« 専門外の判断 | トップページ | ぶっちしてしまった接待・・・もったいない?! »

2011年4月27日 (水)

新学期早々

Coffee_cap 今年も看護学校、及び介護福祉専門学校の講義が始まった。毎年思うことであるが、夢に向かって希望に胸を膨らまし、学ぼうとする若人の姿は気持ちがよい。目の奥が輝いている、などと表現するが、まさしくそんな目をしている。しかし、そうではない子たちも毎年何人かはいる。「とりあえず資格を取っておきなさい」と肉親に言われ・・・とか、とりあえず親に勧められたから・・・などと入学の動機を語る。現実的と言えばそうなのかも知れない。

そんな学生さん達の中にも、夢破れ、挫折して途中退学していく子が毎年数人はいる。私が講義をするようになってから十数年経つが、この間に退学していった学生さん数人と話す機会を持ったことがある。勿論その時は在学中であり、相談という形で悩みを聞かされたのである。不思議なことに辞めていった子たちが語っていた内容は、ほとんど同じなのだ。『勉強していても夢中になれない』、『私が目指しているものと違う気がする』、『このままではダメなような気がする』など。そして、「では、どうしたいのか?」と尋ねても具体的な次の目標や辞めるに至った明確な理由を語る子はいない。どうにか真意を探りたくていろいろ質問するのであるが、どれも言い訳のようにも聞こえてくる。少し意地悪な気持ちで捉えると、その子たちは逃げているようにしか思えないし、逃げるための同意を求めて相談に来ているようにも思えてくる。

とりあえず資格を・・・とか、親に言われて・・・と言った子達が、退学していくわけではない。逆にそんな子たちの何人かは、途中から目が輝きはじめる場合もある。むしろ入学当初に目が輝いていると感じた子達の目から輝きが消えていることの方が多い。この子たちの目から輝きを消してしまったのは、私たち教育者の責任だと感じずにはいられない。夢を持つことと、夢に向かって進むことには大きな違いがある。理Awajityuurippu想とも言える夢見た姿(この場合看護師や介護福祉士の像であるが)にたどり着くまでの積み重ねられた苦労は、夢を目指している子達から見ると、夢に向かうための物とはかけ離れた苦労であるように感じ、時として夢の実現のために必要なものとは思えなくなるようである。もっと平たく言えば、今の苦労が夢につながると知りつつも、苦労から逃避するために、夢につながっていないと理解し始めるのである。だからこそ、その苦労の意味を真に理解させて支え、その先に夢見た姿があることを信じさせてあげることも教育者の大切な役割だと感じてしまうのである。

ゆとり教育の欠点などと言われるが、夢に向かって進みたいという子たちの思いは、今も昔も変わらないはず。大人達の教育方針が故に夢にたどり着くための要領が下手になっているのであるとすれば、それをしっかり支えてあげるのも大人の役目なのだと、若い時にしっかり苦労してきた自分であるが、生意気にもそう感じてしまった。

|

« 専門外の判断 | トップページ | ぶっちしてしまった接待・・・もったいない?! »

まったくの雑談」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 専門外の判断 | トップページ | ぶっちしてしまった接待・・・もったいない?! »