2024年2月17日 (土)

身内にはどうしても・・・

Anichosinki

 

 私が住む、三重県亀山市は、人口5万程度の小さな街である。鈴鹿山脈をはさんで滋賀県と、そして県内の鈴鹿市と津市と接している。行政の施策はほぼ独立していて、医療関係でも独自の施策を展開している。在宅ケアシステムも、『かめやまホームケアネット』と言うシステムを構築し、近隣の自治体よりも早く始め、特色は行政が中心となり医師会はじめ多職種が連携参加するという形で作り上げた。作り上げたと書いたのは、自分が構想・構築の段階から医師会代表として自治体と協力して作ったという想いがあるからである。

とそんな自慢話めいたことを書きたいのでは無く、同じように認知症専門医がいない我が町では、認知症サポート医である自分に求められる診療以外のニーズも多い。認知症初期支援チームで、認知症と診断される以前のケースから関わることも多い。

以前このブログでも少し書いたが、アルツハイマー型の認知症で短期記憶が弱ってきた方でも感情は残るので、強い口調で何かを言えば、その内容は忘れても、強い口調で言われた(怒られた)は記憶に残る。だが、だからといっていつも笑顔でそれが出来ないのが身内である。我々のように外部から認知症に関わるものは、いつも優しい口調で認知症患者さんと接せられる。しかし身内となると難しい。わかっていても身内には強く対応してしまう。B0078675_2113145

在宅医療でも、時にネグレクトに近い対応をされるご家族もいる。自分で食べることが出来ないとわかっていても、それまでの家族間の関係から、どうしても介助や優しい見守りと言った対応が難しい事がある。逆にご自身で出来ることをご家族が過剰に介助してしまい、機能低下を更に悪化させてしまうこともある。

おそらくは、どのような関係で家族が生活されてきたか、が要因となるのであろうが、身内だからこその問題が認知症や在宅医療では更に目立つのは否めないところである。

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2024年2月 9日 (金)

昨今の薬不足など思うところ・・・

Anichosinki_20240205175201 今回は、私自身の個人的な考え方(まあ、普通ブログはそう言うものだが・・・)を、吐露させてもらう。

まず、ご存じだろうか!? 現在医療界では、薬剤メーカーなどからの名前入りのボールペンや名前入りのクリアファイルなどの提供は禁止されている。年末によく配られる広告入りのカレンダーも禁止されている。そんなの当たり前じゃないか!と言われそうだが、他の業界はそうだろうか?お得意様相手に(勿論、公的機関は除き)、企業イメージを兼ねたカレンダーを届けたり、広告を兼ねた名前入りのメモ帳や筆記具を配布したりはよく目にする。

確かに、どの薬剤を使用するかは、製薬メーカーとしては大きな問題であった時代がある。同じ成分や同じ薬効の薬剤を販売した場合などではなおさらだった。だから各メーカー競って、医師のご機嫌をとり、製薬メーカーや薬剤名の入ったボールペン、クリアファイル、眼鏡拭き、手提げ鞄、マグカップ・・・など配っていた。それでも成績を上げたいため、食事会や接待などまでエスカレートした時代がある。だが、似たような話は、未だにゼネコン関係や政治の世界では続いている。

今の医療界を考えると、製薬メーカーが苦労して稼いだお金で、新たな健康に寄与するであろう薬剤開発をしたくても、数年経つと製法特許が切れ、いわゆるジェネリック医薬品が出回り始める。それも、なんの研究もして来なかった、ただ作るだけの国内外の企業が製造する薬剤である。国はジェネリックを使え!使え!と、医療費を使ってる人(いわゆる患者さん)に、はがきで通知までする。多分このために何億かの予算が必要である。またジェネリックを使用する処方箋であれば、医療側に別に保険点数も付与され(つまり儲けが多い)医療機関はジェネリックを信用していない中、先発品からジェネリックに変更していく。結果莫大な開発費を投じて創薬した薬剤企業は売り上げが激減する。ある意味製薬メーカーは弱体化して新たな研究開発が伸びない。

別の見方をすれば、現在はジェネリックを使うのであるから、新薬以外は、コマーシャルしてもあまりメリットはない。当然そんな薬剤名を入れたボールペンを配る必要は無い時代と変化しているのである。20169222

だが、未だに医療界に関しては規制が厳しい。前述した過剰な接待などが横行した時代、実は政治とゼネコン、或いは政治と運輸関係などでも接待などが問題視された(現在も・・であるが)。言い換えれば政治家と企業であり、中には政治家と薬剤企業もあった。政治家はメスを入れると見せかけ、政治家ではなく、甘い汁を吸っているとして、医師と企業の関係改善に着手したのである。みごと世間の目はそちらを向いたと言わざるをえない。

まったく話が変わるが、芸能界の話であるが、楽屋では出演者に弁当が出るのは当たり前らしい。時には叙々苑の焼き肉弁当だとか・・・。それって当たり前でいいんでしょうか?この場合TV局などが、番組制作費としてスポンサーからの資金も含め予算の中から出演者に提供するのだろう。更に出演者はギャラももらえる。気持ちよく、良い演技してくださいね~、とか、次回も出演よろしく、とか、芸能事務所様にもよしなに~って意味で提供するのだろうか? でも、それって「この薬使ってくださいネ~、叙々苑の弁当つけますから」と何が違うのだろう。しかも医師は薬剤を買う側であり、出演してギャラをもらう側ではない。

さて、本題から外れてしまったが、結局医療界に賄賂や接待などの話題を押しつけ、未だに政治と金とで叩かれても、自分たちにはメスを入れようとしない政治家。それでも、今後の医療をどうするか!?は重要な施策。わかっているのだと信じて従ってきたが、医療界を見せしめにして自分たちは逃げようとする姿勢は、そろそろ堪忍袋も破れそうである。

そしてジェネリック会社に、創薬企業の様な高い志が無いとは言わないが、在るとも思えない。そんなジェネリックも数年前に製造過程での大きなミスを生じる事件を起こし、安全だけで無く信用も無いことが露呈した。その事件をきっかけに、薬剤不足が続き、更にコロナ禍などで、感染症に関する薬剤の需要が高まり、何もかもと言って良いくらい薬剤が不足している。だが、ジェネリック会社に社会的責務はないのか、増産すると言うこともしない。国がジェネリック使え使えと言い、創薬する企業の鼻っ面を叩くことをして、新薬開発の意欲も奪ってきた。そのジェネリックメーカーは不足を他人事のように見ているだけ。こんな矛盾が矛盾を生み、納得させられ続けてきた国民だけでなく、我々医療界も、そろそろぶち切れる限界に来ている。

 

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2023年10月13日 (金)

認知症、市民啓発講演会を続けて

Anichosinki

 

認知症。私は認知症専門医ではないが、我が町に認知症専門医がいないことや、在宅診療や介護関係の仕事を任されてきたことから、認知症サポート医と言う資格を取って、少しでも我が町のためにと励んできたつもりである。結果、認知症優先外来という時間を作らないとやっていけなくなるほど多くの認知症患者様を診させていただいている。

さて、我が町の行政も、高齢者医療への取り組みはしっかり行われていて、もちろん認知症施策も他の自治体に後れはとっていないと言える。当初から行政の担当者といろんな対策を行ってきた。どんな疾患でもそうであるが、その疾患を正しく知ることが大切であり、認知症でも同じである。かなり啓発されたとは言え、まだまだ認知症を理解されず、間違った認識で捕らえている人が多く、そう言った間違った認識しか持たないご家族の対応によって、認知症患者様の症状や病状を悪化させていることも多い。

そこで、やはり地道な啓発活動は施策の一つとして避けては通れない。そのために何度も何度も各地で講演会を開く。私としては、一番聞いて欲しいのは、これから認知症と関わる可能性が高いご家族であり、年齢で言えば、40歳から60歳代の方となる。しかし実際講演会を開くと、その会場に集まるほとんどの方が70歳以上の高齢者である。もちろん認知症に対する正しい知識を持っていただき、少しでも発症予防として役立てていただけることは目的の一つでもあり大切なことである。しかし、受講に来られた方の興味は、『どうしたら認知症にならないか・・・』と言う極めてシンプルな答えを求められる方が多い。こうしたら・・・とかこれを食べたら・・・と言った具体的な答えを期待される。その気持ちもよくわかるが、そう言った単純なものではない。Favorite-phote736

新しい認知症治療薬が承認され、早期のアルツハイマー型認知症にはそれなりの進行予防効果が期待されている。とは言っても、アルツハイマー型認知症の元凶と言えるアミロイドβの蓄積やタウ蛋白による変化は40歳以降徐々に生じているとされ、認知症として発症してから服用しても根治とはならないのは当然である。また発症する前から薬に頼るというのは日本人的発想かもしれないが現実的ではない。であるなら、いかに発症しないように生活習慣など注意するかは重要である。そして更に重要なのが、認知症の初期の段階で如何に周囲の人達、特に身内がどのように対応するかである。前述したように新薬により早期認知症で内服という一つの治療パターンが確立されるであろうが、全員とは行かない。副作用の問題や金銭的問題など課題も多い。であれば、やはり初期の認知症患者様への身内の対応は、発症予防と言うより進行予防には、とても重要となってくる。Afcd84dc658324f8e3e028d54d8c5f08_t

講演で用いるスライドのため「認知症患者を叱っている家族のイラスト」とネット検索すると相応するイラストは出てこなかった。表示されたのは、全て暴力を振るっている認知症患者や興奮して家族に抵抗しているイラストばかりであった。思い起こすと認知症が社会問題となった当初、メディアは認知症患者が家族の介護に抵抗して、暴力を振るっているシーンのビデオをよく用いていた。しかしこれは実は家人が認知機能低下した方へのこれまでの対応の結果として生じたものと言っても過言ではないのである。

誰でも、怒られる、叱られるのは嬉しくない。更に怒られる、叱られた内容は記憶から消える。しかし感情は別であり残っている。いつも怒られたり叱られたりする人、徐々に家族であろうが嫌いになっていって当然である。認知症患者ではなく、認知機能が低下した普通の人なのだから・・・。

そう言った事を、40-60歳代の介護する人に是非伝えたいと思って講演を続けている。

 

 

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2023年6月30日 (金)

看護学生の変化

Coffee-cap_20230628165401私は、ずいぶん長い間看護学校を教えに行っている。自分は毎年一つずつ歳を取っていくが、教え子は毎年18歳である(中には社会に出てから看護師を目指す子もいるが)。しかも男子は毎年5~10名程度で、ほとんどが女子である。確かに教えに行き始めた頃は、若い女性ばかりの教室に入る緊張があったが、年々それも変化してきたが、それ以上に感じるのは、少しずつであるが学生たちも毎年変化していることである。と言っても毎年新しい18歳に対しているのであり、その変化は世代の違いと言えるのかもしれない。

もう20年ほど前、教えに行き始めたばかりの頃は、組織力というか団結力を強く感じた。現在40過ぎの子育て後半戦に突入している世代であるが、個々の仲などは今の生徒と変わらないのであるが、何かイベントがあると、自然とリーダー的存在が現れて、個々の性格を超えたところで協力し合うのである。それが自然と動いていたことが印象深い。

10年ほど前の学生から感じたのは、個性である。現在30歳代になっている世代であるが、個々のキャラクターが、うまく表現できないが右に左に、上に下にとにかく強かった。すごく丸く人当たりのよい子もいれば、何にでも突っ張ってる子、すぐに感情的になる子など、いつの時代でもそう言った様々な子がいるのはわかるが、それが更に強く感じられる子が多かった357029007_6700886326621617_8486877668298

そして現在の子たちに強く感じるのは、内面的というか、自己アピールが少ないというか、あまり自分から進んで行動を起こさない子が多い気がする。能力はあるのに、隠すのではなく、出さないようにしている感がある。反面、意外と、と言うと失礼かもしれないが、すごく考えている子が多い気がする。コミュニケーションを取るのが下手というか、恐れているというか、そんな印象を持つ。(写真は2023年度の学生たち)

私は医学の各論以外に、医学概論も受け持っていて、その時代ごとの医療や医学の総論的な講義を担当しており、それは講義と言うより、私が知っている医療界の過去、現在、そしてこれからどのように変化していくかなどを、文献的な資料や過去の医療の問題点、そして現在の医療の姿などを実体験などを基にして話している。そんな講義の試験は、どうしても学んだ知識を問う問題よりも、考えを書かせる問題(結局点数を与えるのだから、問題とは言えないが・・・)が多い。答案の文面からも上記にまとめた世代の特徴があるように思っている。

後から、その時代を振り返って、下手に理屈や理由をつけることを私はしたくない。しかしコロナ禍の時代に多感な中高校生を過ごした事による影響がそこにあるなら、やはり我々が支えてやらなければ・・・と思うところである。

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2023年6月 8日 (木)

保険証に紐付け・・・

Coffee-cap_20230608110801 ITの変化について行くことは、確かに高齢者には難しいことが多い。USBと言われオロオロしていた高齢の大臣が、少し前にいたが、年齢と共に新しい技術について行くことは、単に慣れるとか理解を超えた難しさが高齢者には存在する。

1990年頃にレコードからCDに変わり、デジタルが主流となった当時の若者をデジタル世代と呼んだが、今考えてみるとその変化は微妙だった。デジタルと言っても、大きく使い方が変わったわけではなく、レコードやカセットテープがCDに、ダイヤルがプッシュに、アナログ表示がデジタルに・・・と、その違いがわからなくても機器を操作でき、その流れにも十分に乗れた。当時不満を言っていた人でも、いつのまにかCDやDVDと言った機器の操作に慣れ、テープ録画や録音から離れることができて、ある意味時代について行った。

しかしネットが普及したIT化では、端末を持ち歩くと言う概念、スマホなどを利用してITの世界に溶け込んでいくことには付いていけない人が多い。更にほとんどの人が60歳前には老眼が始まり、モバイル端末を使うことそのものに制限がかかる。ネットにつながり始めた頃にPCを操作していた人達であれば、端末としてPCを利用できる人は多い。しかしスマホとなるとうまく操れないと言う人は、私の周りにもいる。その原因の一つに、近いところが見にくい、つまり老眼があるのも確かである。Operation_smartphone_

保険証としての機能をマイナンバーカードに付与して、医療機関などで使用できるように2023年3月からなり、当院でも遅れることなく導入した。マイナカードを作って、紐付けさえしてあれば、カードとして提示するだけであり、高齢者でも使用に問題ないであろうが、今後、マイナカードを利用したサービスに高齢者がどこまで対応できるかはわからない。更に、昨今マイナカードに関する紐付けミスや誤入力など問題も生じていて、こう言ったトラブルは更に後高齢者を困惑させるに違いない。

きっと、マイナカード作成に関しては、ご家族やお孫さんなどの協力が必要であったはずである。受診されたご高齢の方で、マイナカードを持って見える方は、『マイナカード使えるのか?』と少し持っていることを自慢げに話される方もいる。ただ、受付の事務の子が、『保険証と紐付けしてあれば大丈夫ですよ』と対応すると、返事が返ってこないことが多い。紐付けという言葉の意味はわかっていても、カードと保険証がどうつながって紐付けされているのかを理解して使っているわけではないと思われる。

使えている者や使いこなしている者からすると、使えないことの理解の方が難しいのかもしれない。プログラム作成までもが取り入れられる教育を受けている世代がある反面、プログラム言語と言う意味すら、ご高齢者のほとんどが理解できないはずである。

漢文や古典を学ぶことが、否定された時代になったわけではない。しかし、AIにディープラーニングさせて答えや人が求める判断が可能となり、ほとんど全ての人が端末を持ち歩き、クラウドからいつも必要な情報が引き出せ、使える。そんな時代に流され押され、嫌でも使用しなくては生きていけないご高齢者の気持ちは若い人には、きっとわからないのだと思う。いや中途半端に使えている自分でもわかっていないかもしれない。

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2023年3月16日 (木)

車選びの話です。

Coffee-cap_20230316082001 私は、車を運転することが好きな方だと思う。30代後半から40代前半は、友人の医師に誘われ、中古で買ったスターレット(EP72)に、安全装備をつけてダートトライアルという自動車競技にも参加していた。と言っても本番に気合いが空回りする自分のテクニックでは、参加賞だけで止まっていましたが(笑)。また子供が生まれ家族で楽しむために買ったワゴン車では、家族全員が熟睡する中、夜間運転を続けてスキーや旅行に行きましたが、運転を苦痛と感じたことは一度もなかった。勤務医の時は通勤の半時間の運転が、そして開業医となってからは、産業医や看護学校の講義のための車での移動時間が本当に楽しく感じていました。

そんな自分も50歳代には、少し高級な外車を所有した。時代の流れもあるが、30代の頃まで世間では、外車を所有することが目立つ時代であり、少し皮肉を言われる様な時代だった。しかし自分が40代後半の頃では、世間も外車に乗ることが当たり前のようになってきていた。そんな中所有した車は、いわゆる運転することが楽しいスポーティな車であり、勿論マニュアルシフトだった。友人の医師が乗っている高級車と比較すると趣向も違い安価であったが、私としては楽しい自動車ライフを送れた。

2010年頃から徐々にCO2や環境問題もあり、2015年頃から、ハイブリッドが注目され主流に変わりつつあった。更に2020年頃から急激に電気自動車というカテゴリーが大きくなってきた。そんな中、昨年の2022年夏に車を選び秋に注文・・・つまり買い換えることになった。20221010ss01

悩んだ悩んだ。まだ、ガソリン車でも良いのでは?まだ老人と言われない間にガソリンのスポーツカーに乗っても良いのでは? いやいや時代はハイブリッドかな? 電気自動車が一気に増えてきてるよな・・・ 結局PHEVと言う選択をした。CO2に関しては、実は電気自動車は購入後はCO2排出しないが、生産で大量のCO2排出されており、更に化石燃料で電気を作っていたのでは実際環境問題はどうなんだ!と言いたくなる。しかし世間は明らかに電気自動車に移行しつつある。そんな中、毎日の移動距離が多くても50km以下の自分としては、充電で95km程度電気のみで走ることが出来るPHEVは魅力的であり、更に電気自動車としてのパワーもあり、発進加速などはガソリン車にないものがあり、走りも楽しめそうだと思ったのである。加えれば、SUVとして使い勝手の良さやスタイルの良さももちろん選考基準であった。

2023年3月に、当初納期は一年と言われていたのに、半年でT社のSUVのPHEVが納車された。しばらくじっくり味わいながら楽しみたいと思う反面、この選択が良かったのかどうかも徐々に明らかになってくるはずである。(まったくの自分事をつらつらと書いてしまいました)

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2023年2月28日 (火)

嵐の後に

なんとなく、発熱感染症外来を行ってきたこの三年間は慌ただしかった。ようやく5月には5類に新型コロナ(コロナ2019と呼ぶように改められたが)がなることを受けたのと、ここに来て急速に感染者が減ったことが、世論的にも落ち着いた感をかもちだしている。

第8波は、短くも大きかった。実際には、7波から完全に落ち着くことなく更に広がり、国の施策も転換された感もあり、一気に広がった。2023年1月3日が、日当直だった私の医院では、朝から発熱外来の電話が鳴り止まず、電話の順に予約を入れたが、昼前には夜まで予約が埋まり、以後断るしかなかった。後で知ったのだが、翌日の1月4日から通常診療が多いためか、この日を全面的に休みとした医療機関が多かったそうである。

でも悲壮感は漂ってないと書くと不適切な表現と指摘を受けそうである。アルファ株やベータ株の流行時には、致死率も高く、感染者や医療従事者への誹謗中傷もあった。オミクロン株となってから、国の施策も変わったこともあるだろうが、そんな危機感や偏見を勝手に抱いて、無秩序な行動や発言をする人もいなくなった。何より、自分から「この前、コロナかかっちゃって・・・」なんて言えるようになった。

さてそんな思い出を語るために書いたのではなく、マスクが問題なのである。

先日、小学校の学校保健委員会(と言う会議が、学校関係者、PTA、自治体、そして校医などで行われる)で聞いたのであるが、卒業式に、「6年生はマスク外すとして、5年生など在校生は外したい?」と教諭が尋ねると、ほとんどの子は外さないと答えたそうである。中高生ならマスク外すと恥ずかしい、などの理由も挙がるが、小学生でとなると少し違う。そこには、ご家庭での指導などもあるだろうが、如実に日本国民の独特な姿勢が見えた気がした。おそらく、マスク着用義務がなくなれば、徐々に徐々に外す人が増え、そしてまた増えて行くと思う。みんなと一緒!と言う考え方なのだろう。だから、まだ世間がしている間は外さない方が・・・なのかもしれない。

しかし、医学的にマスクの着用に関して言えば、感染症を患っている可能性がある人、つまり体調が優れない、発熱がある、鼻水やくしゃみがある。咳嗽や痰が絡むなどの人が、人に感染させないために自主的に付けて欲しいのである。それこそが感染拡大を防ぐのだが、日本中がマスクを外す頃には、逆にしていることが目立ち、また恥ずかしく、そして感染していると思われたくない、などの理由でしないような気がする。

単純に日本人を思いすぎた一人の医師の老婆心であれば嬉しいのだが・・・。

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2021年12月14日 (火)

記憶に残ったのか?オリンピック

Coffee-cap_20211214181501   また間隔が空いてしまった。前回第5波の真っ只中で聖火ランナーの記事を書いたのであるが、実際の月日以上に遠い昔のようである。とその意味で言えば、東京2020オリンピックそのものも、既に遠い昔のことのように思えてならない。

オリンピックの記憶と言えば、30歳代に救急病院で経験したスペインオリンピックが忘れられないが、その理由はかなり前にこのブログでも書いたが、簡単に話すとこうである。あるヤクザが脳卒中で倒れ入院、呼吸も止まって植物状態。そのヤクザに世話になったという現在はヤクザの親分が、関西方面から毎晩見舞いに来るため、毎夜面会時に状態の説明を求められ、おかげでずっと病院に泊まり込んでいた。入院されたのが開会式の日、亡くなられたのが閉会式の日。記憶に残っているのは、弓矢で聖火に火をつけたシーンのみであるにも関わらず、私の中では、最も印象深いオリンピックになっている。Favorite-phote761

話が変わるが、12月に入って久しぶりに夜の街を、少しほろ酔い気分で歩いた。少し大胆になり、横断歩道を渡っている途中から街のイルミネーションを撮ったのであるが、その写真を来年、再来年、もっと先に見たときに覚えている様な気がする。ようやく医師である自分でも街で飲んでいたとしても後ろ指を指されない状態にコロナが落ち着き、とにかく二年ぶりに家内と楽しんだ夜の街だったからである。

コロナという大きな波に押されながら迎えたオリンピック。自分は、その中で聖火ランナーを務めた。すごく名誉なことで一生の宝物である。しかし現時点でそれほど記憶に残るとは思えないのが寂しい。聖火ランナーだけが参加出来るFBに参加しているが、12月に入った今でも感動冷め止まぬ投稿がなされている。自分はと言えば、聖火ランナーの思いでよりも、完全防御で車窓診療を行っていた記憶や第5波で多忙だった診療の日々、そして集団接種に追われた今年後半の思い出の方が大きい。

数年後に何が記憶に残っているかは、その記憶を育んでいく間のちょっとした気持ちの持ち方であるかもしれないが、少なくともこの写真の記憶は残るのではないかな?と思っている。

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2021年9月16日 (木)

時間の流れを遅くするために。

コロナ禍で、どうしてもそちらに気が行ってしまう。振り返れば、昨年2020年3月以降からこれまで、時が経つのが早かったと感じてる人も多いはず。自分や身内がコロナに感染して大変な状況が続いた、とか緊急事態宣言の影響で生活が・・・、と言う状態でなければ、多くの人は苦しいと言うほどの状況とまではいかない。しかし多くの人が何らかの自粛により、個々のイベントも確実に減っているはず。人は、起伏のない生活ほど振り返ったときに時間が早く感じられるのだそうだ。

私のように、昨年夏前からは発熱外来(当初は、帰国者・発熱外来と言っていた)に追われ、ただただいつもの診療に加えて発熱患者の対応を続け、今年の夏前からは、それに集団接種会場での問診の仕事が増えてと、忙しさは増したが、やっていることは同じである。だから特に時間が早く過ぎたと感じているのかもしれない。

でも、ほとんどの人が経験できない経験をしている。実はオリンピックの聖火ランナーをやったのであった。2021年4月初旬。ちょうど第4波となる前で、天気も良く爽やかな気持ちで、三重県熊野の地を走らせていただいた。



なんだ!思い出あるじゃん!と言いたいところであるが、寂しいかな、聖火ランナーで走ったのが、一昨年のコロナ前であったかのような錯覚に支配されている。先日、聖火ランナーをやった証明書が大会組織委員会から届いた。その機会に自分の2021年の思い出としてまとめ、部屋の一角に置いたままになっているトーチやウエアと共に飾って見るなりすれば少しは深くなったのかもしれないが、集団接種などの忙しさを理由に、全てが部屋の一角に未だ置いたままとなっている・・・。

コロナで忙しいから、と自分に言い聞かせてきたが、誰の者でもない、自分にとっての大切な2年間が過ぎようとしている。今度時間ができたら、聖火ランナーの思い出をまとめて、部屋に飾ってみれば、少しは時間の流れも遅くなってくれるのかもしれない。

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2021年9月 3日 (金)

勿論一部の人ですが・・・

なかなか第5波が収束しない。ワクチン集団接種会場へ自分の空いた時間をほとんどつぎ込んで、収束のためになると信じて頑張っていても、最近は少しむなしくなることがある。

そんな中で、更に残念な状況が見られた。我が自治体の町は、本来なら現在36-45歳の接種を終えて34-26歳に入るところなのであるが、ここへ来て50歳-70歳代の1回目接種の人が増えている。そういえば本来その年代層の接種期間(6月末-7月後半)に、『本日接種予定者少ないので、先生には連日ですので、本日はお休みください』と言う連絡が時々あった。少し集団接種に疲れを感じ始めていた自分は、その時は喜んだのであるが、今考えるととんでもない!

その頃は、感染も少し落ち着いており、予防接種に積極的で無かった人が待機して先延ばし。ところが8月に入り第5波の感染爆発状況を心配して遅れて、つまり本来なら45-26歳の方々が接種する今になって申し込まれているのである。ご存じのように開始時期は年齢で決められるが、期限は決まっていないために先延ばしされた方々が今申し込まれて、結果40歳代以下の若い人たちの予約枠を奪っているのである。

もちろん責めることでは無く、遅れてでも接種されることは歓迎であるが、それでも少し今の感染状況を考えると後手のような気がしてすっきりしない。一日も早く大多数の人が接種終えて、終息は無理でも、それなりの収束をして、うまくwithコロナの時代を過ごしたいと考えてしまう今日この頃である。

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