2024年7月 9日 (火)

医師にとっての定年って?

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自分は60歳になった歳に、屋久島へ旅をして縄文杉を見に出かけた。還暦という節目。現在では通過点の一つだが、半世紀ほど前なら祝福される高齢である。しかし千年単位で生きているものの足下にも及ばない。だからこそそう言った命あるものを見ることで何かしら感じ、学び、そして少しでも悟りたいと思ったのである。縄文杉にたどり着くまでにも千年以上の杉がたくさんあり、進む間に、時の流れが遅くなるような不思議な感覚だったことを覚えている。

人の世界にいると、人の価値観が一般常識となり、その中で個々の人生を歩み、目標を定め、幸せを求めたり夢を見たりして生きている。人間だけが特別な生命ではないと、医療を行い人の死を多く見ていると痛感する。死はすべての生き物に平等に訪れる。知識や知恵を持った人間だけが、その自然の摂理にそれなりの解釈や答えを求めてきた。自然界では現役を退くのは、概ね死を迎えるときである。しかし文明の進歩、いや医学の進歩と言って良いかもしれないが、その結果生命寿命のみが伸びて、健康寿命は伸び悩むと言った皮肉な結果になっている人間社会。死ぬ直前まで働いていたという話を聞くことはめっきり減った。

話が変わるが、私はこの歳になってもアニメが好きである。プロデューサー、監督、脚本他多くの人が関わる作品は、時に世界観や主張が微妙に異なることがあり、それを感じると視聴者は受け入れにくい時がある。しかしアニメの場合、原作、脚本、多くの場合原画制作まで一人のクリエーターが行い、たとえ子供だましと言われるようとも、その世界観や訴えたいものに一貫性があり私は好きである。そんなアニメだが、『葬送のフリーレン』というアニメをTVでも放送していたが、気に入ってネットTVで見ていた。人間の何十倍も長寿のエルフにとって、人の世界観を知るのは難しい。同時に人がエルフの世界観を知るのも難しい。物語は、フリーレンがかって勇者一行と魔王討伐のため旅した記憶を元に、新たな仲間と旅をしつつ人の価値観や世界観を理解していくと言った展開である。人の世界の中でのみ考え続けている限り、生命の本質を知ることは難しいと考えさせられた。

本題から外れてしまったが、医師、特に開業医に定年という制度はない。しかし認知機能が衰えた医師に臨床は不可能であり、手指の振戦が生じたり自由に動かせなかったりすれば手術どころか、一般の診療も不可能であり、引退を決意すべきであろYakushima08_1 う。葬送のフリーレンの中でも、旅をして十分に戦えなくなった戦士や魔道士は、後輩の育成をしつつ現役を引退して余生を生きている姿が描かれている。現役を退いた後に、人生を振り返られる時間を与えられたと考えれば老後という言葉は、まんざらでもないのかもしれない。

自由業でもある医師に定年はない。しかし病んだ人たちに立ち向かって、自分の知識と医療に責任を持って行う医療行為にはそれなりの覚悟や意欲が必要である。どこかに『もう仕方ないか・・・』とか『これ以上はむだか』といったマイナスの発想を抱くようなら医師はその責務を負うべきではないと私は考える。少しでも良くする、少しでも長生きさせる、そんな思いの上に医学は発展してきたはずだからである。

幸い、65歳を過ぎた私は、まだまだ地域住民のために自分の医学知識を役立てたい、少しでも受診された患者様の健康を守りたいという意欲がある。しかし引退を考えるべき時は近づいているのだろうなと思ってしまう自分を意識して、ふとこんなタイトルについて綴ってしまった。

 

 

 

 

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2024年4月24日 (水)

帯状疱疹ワクチンに関していろいろと。

Coffee_cap 帯状疱疹ワクチンがずいぶん普及してきた感がある。我が市は、帯状疱疹ワクチンも早期から助成が行われたためか、接種希望者が後を絶たない。やはり身近で帯状疱疹の人を見たり、発症して痛みなどで苦労された方の話を聞くと接種しておこうという考えになるのかもしれない。本日は帯状疱疹にまつわる話を、茶飲み話として半分程度で聞いてください。

まず、笑える話というか、臨床というものを考えさせられた話であるが、帯状疱疹に関して抗体(少し高度な話であるが、細胞性免疫)について文献を確認したくて、当院に出入りしている検査機関の担当の人に尋ねてみると、「持ってきます」と即答。頼りになるな~と思いつつ、届いた文献を見て唖然。なんと今から20年ほど前の日本語の極めて基礎的な文献だった。つくづく、臨床で患者さんに関わっているものと、検査機関といっても検査のみを行う会社に勤務しているものとの考え方の違いに驚いた。

35年ほど昔の話となるが、自分が医師となって直ぐに指導を仰いだ教授から「帯状疱疹を見たら、悪性疾患が裏にないか確認しなさい」と指導を受けた。つまり昔の人は幼少期に水痘に感染し、その後神経に潜伏するとはいえ、まず30-40代で子供から、50-60歳代で孫から水痘帯状疱疹ウイルスを再びもらうことで自分の抗体が維持され、悪性疾患でもない限り普通は免疫が保たれると考えていたからである。だからそれでも帯状疱疹を発症するようなら、免疫が落ちている、つまり悪性疾患を疑えと教わったのである。ご存じのように今は、核家族化し、孫との接触も少なく、またワクチンでの対応であり一度も水痘にかからず大人になる子供さんも増えている。抗体をワクチンであげておかないと発症する可能性が増え、悪性疾患が裏にあるなし関係なくなったのである。

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そういえば、昔勤務していた病院で、かわいらしい看護師さん(決して下心は持ってませんでしたよ)が、23歳で水痘感染して、私が主治医になって治療しました。高熱もですが、おいわさんのような状態になり皮膚所見が改善するまで退院したくない!と個室にこもっていたことを思い出しました。この看護師さんも、既に抗体は低下してきている年齢。いつ帯状疱疹として発症してもおかしくないのですね・・・。

まったくの自分の医師らしからぬ考えですが、確かに幼くして水痘に感染して合併症を生じることもあるわけですから、実際にかかるよりはワクチンで抗体を持った方が安全かもしれませんが、それだけかな・・・。自然に感染し抗体を持ち、また子供が、そして孫が感染した時にウイルスが再度侵入し、もっていた抗体が維持される。それって自然じゃないのかな? 人の命を尊び、個を尊重して医学が進歩することはすごく当然だけど、地球上、いや宇宙からの観点でそれが正しいことなのか?って考えてしまうこともある。

 

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2024年4月10日 (水)

コロナ禍は過ぎた...よね!?

Anichosinki_20240205175201コロナ禍はもう終わった、過ぎ去ったとお思いですか? いえ、何も専門的な知識を振りかざして、それについて語るつもりはありません。

桜開花が遅れたとはいえ、満開の桜の下でコロナ禍では出来なかったお花見を楽しみ、各地の名所や飲食店街の賑わい、フェスやライブの盛り上がり、そしてそれを伝えるTVやマスコミ。コロナ禍は終わったと感じてしまいます。

でも、一方で昨年末からのコロナ流行のいわゆる第10波は、4月になり減少してきたものの、9波に迫る様な多さだったし、現在もコロナで入院されている方も少ないがおみえです。そして発熱で受診される患者様の中には、問診予表の記入欄に『コロナかどうかを調べてください』と書き込まれる方が意外と多いのです。もちろんその反面、『もう検査はしなくていいよ!』とはっきりおっしゃる方も見えるのも事実です。

多くの微生物学者や医師が考えていたとおり、新型コロナウイルスは、変異を重ねていわゆる風邪化しているように思われます。広く人体に入り共存する。人々を殺傷して自分も滅んでしまうのではなく、風邪として人から人に感染を続けて、ウイルスが消えることなく存在し続ける。ウイルス本来の姿通り、徐々にそうなってきているように見えます。20161115

ところで、物議を醸し出したコロナワクチンですが、その接種回数と接種率の関係をご存じですか?ご想像のごとく徐々に減少しているのですが、特にオミクロンになってからの接種率が下がっている点を、私は注目したいと思いました。つまりα株やβ、δ株の時に比して、感染者数が増加しているにもかかわらず、致死率がインフルエンザと同じ、あるいはそれ以下になってからは接種率がさらに下がっていった点です。もちろん、世論や副反応の報告の影響もあるでしょうが、コロナに関して人々が、知識を高め、把握して接種をひかえたと考えるならば、既にwithコロナの対応に入っていたとも考えられます。

そして今、インフルエンザほどの特別な抗ウイルス剤がないコロナに対して注意しつつも、日常を取り戻している我々。実は既にwithコロナの中にいて、今こそ、コロナ禍からの出口の光に向かって歩いている状況なのだと私は勝手に思っています。

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2024年3月 8日 (金)

災害時の医療について考える


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2023年の夏に、三陸海岸を巡る旅をした。私的なことであるが、25年ほど前から日本中の灯台を巡る旅をしていて、2009年、つまり東日本大震災の2年前に同じく三陸海岸の灯台を巡っていた。2023年の旅は、前回2009年に巡った灯台をもう一度訪ねると共に震災について学び、復興の姿を見るためでもあった。

2023826iwaisaki03 私が住む三重県は、東南海沖地震では大きな被災が想定されている。そんな中、二年前から医師会の防災担当理事となり、既に災害医療コーディネーターの研修も受け、コーディネーターの資格も取得した。その研修で学び実習で行った経験や防災訓練で行う災害医療のシュミレーションは役に立つかもしれないが、大災害の場合には、想定など何の意味も無い。結局は自分で学び、その時には自分で判断し、行動しなければならなくなる。津波対策として三陸海岸沿いでは言われ続けてきた、各自で判断しとにかく行動するという教訓の言葉『てんでんこ』と同じである。

防災担当理事という肩書きであるが、実際には災害時医療担当である。災害が起こったときに少しでも被害を小さくするための対策を行うのが防災と考えれば、災害時医療は、対応が出来ている出来ていないにかかわらず、起こってしまった災害にどのように医療として対応するかである。既に災害時医療コーディネーターの資格を持った上で2023年夏に三陸で学ばせていただいたが、災害時に医療をどのように提供するかは、本当に想定など出来ない。例えば三重県の場合、基幹となるであろう津市にある三重大学病院は海岸のすぐ横に立っている。当然対策もされているであろうが、津波の被害があれば患者受け入れは、すぐには叶わず、通じる道だって通れないかもしれない。

ところで、災害医療コーディネーターって何をするかご存じでしょうか?もし災害が起きたら対策本部(多くは保健所)が設置され、そこに各自治体の各課の担当者や医療関係者などで、医療に関わる全ての状況を把握して施策や対応を決めて指示していく役割です。DMATなどの派遣医療スタッフが入るとしたら、どこに行ってもらうかを決めて指示を出したり、仮設トイレが〇〇県から20個提供されますとの情報があれば、どの避難所に設置するかなどを決めるのです。災害が生じると、人命を守るという観点から医療が全ての対策の中心となるので、責任は重大です。

どれだけ訓練や研修を重ねても、当たり前ですが被災状況は想定することは難しく、想定通りなどと言うことは決してあり得ません。一緒に対策してきたスタッフがそろうわけでも無い。自分だって被災で身動きが取れない可能性だってある。そんな当たり前ではあるが回避できない、想定できない状況で大切なことは、やはり各自が絶えず頭で考えていること、繰り返す研修や訓練の経験を生かすこと、そして正確な情報を集めて、対応するスタッフが共有することであると考えています。2023826iwaisaki07

二週間後にもう一度災害時医療コーディネーターの研修を受けてこようと思う。一日缶詰となる研修はハードなものであるが、以前と受講した時と同じ様な内容であったとしても、災害に同じものはない。少しでも違った環境、違ったスタッフ、違った想定での経験が本当に起こってしまったときの災害時医療に役に立つと信じて。

 

 

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2024年2月17日 (土)

身内にはどうしても・・・

Anichosinki

 

 私が住む、三重県亀山市は、人口5万程度の小さな街である。鈴鹿山脈をはさんで滋賀県と、そして県内の鈴鹿市と津市と接している。行政の施策はほぼ独立していて、医療関係でも独自の施策を展開している。在宅ケアシステムも、『かめやまホームケアネット』と言うシステムを構築し、近隣の自治体よりも早く始め、特色は行政が中心となり医師会はじめ多職種が連携参加するという形で作り上げた。作り上げたと書いたのは、自分が構想・構築の段階から医師会代表として自治体と協力して作ったという想いがあるからである。

とそんな自慢話めいたことを書きたいのでは無く、同じように認知症専門医がいない我が町では、認知症サポート医である自分に求められる診療以外のニーズも多い。認知症初期支援チームで、認知症と診断される以前のケースから関わることも多い。

以前このブログでも少し書いたが、アルツハイマー型の認知症で短期記憶が弱ってきた方でも感情は残るので、強い口調で何かを言えば、その内容は忘れても、強い口調で言われた(怒られた)は記憶に残る。だが、だからといっていつも笑顔でそれが出来ないのが身内である。我々のように外部から認知症に関わるものは、いつも優しい口調で認知症患者さんと接せられる。しかし身内となると難しい。わかっていても身内には強く対応してしまう。B0078675_2113145

在宅医療でも、時にネグレクトに近い対応をされるご家族もいる。自分で食べることが出来ないとわかっていても、それまでの家族間の関係から、どうしても介助や優しい見守りと言った対応が難しい事がある。逆にご自身で出来ることをご家族が過剰に介助してしまい、機能低下を更に悪化させてしまうこともある。

おそらくは、どのような関係で家族が生活されてきたか、が要因となるのであろうが、身内だからこその問題が認知症や在宅医療では更に目立つのは否めないところである。

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2024年2月 9日 (金)

昨今の薬不足など思うところ・・・

Anichosinki_20240205175201 今回は、私自身の個人的な考え方(まあ、普通ブログはそう言うものだが・・・)を、吐露させてもらう。

まず、ご存じだろうか!? 現在医療界では、薬剤メーカーなどからの名前入りのボールペンや名前入りのクリアファイルなどの提供は禁止されている。年末によく配られる広告入りのカレンダーも禁止されている。そんなの当たり前じゃないか!と言われそうだが、他の業界はそうだろうか?お得意様相手に(勿論、公的機関は除き)、企業イメージを兼ねたカレンダーを届けたり、広告を兼ねた名前入りのメモ帳や筆記具を配布したりはよく目にする。

確かに、どの薬剤を使用するかは、製薬メーカーとしては大きな問題であった時代がある。同じ成分や同じ薬効の薬剤を販売した場合などではなおさらだった。だから各メーカー競って、医師のご機嫌をとり、製薬メーカーや薬剤名の入ったボールペン、クリアファイル、眼鏡拭き、手提げ鞄、マグカップ・・・など配っていた。それでも成績を上げたいため、食事会や接待などまでエスカレートした時代がある。だが、似たような話は、未だにゼネコン関係や政治の世界では続いている。

今の医療界を考えると、製薬メーカーが苦労して稼いだお金で、新たな健康に寄与するであろう薬剤開発をしたくても、数年経つと製法特許が切れ、いわゆるジェネリック医薬品が出回り始める。それも、なんの研究もして来なかった、ただ作るだけの国内外の企業が製造する薬剤である。国はジェネリックを使え!使え!と、医療費を使ってる人(いわゆる患者さん)に、はがきで通知までする。多分このために何億かの予算が必要である。またジェネリックを使用する処方箋であれば、医療側に別に保険点数も付与され(つまり儲けが多い)医療機関はジェネリックを信用していない中、先発品からジェネリックに変更していく。結果莫大な開発費を投じて創薬した薬剤企業は売り上げが激減する。ある意味製薬メーカーは弱体化して新たな研究開発が伸びない。

別の見方をすれば、現在はジェネリックを使うのであるから、新薬以外は、コマーシャルしてもあまりメリットはない。当然そんな薬剤名を入れたボールペンを配る必要は無い時代と変化しているのである。20169222

だが、未だに医療界に関しては規制が厳しい。前述した過剰な接待などが横行した時代、実は政治とゼネコン、或いは政治と運輸関係などでも接待などが問題視された(現在も・・であるが)。言い換えれば政治家と企業であり、中には政治家と薬剤企業もあった。政治家はメスを入れると見せかけ、政治家ではなく、甘い汁を吸っているとして、医師と企業の関係改善に着手したのである。みごと世間の目はそちらを向いたと言わざるをえない。

まったく話が変わるが、芸能界の話であるが、楽屋では出演者に弁当が出るのは当たり前らしい。時には叙々苑の焼き肉弁当だとか・・・。それって当たり前でいいんでしょうか?この場合TV局などが、番組制作費としてスポンサーからの資金も含め予算の中から出演者に提供するのだろう。更に出演者はギャラももらえる。気持ちよく、良い演技してくださいね~、とか、次回も出演よろしく、とか、芸能事務所様にもよしなに~って意味で提供するのだろうか? でも、それって「この薬使ってくださいネ~、叙々苑の弁当つけますから」と何が違うのだろう。しかも医師は薬剤を買う側であり、出演してギャラをもらう側ではない。

さて、本題から外れてしまったが、結局医療界に賄賂や接待などの話題を押しつけ、未だに政治と金とで叩かれても、自分たちにはメスを入れようとしない政治家。それでも、今後の医療をどうするか!?は重要な施策。わかっているのだと信じて従ってきたが、医療界を見せしめにして自分たちは逃げようとする姿勢は、そろそろ堪忍袋も破れそうである。

そしてジェネリック会社に、創薬企業の様な高い志が無いとは言わないが、在るとも思えない。そんなジェネリックも数年前に製造過程での大きなミスを生じる事件を起こし、安全だけで無く信用も無いことが露呈した。その事件をきっかけに、薬剤不足が続き、更にコロナ禍などで、感染症に関する薬剤の需要が高まり、何もかもと言って良いくらい薬剤が不足している。だが、ジェネリック会社に社会的責務はないのか、増産すると言うこともしない。国がジェネリック使え使えと言い、創薬する企業の鼻っ面を叩くことをして、新薬開発の意欲も奪ってきた。そのジェネリックメーカーは不足を他人事のように見ているだけ。こんな矛盾が矛盾を生み、納得させられ続けてきた国民だけでなく、我々医療界も、そろそろぶち切れる限界に来ている。

 

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2023年10月13日 (金)

認知症、市民啓発講演会を続けて

Anichosinki

 

認知症。私は認知症専門医ではないが、我が町に認知症専門医がいないことや、在宅診療や介護関係の仕事を任されてきたことから、認知症サポート医と言う資格を取って、少しでも我が町のためにと励んできたつもりである。結果、認知症優先外来という時間を作らないとやっていけなくなるほど多くの認知症患者様を診させていただいている。

さて、我が町の行政も、高齢者医療への取り組みはしっかり行われていて、もちろん認知症施策も他の自治体に後れはとっていないと言える。当初から行政の担当者といろんな対策を行ってきた。どんな疾患でもそうであるが、その疾患を正しく知ることが大切であり、認知症でも同じである。かなり啓発されたとは言え、まだまだ認知症を理解されず、間違った認識で捕らえている人が多く、そう言った間違った認識しか持たないご家族の対応によって、認知症患者様の症状や病状を悪化させていることも多い。

そこで、やはり地道な啓発活動は施策の一つとして避けては通れない。そのために何度も何度も各地で講演会を開く。私としては、一番聞いて欲しいのは、これから認知症と関わる可能性が高いご家族であり、年齢で言えば、40歳から60歳代の方となる。しかし実際講演会を開くと、その会場に集まるほとんどの方が70歳以上の高齢者である。もちろん認知症に対する正しい知識を持っていただき、少しでも発症予防として役立てていただけることは目的の一つでもあり大切なことである。しかし、受講に来られた方の興味は、『どうしたら認知症にならないか・・・』と言う極めてシンプルな答えを求められる方が多い。こうしたら・・・とかこれを食べたら・・・と言った具体的な答えを期待される。その気持ちもよくわかるが、そう言った単純なものではない。Favorite-phote736

新しい認知症治療薬が承認され、早期のアルツハイマー型認知症にはそれなりの進行予防効果が期待されている。とは言っても、アルツハイマー型認知症の元凶と言えるアミロイドβの蓄積やタウ蛋白による変化は40歳以降徐々に生じているとされ、認知症として発症してから服用しても根治とはならないのは当然である。また発症する前から薬に頼るというのは日本人的発想かもしれないが現実的ではない。であるなら、いかに発症しないように生活習慣など注意するかは重要である。そして更に重要なのが、認知症の初期の段階で如何に周囲の人達、特に身内がどのように対応するかである。前述したように新薬により早期認知症で内服という一つの治療パターンが確立されるであろうが、全員とは行かない。副作用の問題や金銭的問題など課題も多い。であれば、やはり初期の認知症患者様への身内の対応は、発症予防と言うより進行予防には、とても重要となってくる。Afcd84dc658324f8e3e028d54d8c5f08_t

講演で用いるスライドのため「認知症患者を叱っている家族のイラスト」とネット検索すると相応するイラストは出てこなかった。表示されたのは、全て暴力を振るっている認知症患者や興奮して家族に抵抗しているイラストばかりであった。思い起こすと認知症が社会問題となった当初、メディアは認知症患者が家族の介護に抵抗して、暴力を振るっているシーンのビデオをよく用いていた。しかしこれは実は家人が認知機能低下した方へのこれまでの対応の結果として生じたものと言っても過言ではないのである。

誰でも、怒られる、叱られるのは嬉しくない。更に怒られる、叱られた内容は記憶から消える。しかし感情は別であり残っている。いつも怒られたり叱られたりする人、徐々に家族であろうが嫌いになっていって当然である。認知症患者ではなく、認知機能が低下した普通の人なのだから・・・。

そう言った事を、40-60歳代の介護する人に是非伝えたいと思って講演を続けている。

 

 

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2023年6月30日 (金)

看護学生の変化

Coffee-cap_20230628165401私は、ずいぶん長い間看護学校を教えに行っている。自分は毎年一つずつ歳を取っていくが、教え子は毎年18歳である(中には社会に出てから看護師を目指す子もいるが)。しかも男子は毎年5~10名程度で、ほとんどが女子である。確かに教えに行き始めた頃は、若い女性ばかりの教室に入る緊張があったが、年々それも変化してきたが、それ以上に感じるのは、少しずつであるが学生たちも毎年変化していることである。と言っても毎年新しい18歳に対しているのであり、その変化は世代の違いと言えるのかもしれない。

もう20年ほど前、教えに行き始めたばかりの頃は、組織力というか団結力を強く感じた。現在40過ぎの子育て後半戦に突入している世代であるが、個々の仲などは今の生徒と変わらないのであるが、何かイベントがあると、自然とリーダー的存在が現れて、個々の性格を超えたところで協力し合うのである。それが自然と動いていたことが印象深い。

10年ほど前の学生から感じたのは、個性である。現在30歳代になっている世代であるが、個々のキャラクターが、うまく表現できないが右に左に、上に下にとにかく強かった。すごく丸く人当たりのよい子もいれば、何にでも突っ張ってる子、すぐに感情的になる子など、いつの時代でもそう言った様々な子がいるのはわかるが、それが更に強く感じられる子が多かった357029007_6700886326621617_8486877668298

そして現在の子たちに強く感じるのは、内面的というか、自己アピールが少ないというか、あまり自分から進んで行動を起こさない子が多い気がする。能力はあるのに、隠すのではなく、出さないようにしている感がある。反面、意外と、と言うと失礼かもしれないが、すごく考えている子が多い気がする。コミュニケーションを取るのが下手というか、恐れているというか、そんな印象を持つ。(写真は2023年度の学生たち)

私は医学の各論以外に、医学概論も受け持っていて、その時代ごとの医療や医学の総論的な講義を担当しており、それは講義と言うより、私が知っている医療界の過去、現在、そしてこれからどのように変化していくかなどを、文献的な資料や過去の医療の問題点、そして現在の医療の姿などを実体験などを基にして話している。そんな講義の試験は、どうしても学んだ知識を問う問題よりも、考えを書かせる問題(結局点数を与えるのだから、問題とは言えないが・・・)が多い。答案の文面からも上記にまとめた世代の特徴があるように思っている。

後から、その時代を振り返って、下手に理屈や理由をつけることを私はしたくない。しかしコロナ禍の時代に多感な中高校生を過ごした事による影響がそこにあるなら、やはり我々が支えてやらなければ・・・と思うところである。

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2023年6月 8日 (木)

保険証に紐付け・・・

Coffee-cap_20230608110801 ITの変化について行くことは、確かに高齢者には難しいことが多い。USBと言われオロオロしていた高齢の大臣が、少し前にいたが、年齢と共に新しい技術について行くことは、単に慣れるとか理解を超えた難しさが高齢者には存在する。

1990年頃にレコードからCDに変わり、デジタルが主流となった当時の若者をデジタル世代と呼んだが、今考えてみるとその変化は微妙だった。デジタルと言っても、大きく使い方が変わったわけではなく、レコードやカセットテープがCDに、ダイヤルがプッシュに、アナログ表示がデジタルに・・・と、その違いがわからなくても機器を操作でき、その流れにも十分に乗れた。当時不満を言っていた人でも、いつのまにかCDやDVDと言った機器の操作に慣れ、テープ録画や録音から離れることができて、ある意味時代について行った。

しかしネットが普及したIT化では、端末を持ち歩くと言う概念、スマホなどを利用してITの世界に溶け込んでいくことには付いていけない人が多い。更にほとんどの人が60歳前には老眼が始まり、モバイル端末を使うことそのものに制限がかかる。ネットにつながり始めた頃にPCを操作していた人達であれば、端末としてPCを利用できる人は多い。しかしスマホとなるとうまく操れないと言う人は、私の周りにもいる。その原因の一つに、近いところが見にくい、つまり老眼があるのも確かである。Operation_smartphone_

保険証としての機能をマイナンバーカードに付与して、医療機関などで使用できるように2023年3月からなり、当院でも遅れることなく導入した。マイナカードを作って、紐付けさえしてあれば、カードとして提示するだけであり、高齢者でも使用に問題ないであろうが、今後、マイナカードを利用したサービスに高齢者がどこまで対応できるかはわからない。更に、昨今マイナカードに関する紐付けミスや誤入力など問題も生じていて、こう言ったトラブルは更に後高齢者を困惑させるに違いない。

きっと、マイナカード作成に関しては、ご家族やお孫さんなどの協力が必要であったはずである。受診されたご高齢の方で、マイナカードを持って見える方は、『マイナカード使えるのか?』と少し持っていることを自慢げに話される方もいる。ただ、受付の事務の子が、『保険証と紐付けしてあれば大丈夫ですよ』と対応すると、返事が返ってこないことが多い。紐付けという言葉の意味はわかっていても、カードと保険証がどうつながって紐付けされているのかを理解して使っているわけではないと思われる。

使えている者や使いこなしている者からすると、使えないことの理解の方が難しいのかもしれない。プログラム作成までもが取り入れられる教育を受けている世代がある反面、プログラム言語と言う意味すら、ご高齢者のほとんどが理解できないはずである。

漢文や古典を学ぶことが、否定された時代になったわけではない。しかし、AIにディープラーニングさせて答えや人が求める判断が可能となり、ほとんど全ての人が端末を持ち歩き、クラウドからいつも必要な情報が引き出せ、使える。そんな時代に流され押され、嫌でも使用しなくては生きていけないご高齢者の気持ちは若い人には、きっとわからないのだと思う。いや中途半端に使えている自分でもわかっていないかもしれない。

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2023年3月16日 (木)

車選びの話です。

Coffee-cap_20230316082001 私は、車を運転することが好きな方だと思う。30代後半から40代前半は、友人の医師に誘われ、中古で買ったスターレット(EP72)に、安全装備をつけてダートトライアルという自動車競技にも参加していた。と言っても本番に気合いが空回りする自分のテクニックでは、参加賞だけで止まっていましたが(笑)。また子供が生まれ家族で楽しむために買ったワゴン車では、家族全員が熟睡する中、夜間運転を続けてスキーや旅行に行きましたが、運転を苦痛と感じたことは一度もなかった。勤務医の時は通勤の半時間の運転が、そして開業医となってからは、産業医や看護学校の講義のための車での移動時間が本当に楽しく感じていました。

そんな自分も50歳代には、少し高級な外車を所有した。時代の流れもあるが、30代の頃まで世間では、外車を所有することが目立つ時代であり、少し皮肉を言われる様な時代だった。しかし自分が40代後半の頃では、世間も外車に乗ることが当たり前のようになってきていた。そんな中所有した車は、いわゆる運転することが楽しいスポーティな車であり、勿論マニュアルシフトだった。友人の医師が乗っている高級車と比較すると趣向も違い安価であったが、私としては楽しい自動車ライフを送れた。

2010年頃から徐々にCO2や環境問題もあり、2015年頃から、ハイブリッドが注目され主流に変わりつつあった。更に2020年頃から急激に電気自動車というカテゴリーが大きくなってきた。そんな中、昨年の2022年夏に車を選び秋に注文・・・つまり買い換えることになった。20221010ss01

悩んだ悩んだ。まだ、ガソリン車でも良いのでは?まだ老人と言われない間にガソリンのスポーツカーに乗っても良いのでは? いやいや時代はハイブリッドかな? 電気自動車が一気に増えてきてるよな・・・ 結局PHEVと言う選択をした。CO2に関しては、実は電気自動車は購入後はCO2排出しないが、生産で大量のCO2排出されており、更に化石燃料で電気を作っていたのでは実際環境問題はどうなんだ!と言いたくなる。しかし世間は明らかに電気自動車に移行しつつある。そんな中、毎日の移動距離が多くても50km以下の自分としては、充電で95km程度電気のみで走ることが出来るPHEVは魅力的であり、更に電気自動車としてのパワーもあり、発進加速などはガソリン車にないものがあり、走りも楽しめそうだと思ったのである。加えれば、SUVとして使い勝手の良さやスタイルの良さももちろん選考基準であった。

2023年3月に、当初納期は一年と言われていたのに、半年でT社のSUVのPHEVが納車された。しばらくじっくり味わいながら楽しみたいと思う反面、この選択が良かったのかどうかも徐々に明らかになってくるはずである。(まったくの自分事をつらつらと書いてしまいました)

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