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2016年7月に作成された記事

2016年7月 7日 (木)

誰かが語った話のみを受け入れますか?

Coffee_cap 先日、ある介護関係の方が、急を要するような勢いで、私が診ている認知症患者様のことで電話されてきた。『〇〇さんが、入浴するのは嫌だと騒いで、職員に手をあげたんですよ。そんなことの無いように、精神科受診させるか、鎮静剤か何か処方していただいて、おとなしくするようにして下さい。』

介護の現場では良く聞く話ではあるが、何とも情けない内容であり、認知症としての問題行動などに対しての根本的な対処が問われそうである。と言って本日はそれを語りたいのではない。
結局この認知症患者様の入浴時の興奮は、いつものお気に入りの職員さんじゃ無かったからである。でも、事実だけを聞くと、認知症患者様が興奮して暴行した、となってしまう。
世の中ではこう言った事は当たり前で有る。にも関わらず、事実だけを取り上げて賞賛したり、酷評したりしてしまうことが多い。仮に自分がその一部始終を目撃していたとしても、それは事実であって、真実とは言えない。両親が病気で、寝ずにバイトして看護学校に通い続けている生徒、講義中はうとうとしていることも多い。その事実は居眠りであるが、その環境を知れば、皆さんも私と同じように、注意することも少しためらってしまうのではないだろうか?
TV番組で、ずっといじめられてきたり、冷たくされたりと言った自分にとってつらい状況が、何らかの出来事や他人の関与によって一変して、最後には自分の立場が良くなったり、認められたり、いじめてきた相手が責められたり・・・と『スッキリ』するというドラマ仕立ての番組を見たことがある。いかにも日本人が大好きな展開であるが、もしこれが一つの事実であるとすれば、既に一方の事実しか取り上げていないわけであり、真実は大きく異なるかもしれない。こう言った一方の事実のみを見せて、信じさせて、スッキリ感を味わっているうちに、自分に都合の良い事実だけを受け入れる人間が増えるのではないか?とさえ私は思ってしまう。201677
特に、陰口や噂話をまともに信じて、さも全てを見てきたかのように語る人がいる。また、ある一人に何かを伝えたい時に、わざわざ第三者にその話をして伝えようとする人もいる。これもまた日本人的かもしれないが、事実が大きく真実から離れてしまう結果となる。
もともと真実は多面的で有り、多くの事実によってなり立っているはずであり、見方によって大きく異なる。一つの方向から捉えた事実は、真実とは、ほど遠いこともある。
さて、あなたは誰かが語った話のみを真実として受け入れますか?

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