのであるが、少しでも症状を軽減させて、もう一度健康を意識できるのであれば、対症療法も重要だと感じずにはいられない。

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2016年12月17日 (土)

主治医の前では患者になる医師

Coffee_cap 前回の記事で書いたように、声帯ポリープの手術を全身麻酔で受けた。患者として手術を受けたり、入院する経験は、患者を診る医師としてはとても大切だと思っている。その大切さは後述するとして、まずは、自分の事を書きたい。

『まな板の上の鯉』ではないが、私は整形的な3回の手術時も、痔瘻の手術時も、そして今回の手術時も、主治医に質問したことは一度もない。つまり医師である自分は、どうするのか?どんなリスクがあるのか?鑑別疾患として何があるのか?手術のさまざまな合併症になにがあるのか?などを知っているわけであり、心配すれば事細かく尋ねる知識を持っている。しかしそれを質問したら、主治医はより責任を感じ、萎縮するかもしれない。こんな時、私は絶対に『まな板の上の鯉』になるようにしている。全面的に先生を信用しているから、後は好きにして!!そう言った感じである。
私は外科医ではないが、それでも心臓カテーテル検査やペースメーカーの植え込み術など外科的な処置も多く行ってきた。そんなときに、一番気持ち良く手技や検査・処置が行えた患者様は、全面的に私を信じてくれた方である。『先生にお任せしますから、よろしく!』と言われると一番自分の技量が発揮できていた気がする。逆に事前に、あれやこれやと疑問や質問を投げかけ、更には不信感がにじんでいる人ほど緊張してしまい、自分の持てる力が十分に発揮しにくかった記憶がある。とは言ってもだから手を抜くとか、だから一所懸命にやると言う意味では無い。
不思議なもので、そうして全面的に信用してくれた人ほど順調で、心配された人ほど予期せぬことが起こりやすい様な気がしている。
つまり、医師である私ではあるが、医療を受けるときは、完全に患者になって主治医に任せている。それは医師である私が、患者様にそうして欲しいからそうするのだとも思う。201612191
で、あれば、絶対に医師は患者の立場を数多く経験すべきである。今回も入院中、何度もそう感じた。特に今回印象に残ったのは、手術の前日に手術室の看護師と麻酔科医がそれぞれ訪問してくれたことだ。向こうも私が医師であることは知っているので、話しにくかったかもしれないが、きちんと全身麻酔の説明やリスク、注意点など話してくれた。知ると逆に不安を抱く人もいるかもしれないが、最後に『十分な対応で最善を尽くしますので、当日は何も心配しないで手術を受けて下さい』と笑顔で言ってくれた。医師としてでは無く、1人の患者として凄く嬉しい一言であり、励まされる一言でもあった。
単に疾患や治療方針、想定されるリスクなどを説明するだけでなく、自分がそのことに精一杯取り組んで治療にあたっている言う、ある意味言い訳がましいと感じていた一言は、治療を受ける側としては言って欲しい一言であったのだと、痛感した今回の入院であった。
(写真は、術後帰室してから下肢静脈血栓症の予防がされていることに気づき、思わず臥位のまま両足を挙上して撮った写真)

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2016年12月13日 (火)

初めての全身麻酔と麻酔の思い出

Coffee_cap 先日、初めて全身麻酔で手術を受けた。と言っても手術時間は15分ほどで、手術室への移動、準備して麻酔の導入、終了後の覚醒までの時間と抜管や帰室の準備で45分。全部で1時間程度である。病名は声帯ポリープ。声帯に小さなできものができて、声が出しにくかったり、声がかすれたりする。

私も医師であるから、耳鼻科の知識も勿論あるが、昔は全身麻酔などせず取り除いていた事もあったようである。とは言え総合的に考えれば全身麻酔で行う方が安心と言えるかもしれない。しかし本人にしてみると、全身麻酔である。完全にその間の記憶もなく、呼吸も止まるのである。不安?と言われれば不安だったかもしれない。
私は手術を4回受けている。右大腿筋断裂手術を23歳脊椎麻酔で、痔瘻の手術を27歳静脈麻酔で、41歳に右脛骨骨折の固定と抜去で二回脊椎麻酔。こう考えると手術の経験は多い方かもしれない。しかし全身麻酔は初めてである。
麻酔には大きな思い出が二つある。一つは痔瘻での静脈麻酔である。『じゃー今から麻酔薬入れていくから、1から順に数えてて!』と言われ『イチ』と声を出すと同時に注入されてきた薬物で全身が虚脱状態になり、『ニイ』と言おうとする自分を意識しつつも声が出せなかった。その時耳は聞こえていたのだが、先生が『早!』って言ったことは忘れ得ない。
41歳での脛骨骨折は、夜に外傷が原因で生じた。当時勤務していた病院の友人である整形外科医が今から手術しましょうと、深夜に行ってくれたのである。腰椎から注入された麻酔薬の影響で徐々に身体の上方まで感覚が無くなり動かせなくなってくる。気づくと胸の辺りまで効いているようだった。思わず友人医師だから『おいおい!効き過ぎてないか!』と言うと、友人医師に『先生・・・やかましい』と諭されてしまった。順調に手術が進むなか、突然友人の整形外科医師が『先生、手術台で、大はしないでよ!』と言ったのだ。下半身どころか胸から下の感覚の無い私は、てっきり大便をしてしまったのだと思い、平謝り。手術室の看護師も全員知り合いだから、『ごめんね・ごめんね』とひたすら謝った。程なく手術が終わり、覆われていた自分の下半身が見える状態に。大便などした雰囲気は無い。と、ニコニコ顔の友人医師が『嘘だよ~』の一言。完全にだまされたのである。20161213zensinmasui
さて、今回の全身麻酔。手術室まで歩いて手術台に乗った自分。準備が済むとマスクで覆われ、『それでは始めますね。ゆっくり呼吸していて下さい。少しお薬入れますので、静脈がしみるかも・・・』と麻酔科医の声。 そして、次に聞こえたのは、同じ麻酔科医の声で、『は-い、お疲れ様でした~無事終わりましたよ』だった。
完全に約半時間俺の記憶は消えている。呼吸が止まっていたことも、人工呼吸器に繫がれていたことも、ましてや、挿管チューブが気管に入っていたこともわからなかった。
医師としてわかっていたことばかりだが、経験すると全く異なっていた気がした。ある意味貴重な体験だった。

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2016年11月17日 (木)

見た目以上に

Anichosinki 先週と今週連続して、ある企業の方々にインフルエンザの予防接種を一斉に行った。80名と55名。診察するのに比べたら、氏名・健康状態・アレルギーなどを確認し、接種部位を説明し、同意を得たらポジションを決めて、消毒、準備された注射器をセットして接種。絆創膏を貼り、接種後の注意を指導して終了。 と一連の流れが有り、同じ事の繰り返し。

診察に比べて様々なケースがあるわけではなく、それほど労力は要らないはずであるが、なぜか凄く疲れる。

考えてみれば、人の体内に何らかの異物を注入するのであるから、それが安全な物とわかっていても、万が一のアナフィラキシーショックなどが常に念頭にある。更に自分もそうであるが、接種後2日ほど微熱が出たり、接種部位が発赤、腫脹したりもする。そう言った接種に対する副反応については、事前に同意を得るための用紙にも詳しく書かれているが、まずそれを熟読される方は少ない。そしてちゃんと読まない人に限ってそう言った反応が現れやすく、そう言った人ほど、怒りにも似た問い合わせをしてくる。20161115

インフルエンザの予防接種。接種したほうがあらゆる面で良いという医学的根拠はそろっているが、私が誰にでも積極的には勧めていない理由がここにあるような気がする。もちろん高齢者や基礎疾患をお持ちの方には時間をかけても有効性を説いて勧めてはいるが・・・。

予防接種、受ける側の人は痛みや緊張があるだろうが、接種する側も、見た目以上に大変な作業だと、少しでもわかって欲しくてまとめてしまいました。(写真は55人接種後の廃棄箱。見た目以上に少なく感じる)

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