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2017年6月18日 (日)

水面に映る

Coffee_cap 今回は、医療とはまったく関係のない話になるかもしれない。と思いつつ書き始めた今回のブログ。

実は、これまでも紹介してきたが、ここ数年、在宅医療と認知症に力を入れている。必然的とも言える状況から、自分も中心となって動かなければ我が町の高齢医療が崩壊すると言った危機感も有り、医師会の理事に選出されたこともあって、この仕事に力を注いで、行政とタッグを組んで多くの施策にも力を入れている。
実際、認知症も在宅医療もアカデミックでスマート(表現が間違っているかもしれないが)な医療ではなく、多職種との連携や家人との関係構築も重要となり、手間暇ばかりが増える。医術を施し、医学知識に沿って加療すると言った医療では、いわゆる雑用は思いの外少ない。それだけに、多くの開業医が、認知症や在宅医療に一歩踏み出せない理由ともなっている。実際、認知症や在宅を親身になって行っていることが、多職種の間で知れ渡ると、前向きのケアマネさんなどは、私への受診を勧めるためなのか、認知症の患者様がこの数年で激増した。しかし、認知症の患者様が増えて喜ばしいことは何も無い。ただ時間と手間がかかる。別の言い方をすれば、その間一般の患者様の診療が中断してしまう。そのため土曜日の午前11時から13時半までの間を認知症優先外来として、予約診療を行うようにして一年近く経つ。
昨日の土曜日も予約の認知症の方が4名受診されたのだが、最後の方が一番進行していて、問題行動も多い。鏡に向かって自分に挨拶をしたり喜んだりけんか腰になり、鏡に手をあげることもある。そんな方を診終えて、診察を終了した。20176182
次の日の日曜日が午後から日直当番であったため、急に美しい光景の中安らぎたい気分になり、車を跳ばして京都に向かった。新名神が直結する我が亀山市から京都は1時間である。京都東インターを降りると、大原三千院に向かった。着いたのは16時。閉門の17時半まで、のんびりと庭園やあじさいを楽しんだのだが、水面に映る木々を眺めていて、そこに自分の姿、と言うより人の姿は映って欲しくないと思った。
京都の山奥の三千院。静寂の緑に包まれていると、ただその中に溶け込んだ存在になりたくなる。人の存在を感じたくない。水面に映る緑を見ていて、鏡に映る自分と対応する患者様のことを思い出していた。20176181
自分は、人の香りがするから、自然の中に立つ灯台の姿が好きなはずである。しかし人の中にいて、人の悲しさを感じる日には、自然に溶け込んでいたいと感じた。やはり少し疲れていたのかもしれない。

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