2017年7月 1日 (土)

求められるからこそ

Anichosinki 昨日看護学校で講義した『医学概論』の試験の答案を渡された。まだ全て目を通していないが、半分程度目を通して驚いたことがあった。問題の【3】では、生徒に点数をあげるためにこんな問題を出したのである。『最近、マスコミで報道されたニュースや記事で、あなたが一番気になった事についてまとめなさい』 で、ほとんどの生徒が小林麻央さんの死について書いていたのである。その関心度の高さは驚くことでは無いが、生徒のまとめた内容が、あまりにも似かよっていたことに驚いたのである。

ブログを綴り続けた行為についての賞賛や感想、ご主人の海老蔵さんの言葉や行動に対する感銘や同情など。みなさんマスコミの報道から得た情報で、それぞれの感想をまとめてくれていました。
私は、医学概論の講義で、死への対応や看護、尊厳死や安楽死と言った内容などを話していますが、いつも『答えなど無いとも言えます。けっしてひとつの事実や事象でのみ判断するのでは無く、多面的に捉えて、それぞれの立場や状況からいつでも問題意識を持って取り組み考え続けて下さい』と話している。私自身まだまだ未熟な医師。これまでに何百人と看取ってきたとは言っても、哲学者でも無ければ、宗教学者でも無い。医師として良識を踏まえて死に向き合うこと以外は、何も語れない。
驚いたことと言うのは、マスコミに対しての感想も書かれていたが、そのほとんどが悲しみに包まれている海老蔵を報道するマスコミに対して批判的であったことだ。確かに、今回のケースに限らず、マスコミの報道に関しては、誰でもがいろいろ思うところである。
しかし芸能界という特殊な社会。周知されることによる社会的責任、周知による共感や反感があり、それらを意識しつつ背負って生きていかなければならない。華やかな世界である反面、そう言った責務と義務が暗黙の上に課せられている社会でもある。
そして、大衆という意思や意見を発する存在。何かについて語り合うことが人としての使命ともなっている現代。意見や主張をすることに飢えていたかのように広がったSNSの自己主張は、必然的な状況としか思えない。
さらに、その大衆のために情報を提供する立場のマスコミ。モラルが存在はするが、それ以上に大衆が求める力は大きい。また隠された情報をマスコミが明かしたことで、社会が一変することもある。201771
全てが互いに求められるからこそ存在する立場である。報道を批判した生徒たちの多くは、少なくとも興味を持ってその報道を見て、何かを感じていたのであるから、報道に影響されていた大衆の1人であると言える。
マスコミに規制をかけるなら、大衆も最低限度を知り、その上で個人が想いの中で展開するだけで良いはずだ。つまり、亡くなったという報道のみを知り、心の中で哀悼の意を抱けば、それで良いではないか、と言う事になる。しかし残念ながらそれでは、互いに求め満たされていくそれぞれの立場が許さないであろうし、大局的に見れば、なんとつまらない世界かもしれない。
何かをまとめる立場では無いが、結局、互いにいつも思いやりの心で行動することが大切で有り、それこそが求め求められていることの最重要点であるのかもしれない。

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2017年6月18日 (日)

水面に映る

Coffee_cap 今回は、医療とはまったく関係のない話になるかもしれない。と思いつつ書き始めた今回のブログ。

実は、これまでも紹介してきたが、ここ数年、在宅医療と認知症に力を入れている。必然的とも言える状況から、自分も中心となって動かなければ我が町の高齢医療が崩壊すると言った危機感も有り、医師会の理事に選出されたこともあって、この仕事に力を注いで、行政とタッグを組んで多くの施策にも力を入れている。
実際、認知症も在宅医療もアカデミックでスマート(表現が間違っているかもしれないが)な医療ではなく、多職種との連携や家人との関係構築も重要となり、手間暇ばかりが増える。医術を施し、医学知識に沿って加療すると言った医療では、いわゆる雑用は思いの外少ない。それだけに、多くの開業医が、認知症や在宅医療に一歩踏み出せない理由ともなっている。実際、認知症や在宅を親身になって行っていることが、多職種の間で知れ渡ると、前向きのケアマネさんなどは、私への受診を勧めるためなのか、認知症の患者様がこの数年で激増した。しかし、認知症の患者様が増えて喜ばしいことは何も無い。ただ時間と手間がかかる。別の言い方をすれば、その間一般の患者様の診療が中断してしまう。そのため土曜日の午前11時から13時半までの間を認知症優先外来として、予約診療を行うようにして一年近く経つ。
昨日の土曜日も予約の認知症の方が4名受診されたのだが、最後の方が一番進行していて、問題行動も多い。鏡に向かって自分に挨拶をしたり喜んだりけんか腰になり、鏡に手をあげることもある。そんな方を診終えて、診察を終了した。20176182
次の日の日曜日が午後から日直当番であったため、急に美しい光景の中安らぎたい気分になり、車を跳ばして京都に向かった。新名神が直結する我が亀山市から京都は1時間である。京都東インターを降りると、大原三千院に向かった。着いたのは16時。閉門の17時半まで、のんびりと庭園やあじさいを楽しんだのだが、水面に映る木々を眺めていて、そこに自分の姿、と言うより人の姿は映って欲しくないと思った。
京都の山奥の三千院。静寂の緑に包まれていると、ただその中に溶け込んだ存在になりたくなる。人の存在を感じたくない。水面に映る緑を見ていて、鏡に映る自分と対応する患者様のことを思い出していた。20176181
自分は、人の香りがするから、自然の中に立つ灯台の姿が好きなはずである。しかし人の中にいて、人の悲しさを感じる日には、自然に溶け込んでいたいと感じた。やはり少し疲れていたのかもしれない。

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2017年6月 7日 (水)

健康の定義

Coffee_cap  昨年末に声帯ポリープにて全身麻酔で手術を受けたことを、ブログでもまとめたが、先月から頸椎ヘルニアで、再びアクティビティーが下がっている。4月の末頃から、左の後頸部から左肩全体に、凝りのような痛みがあり、そのうちに・・・などと思っている間に、左手母指にしびれ感を感じたため整形外科の友人に診てもらい判明した。自分で作った牽引装置で頭部を日に何回か牽引して、消炎鎮痛剤など服用して改善傾向ではあるが、器質的な変化によるものであることはわかっている。症状は消えたとしても根治とはならない。

我々開業医が外来診療を行っている中で、年齢による変化での訴えは数知れない。腰痛、膝痛、肩が上がらない、食べ物が飲み込みにくい、皮膚が痒い、元気が出ないなど多彩だ。とりあえず、何らかの症状の改善が期待できるため、『病気』として診断名を付けたとしても、その原因が加齢であれば、根本的な治療は不可能である。例えば、老人性皮膚そう痒症は加齢による皮膚乾燥が原因の掻痒である。痒みはある程度抑えられるが、若いときの潤いあるお肌には戻れない。
グルコサミンやコンドロイチンなどよく聞く名前のサプリメント。不思議なもので、ある程度値段が高い方が売れるそうである。薬として効果があると考える気持ちは理解できる。しかし、若い時からそうならないように予防は可能であるが、加齢に伴って生じる器質的変
化を、逆行性に若返らせる手だては無い。
話は変わるが、皆さんは健康をどのように定義されているだろうか?

Body_neck_hone

大昔中学生の頃に、あるコメンテーターがラジオでこう言っていた。『自分の体を意識しないときが健康では無いだろうか?』確かに、昨年声帯ポリープが出来て発声がつらい時に、喉頭、声帯という部位を認識しつつづけた。そして今回頸椎ヘルニアで、頚部の脊椎の形状や変化(医師であるが故に、その形状や発症機序が理解できる)で頸椎を意識した。私自身、この言葉が脳裏に有り、更に医療経験が増すと共に、この言葉を健康の定義のひとつとして利用している。
年齢に伴う変化を完全に消し去ることは出来ない。しかし健康と感じる程度までに症状を抑えることは、医療に於いては重要である。対症療法と原因療法。症状だけをとる治療は、医学では、概して良しとはしないのであるが、少しでも症状を軽減させて、もう一度健康を意識できるのであれば、対症療法も重要だと感じずにはいられない。

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2016年12月17日 (土)

主治医の前では患者になる医師

Coffee_cap 前回の記事で書いたように、声帯ポリープの手術を全身麻酔で受けた。患者として手術を受けたり、入院する経験は、患者を診る医師としてはとても大切だと思っている。その大切さは後述するとして、まずは、自分の事を書きたい。

『まな板の上の鯉』ではないが、私は整形的な3回の手術時も、痔瘻の手術時も、そして今回の手術時も、主治医に質問したことは一度もない。つまり医師である自分は、どうするのか?どんなリスクがあるのか?鑑別疾患として何があるのか?手術のさまざまな合併症になにがあるのか?などを知っているわけであり、心配すれば事細かく尋ねる知識を持っている。しかしそれを質問したら、主治医はより責任を感じ、萎縮するかもしれない。こんな時、私は絶対に『まな板の上の鯉』になるようにしている。全面的に先生を信用しているから、後は好きにして!!そう言った感じである。
私は外科医ではないが、それでも心臓カテーテル検査やペースメーカーの植え込み術など外科的な処置も多く行ってきた。そんなときに、一番気持ち良く手技や検査・処置が行えた患者様は、全面的に私を信じてくれた方である。『先生にお任せしますから、よろしく!』と言われると一番自分の技量が発揮できていた気がする。逆に事前に、あれやこれやと疑問や質問を投げかけ、更には不信感がにじんでいる人ほど緊張してしまい、自分の持てる力が十分に発揮しにくかった記憶がある。とは言ってもだから手を抜くとか、だから一所懸命にやると言う意味では無い。
不思議なもので、そうして全面的に信用してくれた人ほど順調で、心配された人ほど予期せぬことが起こりやすい様な気がしている。
つまり、医師である私ではあるが、医療を受けるときは、完全に患者になって主治医に任せている。それは医師である私が、患者様にそうして欲しいからそうするのだとも思う。201612191
で、あれば、絶対に医師は患者の立場を数多く経験すべきである。今回も入院中、何度もそう感じた。特に今回印象に残ったのは、手術の前日に手術室の看護師と麻酔科医がそれぞれ訪問してくれたことだ。向こうも私が医師であることは知っているので、話しにくかったかもしれないが、きちんと全身麻酔の説明やリスク、注意点など話してくれた。知ると逆に不安を抱く人もいるかもしれないが、最後に『十分な対応で最善を尽くしますので、当日は何も心配しないで手術を受けて下さい』と笑顔で言ってくれた。医師としてでは無く、1人の患者として凄く嬉しい一言であり、励まされる一言でもあった。
単に疾患や治療方針、想定されるリスクなどを説明するだけでなく、自分がそのことに精一杯取り組んで治療にあたっている言う、ある意味言い訳がましいと感じていた一言は、治療を受ける側としては言って欲しい一言であったのだと、痛感した今回の入院であった。
(写真は、術後帰室してから下肢静脈血栓症の予防がされていることに気づき、思わず臥位のまま両足を挙上して撮った写真)

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2016年12月13日 (火)

初めての全身麻酔と麻酔の思い出

Coffee_cap 先日、初めて全身麻酔で手術を受けた。と言っても手術時間は15分ほどで、手術室への移動、準備して麻酔の導入、終了後の覚醒までの時間と抜管や帰室の準備で45分。全部で1時間程度である。病名は声帯ポリープ。声帯に小さなできものができて、声が出しにくかったり、声がかすれたりする。

私も医師であるから、耳鼻科の知識も勿論あるが、昔は全身麻酔などせず取り除いていた事もあったようである。とは言え総合的に考えれば全身麻酔で行う方が安心と言えるかもしれない。しかし本人にしてみると、全身麻酔である。完全にその間の記憶もなく、呼吸も止まるのである。不安?と言われれば不安だったかもしれない。
私は手術を4回受けている。右大腿筋断裂手術を23歳脊椎麻酔で、痔瘻の手術を27歳静脈麻酔で、41歳に右脛骨骨折の固定と抜去で二回脊椎麻酔。こう考えると手術の経験は多い方かもしれない。しかし全身麻酔は初めてである。
麻酔には大きな思い出が二つある。一つは痔瘻での静脈麻酔である。『じゃー今から麻酔薬入れていくから、1から順に数えてて!』と言われ『イチ』と声を出すと同時に注入されてきた薬物で全身が虚脱状態になり、『ニイ』と言おうとする自分を意識しつつも声が出せなかった。その時耳は聞こえていたのだが、先生が『早!』って言ったことは忘れ得ない。
41歳での脛骨骨折は、夜に外傷が原因で生じた。当時勤務していた病院の友人である整形外科医が今から手術しましょうと、深夜に行ってくれたのである。腰椎から注入された麻酔薬の影響で徐々に身体の上方まで感覚が無くなり動かせなくなってくる。気づくと胸の辺りまで効いているようだった。思わず友人医師だから『おいおい!効き過ぎてないか!』と言うと、友人医師に『先生・・・やかましい』と諭されてしまった。順調に手術が進むなか、突然友人の整形外科医師が『先生、手術台で、大はしないでよ!』と言ったのだ。下半身どころか胸から下の感覚の無い私は、てっきり大便をしてしまったのだと思い、平謝り。手術室の看護師も全員知り合いだから、『ごめんね・ごめんね』とひたすら謝った。程なく手術が終わり、覆われていた自分の下半身が見える状態に。大便などした雰囲気は無い。と、ニコニコ顔の友人医師が『嘘だよ~』の一言。完全にだまされたのである。20161213zensinmasui
さて、今回の全身麻酔。手術室まで歩いて手術台に乗った自分。準備が済むとマスクで覆われ、『それでは始めますね。ゆっくり呼吸していて下さい。少しお薬入れますので、静脈がしみるかも・・・』と麻酔科医の声。 そして、次に聞こえたのは、同じ麻酔科医の声で、『は-い、お疲れ様でした~無事終わりましたよ』だった。
完全に約半時間俺の記憶は消えている。呼吸が止まっていたことも、人工呼吸器に繫がれていたことも、ましてや、挿管チューブが気管に入っていたこともわからなかった。
医師としてわかっていたことばかりだが、経験すると全く異なっていた気がした。ある意味貴重な体験だった。

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2016年11月17日 (木)

見た目以上に

Anichosinki 先週と今週連続して、ある企業の方々にインフルエンザの予防接種を一斉に行った。80名と55名。診察するのに比べたら、氏名・健康状態・アレルギーなどを確認し、接種部位を説明し、同意を得たらポジションを決めて、消毒、準備された注射器をセットして接種。絆創膏を貼り、接種後の注意を指導して終了。 と一連の流れが有り、同じ事の繰り返し。

診察に比べて様々なケースがあるわけではなく、それほど労力は要らないはずであるが、なぜか凄く疲れる。

考えてみれば、人の体内に何らかの異物を注入するのであるから、それが安全な物とわかっていても、万が一のアナフィラキシーショックなどが常に念頭にある。更に自分もそうであるが、接種後2日ほど微熱が出たり、接種部位が発赤、腫脹したりもする。そう言った接種に対する副反応については、事前に同意を得るための用紙にも詳しく書かれているが、まずそれを熟読される方は少ない。そしてちゃんと読まない人に限ってそう言った反応が現れやすく、そう言った人ほど、怒りにも似た問い合わせをしてくる。20161115

インフルエンザの予防接種。接種したほうがあらゆる面で良いという医学的根拠はそろっているが、私が誰にでも積極的には勧めていない理由がここにあるような気がする。もちろん高齢者や基礎疾患をお持ちの方には時間をかけても有効性を説いて勧めてはいるが・・・。

予防接種、受ける側の人は痛みや緊張があるだろうが、接種する側も、見た目以上に大変な作業だと、少しでもわかって欲しくてまとめてしまいました。(写真は55人接種後の廃棄箱。見た目以上に少なく感じる)

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2016年9月22日 (木)

どっちが怖い?

Anichosinki もう既に、話題となってからかなりの時間が経つし、数年前にもこれに似た報道がなされて、しばらく我々医療界は振り回された。しかし今回の報道は、明らかに週刊誌が売れる記事のネタとして医療に踏み込み、表現や文章のテクニックを用いて読者の不安心理をあおり、それが結果的に売れたことで、続編を狙って記事を書いているとしか思えない。勿論これまでのそれに類いした記事でも同じ手法を用いられてきたが、今回は限度を超えていると、おそらく医療関係者は皆がそう思っているはずである。

飛行機事故の確率は、交通機関の中では最も少ない。しかし搭乗前に心配し、無事目的地に着陸したときの安堵感は誰もが経験されたことではないだろうか?それでも飛行機を利用するのは、個々の人たちが目的とする手段のために必要だからである。仕事のため、旅行のため、遠く離れた人に会うため・・・様々であるが、全てそれを叶えるために必要だから飛行機を利用する。目的も無くただ飛行機に乗っていたいからと言う理由で利用される人は希有であろう。
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では、医療に於いて内服の目的は何であろうか?少なくとも薬が好きだから服用しているのではない。今患っている疾患を治すためと言うのが最もわかりやすい。では、高血圧症や脂質異常症、糖尿病を患っていると思っているだろうか?多くの方は持っているとは言われても、患っているとは言われないだろう。なぜなら、日常生活が問題なく過ごせているからである。しかし言われなくても、多くの人は、高血圧や脂質異常症、糖尿病を放置しておくと脳卒中や心筋梗塞など致死的な疾患になりやすいことを知っている。また死に至らなくても、そのために残りの人生、不自由を背負ったり、介護の世話になる可能性が高いこと(きっと飛行機事故に遭うより何倍も)高いことも知っている。
言うまでも無く、これらの疾患に対しては合併症の予防のための内服である。しかしその時に自覚症状がないと、つい内服している薬による作用、つまり副作用の方が気になる。目的地に着くことよりも無事に飛んでくれることの方が気になるのである。
ちなみに、定期的な診察の上で、薬剤師が管理を行っていれば、仮に副作用が出現しても十分に対処可能で有り、少なくとも致死的なことは無いと言える。
飛行機に乗るのが目的があったからであるが、それでも飛行機事故は心配である。同じように予防として内服する薬であるが、副作用は心配である。それは十分に理解できる。であるなら、正しく通院して医師の診察を受けて定期的に検査を行い、その上で薬剤師に管理してもらえば、副作用など恐れに足らずである。例えるなら、飛行機に乗るときに、十分な整備、そして飛行経路の安全を確保するのと同じではないだろうか?しかしこれが面倒だと思うと通院も検査もおっくうになる。
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高血圧や脂質異常症、糖尿病を管理もせずに放置すれば上述した合併症が生じる確率は10人に1人はくだらないであろう。それに対して正しい管理の下で副作用が問題になる確率は1000人~10万人に1人である。
それでもゼロではない。そのゼロではなかった事象を、さも頻回に生じるように伝えて、恐怖をあおり、結果的に合併症を生じても何の責任もとらない。そんな週刊誌の記事をこれからもあなたは信じますか?

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2016年7月 7日 (木)

誰かが語った話のみを受け入れますか?

Coffee_cap 先日、ある介護関係の方が、急を要するような勢いで、私が診ている認知症患者様のことで電話されてきた。『〇〇さんが、入浴するのは嫌だと騒いで、職員に手をあげたんですよ。そんなことの無いように、精神科受診させるか、鎮静剤か何か処方していただいて、おとなしくするようにして下さい。』

介護の現場では良く聞く話ではあるが、何とも情けない内容であり、認知症としての問題行動などに対しての根本的な対処が問われそうである。と言って本日はそれを語りたいのではない。
結局この認知症患者様の入浴時の興奮は、いつものお気に入りの職員さんじゃ無かったからである。でも、事実だけを聞くと、認知症患者様が興奮して暴行した、となってしまう。
世の中ではこう言った事は当たり前で有る。にも関わらず、事実だけを取り上げて賞賛したり、酷評したりしてしまうことが多い。仮に自分がその一部始終を目撃していたとしても、それは事実であって、真実とは言えない。両親が病気で、寝ずにバイトして看護学校に通い続けている生徒、講義中はうとうとしていることも多い。その事実は居眠りであるが、その環境を知れば、皆さんも私と同じように、注意することも少しためらってしまうのではないだろうか?
TV番組で、ずっといじめられてきたり、冷たくされたりと言った自分にとってつらい状況が、何らかの出来事や他人の関与によって一変して、最後には自分の立場が良くなったり、認められたり、いじめてきた相手が責められたり・・・と『スッキリ』するというドラマ仕立ての番組を見たことがある。いかにも日本人が大好きな展開であるが、もしこれが一つの事実であるとすれば、既に一方の事実しか取り上げていないわけであり、真実は大きく異なるかもしれない。こう言った一方の事実のみを見せて、信じさせて、スッキリ感を味わっているうちに、自分に都合の良い事実だけを受け入れる人間が増えるのではないか?とさえ私は思ってしまう。201677
特に、陰口や噂話をまともに信じて、さも全てを見てきたかのように語る人がいる。また、ある一人に何かを伝えたい時に、わざわざ第三者にその話をして伝えようとする人もいる。これもまた日本人的かもしれないが、事実が大きく真実から離れてしまう結果となる。
もともと真実は多面的で有り、多くの事実によってなり立っているはずであり、見方によって大きく異なる。一つの方向から捉えた事実は、真実とは、ほど遠いこともある。
さて、あなたは誰かが語った話のみを真実として受け入れますか?

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2016年6月28日 (火)

確かにおっしゃる通りですが・・・

Anichosinki 本日は、愚痴を書きます。と言うよりどうしても発散しておかないと切れてしまいそうなので、ここで失礼します。20166281

自分も昔、勤務医時代には診療マニュアルや診療指針に従い、文献を読んで、医学的に正しいという診療を、患者さんの金銭的負担や日常生活での負担を顧みず行っていました。医師として医学を学び、EBM(ebidence based medicine)を実践するためには必要なことです。
とは言っても、当時から医療がそれだけじゃ無いことは知っていました。可能性はほとんど無い疾患であっても、それを否定することの重要性は十分理解した上で、医療費が少しでもかからないように、或いは時間が少しでもかからないように、患者様に説明して納得いただいた上で検査を省略したり、診断的治療(その薬を使うことで治ったら、それが診断につながるため)を行う事の意味を理解し、それを行われる開業医の先生の手法も了承しておりましたし、自分も勤務医時代から行っていました。
病院であれば、指示をするだけで、どんな検査も直ちに行えます。また少々金銭的に高額になっても、患者様には比較的納得していただきやすいものです。これに対して開業医の先生方が、信頼の上に成り立った医療を行う事で、医療現場がパンクせず、また医療費を抑えられることが十分意味があることだと理解していました。
とは言っても、患者様との信頼関係の上にそれは行われるべきで有り、本人様が当初から不安を訴え、初期から時間や金銭がかかっても精査や高度医療を希望されるのならそうすべきだとも思います。同時に、節約の名の下にリスクがある場合には、そう言った医療を実践したり、検査を省略したりすべきでないことも事実です。何よりも患者様の診断治療を優先して考えるべきであり、親身になって十分経過を診ることがそう言った医療を行う上で重要であることは言うまでもありません。
今回、発熱の原因がはっきりしない患者様を医療センターに紹介したら、担当医から次のような内容の返事が戻ってきました。
・発熱時原因菌検査も行わず抗生剤の投与を行うのは間違っています。今後は原因菌がはっきりするまで使用しないことをお勧めします。
・病名を『不明熱』と書かれていましたが、それは検査にて原因が得られない場合であって、この場合用いるべきではないと考えます。
など、紹介後の経過はほとんど無く、私の医療に対するお叱りの文章がほとんどで、結局その方が最終的にどうなったかは書かれていませんでした。
確かに、その先生がおっしゃる通りです。原因もはっきりしない間に抗生剤は使用すべきではなかったです。そして、たかだか開業医で出来る限りの検査で原因がはっきりしないからと言って『不明熱』と言う病名は用いるべきじゃ無かったでしょう。更に、今考えれば、あの検査をもう一度行っておけば・・・とか、あの検査を行っていたなら診断につながったかも・・・などと言う反省点があるのも事実です。ご指摘いただいた先生のおっしゃる通りです。しかし・・・
20166282
開業医として、親身になって加療・経過観察を行った上で、診断加療に苦慮したから紹介させていただいたのに、私より何十年も経験の浅い医師からお叱りの返事。私も若かりし勤務医時代に、同じように紹介いただいた開業医先生に思いを抱いたことがありますが、上述したことなど諸事情を考え、単に医学知識のみでは進まない開業医医療を理解して、さすがにこんな返事はした記憶がありません。
煮えくりかえった気持ちは、患者様が良くなったことで、水に流そうと決めましたが、収まりきらず、ここで愚痴ってしまいました。

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2016年5月26日 (木)

ユニフォーム

Coffee_cap  GWも終わり、梅雨の季節前。この季節、比較的外来は空いている。しかし、この時期は診療時間以外はめちゃくちゃ忙しくなる。いわゆる学校保健法に基づく学校検診の時期で、昼食を詰め込んですぐに学校に出向くことになる。また看護学校の講義も始まった。教える立場からは、毎年繰り返す同様の仕事であっても、新入生にしてみれば初めて経験する緊張の瞬間。新たな気持ちで教えるように努めているのである。20165262

私が教えに行っている看護学校には制服がある。と言っても何か行事が無い限り登校時の服装は自由で有り、新入生は1ヶ月の間着用が義務づけられている。何故新入生のみ、しかも一ヶ月間?と疑問に思って教務に尋ねると、看護学を学ぶのだという共通の思いを抱かせるためにそうしているのだそうだ。看護専門学校であり、制服は白衣か?と思われるが、実は黒いジャケットに、パンツ・スカートと言ったものである。

ところが、それが理由ではないだろうが、1ヶ月経って制服の規制がなくなり、私服になった途端に、教室はざわつく。私語も増えて、講義中につい大声で注意したくもなる。4月に講義が始まり、制服を着ている間は、間違いなく学ぶ姿勢だったが、私服となってからは、学ぶ姿勢を維持している子の数が減る。

講義や学校の雰囲気に慣れてきた・・・など多くの理由があるのだろうが、私には制服の効果も大きかったと思えてならない。20165263

ユニフォーム。一つの定まった形態、服装。それはともすれば隠れ蓑にもなり得るし、自己表現を抑制して個の長所を抑えてしまうかもしれない。また極端に考えれば、社会主義や帝国主義的に、一つの思想に支配され、洗脳につながるのかもしれない。しかし何かを目指し、何かを得、何かを生産するため努力する同じ仲間が、同じ方向性を保ち環境を保ち、そして意識を共有するためには、ユニフォームは大切なはずである。

私はたった一ヶ月間ではあるが、制服で講義を聴いてくれる看護学生には、間違いなく熱弁をふるっている気がしている。

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