カテゴリー「昨今の医療情勢」の記事

2014年5月24日 (土)

本当にいいんだろうか?

Anichosinki 先に断っておくが、決して批判的な意味でこの記事を書いているわけでは無い。ただ本当にそれで良いのだろうか?と言う素朴な疑問が生じてまとめてみただけである。

ここへ来て、糖尿病の新薬として、SGLT2阻害薬が次々と発売されている。糖尿病は現在国民病とも言われ、診断がなされている患者様だけでも2000万人を超えており、潜在的な患者数はもっと多い。
本来日本人はインスリン分泌機能が白人に比して劣っている。医学的な事をここで書くつもりは無いが簡単に説明をすると、インスリンは血糖を下げるためでは無く、人が糖分をエネルギーとして利用するために必要な物質である。利用された結果として血糖値は下がるわけである。従って、インスリン分泌能が劣った黄色人種は西洋人のように、食べたからと言ってどんどん太れるわけではなく、その前に糖尿病を発症してしまう。しかしだからと言って、インスリンが多ければ良いというものでは無い。高インスリン血症はメタボリック症候群同様動脈硬化を引き起こし、血管障害による疾患を生じる一因である。
日本人はインスリン分泌能が悪かった上に、近年はこの高インスリン血症状態で見られるインスリン抵抗性の要因が増えてきている。
肥満、運動不足、摂食量の過剰、高カロリー食、不規則な食事、ストレスなどがこの原因で有り、単純に言えば、これらをしっかりと改善すれば、治るわけでは無くても、糖尿病の管理(血糖コントロール)はある程度可能である。しかし、それが出来ないのが現代人。わかっていても食べるし、わかっていても運動不足が続き、ストレスにさらされる。
SGLT2阻害薬はこう言った方には、確かに効果的な薬剤である。簡単に言えば、摂取し過剰となった血糖を尿中に放出して血糖を下げるのである。(この薬剤を服用している糖尿病患者さんが、もし立ち小便をすると、近くにいる蟻は思わぬ糖分にありつけることになる。)これまでのインスリン関連の治療薬とは一線を画する薬剤であり、未知数ではあるが効果は大いに期待されていて、おそらく自分もこう言った方々には、使用せざるをえないであろう。B0078675_2113145
しかし本当にそれで良いのだろうか?人類の歴史上、これほど急激に食生活のみならず人の生活環境が変化した時代は、かつてなかったはずである。食生活環境、運動環境、対人関係、ITの進歩等々。これに対応できない人の体や精神によって急激に生じてきた糖尿病、高血圧、脂質異常症、鬱病、などなど。それを生化学的な現代の技術で対応している。
本来何万年とかけて進化してきた人の体の仕組みでは対応しきれなくなった現代が生んだ新たな疾患に対して、小手先の姑息な技術で誤魔化しているような気がしてしまう。医師が書くべき事では無いが、本当にこれでいいんだろうか?
とは言え、自分の患者様には少しでも良くなっていただきたいから、薬剤を使用してでも治療を続けるのも間違いない。

| | コメント (0)

2014年3月12日 (水)

いよいよ稼働する在宅医療システムについて(その1)

Anichosinki  またまたブログ更新に時間がかかってしまった。自院での診療が忙しいという理由も少しはあるが、二回前のブログで取り上げた在宅医療システムがいよいよ運営を開始するにあたって、何かと時間を奪われていたからである。本当に言い訳がましいが、このための準備や雑務は半端ない。

さて、在宅医療という概念は古くからあったが、これまで時代はそれを求めておらず、病気になったら入院加療、死期が近づいたら病院で加療を受け、最後は病院で、と言うのが普通だった。まさかこれほどの高齢社会になって、医療保険がパンク寸前で、更に死を迎える病院のベッドが不足する時代になるとは、医師になって研修を積んでいたときには考えることも無かった。その後勤務医として病院での医療を行っているときですら同じである。在宅医療を意識し始めたのは、父の後を継いで開業医となってからのことであるが、それでも当時は、往診であり、在宅医療システムと言ったものではなかった。20143123
往診と在宅医療は別物である。わかる人から言えば当たり前のことであるが、区別されていない人がまだ医療従事者の中にもいる。ましてや一般の方をや、である。
『これからは、在宅医療が中心となるらしいから、風邪をひいても医者の方から来てくれるらしいよ』などとネット上の書き込みを見たことがある。もちろんこれは往診業務で有り、おそらくはほとんどの医師がこの手の往診は受けないであろう。
20143122 私の父方の祖父母は、お二人とも自宅で息を引き取った。医師であった父は、入院させずに自然な経過を選んだのである。祖父の時は大学生で遠方にいたため詳細は知らないが、祖母が逝ったときは、当時中学生だった。その時の私が記憶している死までの症状は、医師となった今推測すると、間違いなく脳卒中であった。普通突然意識障害を生じて麻痺もあれば、救急入院であるが、父は何もせずに、床に寝かせた状態で経過をみた。食事も飲水も出来ないので有り、呼吸も不安定だった。結局倒れてから二日後に、祖母は駆けつけた親族みんなに看取られて他界したのである。私が主治医であれば、間違いなく入院させていたはずであるが、結果延命は図れても、死は免れなかったであろう。
私が医師になって数年した、あるときに、父にそのことを尋ねてみた。先端医療のみに目を向けた医師では無く、患者様を診るという臨床医として経験も積み始めていた自分であり、その答えはある程度予想出来るものであった。しかし、それを話す父の口調は、医師では無く、祖母の子供としての言葉だった。20143121
『意識も無く、呼吸も不安定。広範囲の脳出血だと思った。CTもなく根本治療どころか診断も難しいあの時代だぞ・・・。もう無理だとわかった時点で、畳の上で、住み慣れた我が家で、自然に逝かせてあげたかった。あの頃はそれが普通だった。』
これからの時代の中で、在宅医療システムで出来ること、求められていること・やらなければいけないこと、そして在宅医療システムと、システムが付いている理由をまとめてみたい。

| | コメント (0)

2013年11月14日 (木)

医薬品メーカーの力を・・・

Coffee_cap またまた更新までに間が空いてしまったが、今回は、体制に逆らうような内容をまとめてみた。それぞれの立場、環境、境遇によって考え方が異なる問題で有り、あくまでも私個人の意見として受け入れていただきたい。

本日診療中、初診の患者様が、訴えを話されるよりも先に、一枚のカードを出して私の目の前に置いた。健保組合から発行されている、「私はジェネリック医薬品を希望します」と言った内容のカードである。

少しでも医療費の負担を軽減することは、一般の開業医であれば誰もが考えるところであり、こう言ったカードを提出されるまでも無く、問題ない範囲でジェネリック医薬品などを使用して負担を減らすようにしている。しかし中にはジェネリック品に譲れない薬もあり、あえて先発品を使用し続ける場合もある。

ジェネリック品は先発品と同じではない、と言った事実を認識されている方は多くない。薬効となる成分は同じでも、その他の組成や外層部などが全く異なる場合が多い。先発品の薬は多くの時間をかけて開発し、治験を行い安全性を確認して発売する。更には市販後調査で副作用などの安全性を確認している。また、効果のみならず、有用性などの多くの検討がなされ、学会に報告されている。薬効となる成分のみが同一だからと言って、ジェネリック品特有の副作用を生じる可能性もあれば、ジェネリック品だから生じる効果の不十分さもある。そして何よりも、ジェネリック品にはそう言った効果や副作用の調査報告は行なわれていないのが現状である。と言うよりも、そう言った情報を、処方する側の医師や薬剤師に提供されていないのである。

極端な例えで言うなら、由緒ある農家が育て、国産の小麦粉を使用して揚げた茄子の天麩羅が先発品だとすれば、同じで茄子でも普通の畑で取れたものに、遺伝子組み換かもしれない小麦粉、更には適当な油で揚げた茄子の天麩羅がジェネリック品である。Kusuri_2

と書くと、反論異論もあるであろうし、また誤解を生じるかも知れないので、本当に言いたいのはそこでは無いと言うことをここで強調する。私がここで書きたいこと、言いたいことは、ジェネリック品の悪口では無く、日本の新薬を開発しているメーカー、そこに勤務する研究者たちの事を考えていただきたいのである。

日本は、これまでに数多くの新薬を研究開発して世に放ってきた。各製薬メーカーで研究する薬理学者の努力は凄いものである。一つの着眼点から新薬となる可能性を何十年も研究する。それでもほとんどは新薬として発売となることはないのである。それでも研究者達は必死で研究を続けている。しかし、政治のつけでしわ寄せ的に誰もが必要と考えるに至った医療費削減。安価な物を使用するようにしないと結果、自己負担が増える。このため、誰もが安いジェネリック薬品を使い、そんなジェネリックメーカーが国内のみならず海外からも進出してきて、今や日本の新薬医薬品メーカーは大ピンチである。そんな中、予算を研究費に回すことが出来なくなった新薬メーカーは、どうやって新たな薬を研究、開発すれば良いのか?事実上本当に難しくなってきている。独創的で先進的な日本ブランドの新薬が登場することは近年無くなってきた。それだけではない。製薬メーカーで研究開発を行なっていくだけの収益を十分上げているのは、ほとんどが欧米の企業である。日本の製薬ブランドはどうなってしまうのだろう?

MADE IN JAPANの薬品。私は信頼に値するものであると思うし、研究を続ける研究者達は日本の誇りだと思っている。いつまでも医薬品の世界で、日本が先端にいて欲しいと思うのは、私だけだろうか?

| | コメント (1)

2012年9月 3日 (月)

専門馬鹿

Anichosinki 元、精神科医だったある医師が、根っからの話し上手が転じて、医療の話題や精神衛生の講演を中心とした職に転職された。その方と数人で、座談会形式で話をしたことがある。

その時に、その方がこう言い切った。『医者ほど専門馬鹿はいない』と。確かに医者は医療界と言う、ある意味閉鎖された世界を中心に生きており、しかもその世界ではいわば親分。どうしても、その世界を中心に物事を考えてしまう傾向が強く、更に一般常識に乏しい人が多い。とは言いながらも、昨今の医師は、昔ほどかたくなではなく、良い意味で言えばフレキシブル。悪い意味で言えば職人気質に欠けるかもしれない。だからこそ、専門馬鹿は減ったように思っている。

と偉そうに自分がそのことを語れるのか?と尋ねられたら答えはノーだろう。私としてはかなり一般常識を持った人間であると思ってはいるが、それでも政治や経済、一般常識よりも、やはり医学的な知識を元にして考えることが多いかもしれない。

だがそんな私があえて声を大にして言いたい。私なんかよりもっともっとずっと、専門馬鹿な医者がいるし、多い。そして大半の医師の専門馬鹿は、そのことに全く気づいていない。自分の行なっている専門の科でのみ患者様を判断し、自分の専門以外の科の実情すら知ろうとしない。自分が行なうべき専門的加療を100%行なっていたら、それで患者様をしっかり管理していると信じ切っているのである。201293

時としてこう言った専門馬鹿の医師は、互いの科で、争いとも言えるいがみ合いを行なう。自分の行なっている医療に間違いが無いからであろうが、それが全てじゃ無いことに気づかないために、互いの立場が理解できないのである。もっと大局的に言えば、医学に関係ない世界の実情など把握も出来ないくせに、他の世界を平気で批判したりするのである。あらゆる事柄を、医療を中心にしか考えられなくなっているのかもしれない。

熱くなってしまった。専門馬鹿の要因は、実は相手の立場に立って物事を考えられないという単純なことから生じているのかもしれない。つまりは自己虫なのか・・・。


| | コメント (0)

2012年7月 2日 (月)

在宅医療について考える

Anichosinki 少し硬い話となるが、先日TVで精神疾患患者様の長期入院を取り上げ、在宅医療への移行について、その問題点の多さを挙げていた。精神疾患に限らず、認知症、脳卒中後遺症、その他高齢者に認められる機能障害を伴う疾患なども同じであり、昨年度から在宅医療が強く叫ばれはじめ、各自治体や郡市区医師会もそれに向けて対応を迫られ、既に稼働している所もある。

私ごとであるが、今年度から行政と協力して認知症の対策・対応に取り組んでいる。認知症という、今後高齢社会の中で、本人だけで無く、家族をはじめ周囲の人も影響を受ける疾患を啓発し、理解し、対応していく必要があり、単に表面上のシステムを作るのではなく、根底にどのような理念を抱くかは、同じ対策を行うとしても重要であり、その意味合いによって対応は異なってくる。

具体的に言えば、認知症となった患者様の人権を何よりも尊重して対応するのと、介護していく周辺の方々の環境を整えるのとでは、おそらく大きなギャップが生じるはずである。

私は、開業医として二代目であり、父が昭和40年代以後開業医として活躍する姿を見てきた。当時は自家用車を持っている人も少なく、風邪でも往診していたが、当然、現在在宅医療と言われる対応をはじめ、看取り医療なども数多く行なっていた。点滴をするわけでもなく、今では意味があるとは思えないビタミン剤入りのブドウ糖の注射を行ないつつも、自然のまま亡くなられていく患者様を父は看取っていた。

201272hasu

現代の様に、食事や娯楽同様に医療も濃厚に提供されるのが当たり前となり、更にネットで何でも調べることが可能な時代に、はたして積極的な医療を何も行なわない看取りの医療が成り立つかどうかは、はなはだ疑問である。上記したような認知症の対応と同様に、根底の理念が何処にあるかが重要となるはずである。

精神疾患患者様は、退院されると内服の中断率が高い。統合失調症などを患っておられる方では、内服しなければ幻覚などに悩まされることも多く、これが理由で想像すら付かない犯罪につながってしまう可能性もある。それでも、そのリスクを納得してでも在宅を目指すべきなのか?全く関係ない方からは、危険だから入院させておいて・・・などと言う声も聞こえてきそうである。

在宅医療の話題を語る前に、根底の理念を明らかにして、それをしっかりと我々が理解し、またそれぞれの対応の目的、問題点などを共有していかなければ、いずれ新たな問題が契機となり、増税と同じくマニフェストを改めなくてはならない結果につながるとしか思えない。

| | コメント (0)

2012年4月24日 (火)

国の思う通りには・・・

Anichosinki 4月から医療保険点数が改定された。と言っても一般の方々にはあまりなじみも無く、何なのかを知る人の方が少ないと思う。簡単に言えば、医療行為や薬剤に対しての報酬の金額を国が決めており、その変更があったと言うことである。

今回の目玉は、在宅医療の充実と言うことで、在宅での医療行為に対しての報酬が引き上げられたことである。簡単に言うなら、在宅医療を行えば以前より儲けが良くなると言うことだ。こうすることで、多くの医療関係者が在宅医療を前向きに行うようになって、将来的には在宅医療が充実されるであろう・・・と国は考えて報酬を上げているのである。そんなことは医療関係者であれば誰でも理解していることだ。

介護保険が設立され、介護に関わる報酬が増え、当初はその配分も良かったことから、急速に介護事業者が増えたことは記憶に新しい。医療界における将来的な展望を国は考え、その路線を固めるために保険点数改定で、充実させたい分野の診療報酬を引き上げるのである。

しかし、介護保険がその後どうなったか現状をご存じの方も多いはずである。ある程度介護施設や介護福祉従事者が増えてくると、徐々に点数(つまり報酬)は引き下げられ、今では経営に苦しんだり、介護職を続けられない人も増えてきている。

私は、これら国の策を非難するつもりはない。今後の展望を検討し、その方向に向けるために報酬を良くすれば、事業者や従事者がその方向に動くはずであり、どんな対策よりも効果的であり、更にその過程で問題Tutujiが生じても、国が直接責任を問われることは少ないはずだからである。

しかし、私は介護保険であろうが、在宅医療であろうが、あるいは改定による薬剤の値上げや値下げなどに振り回されるつもりはない。自分が良かれと考える医療を行い、患者様のためを考え、信用できる薬剤を用いて医療を行なって行くだけである。既に通院が困難な患者様に対して、私ができる限りの範囲で在宅医療も提供しているし、介護保険制度が発足してからは、開業医として出来る限りのサービス提供や協力も行なってきた。薬剤の値段が改定されるからと言って、利益が上がる薬剤に切り替えたりもしない。安定している患者様では、包括点数の方が利益が良いからと言っても、患者様の負担が増えるのであれば、これまでの点数を続けてきた。

多くの医師がそうであるように、私は、国の診療報酬改定に合わせて医療方針を変えるつもりは毛頭ない。

| | コメント (0)

2012年3月27日 (火)

まだまだ認識されていない認知症

Anichosinki 今回は、少しまじめな話題である。『認知症』、この言葉を知らない人はいないですよね。現在80歳以上の4人に1人は認知症と言われ、今後も増加が予想される疾患である。以前は痴呆症と言っていたが、認知症と名前が変わった背景には、痴呆という差別用語を用いないだけじゃ無く、疾患への理解が医療界で深まったこともある。いわゆる認知症は単にボケでは無いと言うことであり、人が健全に生きていくために、記銘力を支柱とした様々な事項に対する認知機能が必要であり、認知症ではこの機能が障害される。結果人間関係や時間、空間の理解などを失ってしまうのである。

認知症の人は、認知症とは決して言わない。周囲の人が気づいて初めて医療機関を受診することが多く、一般的にその時点では軽度を少し通り過ぎて、中等症にさしかかった状態のことが多い。こう言った状況を改善するためには、一般の人たちに認知症を啓蒙する必要がある。しかし、認知機能障害そのものを理解してもらうことは困難であり、一般にBPSDと言われる、認知機能障害に伴って生じる問題行動を気にして初めて家人は認知症を意識する。

認知症の初期で、ただ記憶力が低下していても、家人の指示に従い、温和に生活することが可能であれば、一般に家人は問題意識を持たない。しかし、徘徊や暴言、作話などが生じると家人は『ボケてきた』として医療機関に連れて行くのである。つまり問題となるBPSDと言われる状態が生じなければ、認知症は放置されることが多いのだ。

ところが認知機能障害は確実に進行し、やがては温和な生活が困難となりBPSDの症状に家族が振り回され出すのである。現代の医療では認知症を治すことは不可能であるが、いくつかの薬剤が登場し、進行を遅らせることが少しではあるが可能になった。そして薬剤のみならず、生活環境や家人の対応の改善、あるいはリハビリ施設の利用などを早期から行うことで、認知症の進行を遅らせることも可能となりつつある。認知症となった人が、天命を全うする間、認知症やBPSDと呼ばれる症状で本人のみならず、家人も苦しまなくてすむかもしれないのである。(本人は、認知症となると周囲が苦しんでいることも理解できなくなるのだが・・・)Yuzu1

とは言え、現実にはそんな簡単ではなく、認知症をまだまだ誤解している方も多く、我々医療界も、もっと啓蒙活動に力を入れなくてはならない。

昨日孫と妻に付き添われ受診した高齢男性。数年前から徘徊したり、食事したことも忘れて騒いだりしていたが、付き添ってくる妻はその症状を受診される度に何度も何度も同じように繰り返して訴えてみえた。ただ詳細は孫から聴いていたのであるが、あまり毎回同じ訴えをされるため、妻に少々具体的なことを尋ねてみたのだが答えは返ってこなかった。と言うよりも答えられなかった。いくつか質問をすると認知症が十分疑えたため、受診の希望もなかったのであるが、失礼を承知で妻に認知機能検査を行った。結果は、ご主人よりも認知機能が障害されていたのである。ただただ、その結果に付き添ってきたお孫さんが驚いていた。

| | コメント (1)

2010年2月 9日 (火)

マスコミの報道とマスク着用率

Anichosinki めっきり、新型インフルエンザの話題がマスコミから報じられなくなった。既に20歳以下の感染のピークが過ぎ、絶対数が減った今、大人の感染状況は余り変わっていなくても、報道する価値がないと判断しているのであろう。我々地域医療の前線である開業医にとって、こんな状況は困惑するばかりである。

つい1~2ヶ月前までは、『いつになったら、新型インフルエンザワクチン接種していただけるんですか?』と問い合わせが多く、その対応に追われていた。国から配布されるワクチンも、小出しでしか届かず、実際届くまでその本数もわからず、接種の予約すら取れない状況であった。それが今は、マスコミのインフルエンザ報道からの撤退?に伴い、ワクチンを受けようと考える人が激減し、予約されていた方のキャンセルも増え、今や国産ワクチンすら余って来始めている。

と、愚痴はこれくらいにして、マスコミの力が如何に大きいかという事実を物語るデータ(と言Photo っても大したものではないが・・・)を一つ紹介する事にしよう。私は、未だに手書きカルテを使用しているのであるが、とにかくたくさん書き込む。必要な医学情報以外に、患者さんの雑談や気になった点などもすぐに書き込む癖がついている。そこで、昨年夏以降、つまりインフルエンザが流行って以降、風邪症状で受診した患者さんを除いて、マスクを着用して来院した方に印を付けてみた。すると、以下のような状況であった。

8月:15% 9月:10% 10月:75% 11月:78% 12月:55% 1月:8% そして2月は5%未満であった(随意の一日のデータ)。高血圧や糖尿病のいわゆる安定した患者様から得たデーターであり、このマスク着用率は、一般の方々の同行とほぼ同じと言える。

1028musk これと照らし合わすようにマスコミの報道を思い出してみると、8月頃は、まだ実態がはっきりしない新型インフルエンザに対する恐怖の内容が多かった。9月になって徐々に学生の間で感染が拡大している状況が報道されていた。そして10月頃からは、連日のように感染拡大の報道に加えて、ワイドショーなどでは、マスクや手洗いの重要性を伝える特集も増えてきた。11月に入ると、さらにその状況が拡大し、新型インフルエンザの言葉を聞かない日はなかった。同時にマスク不足などの報道も加熱し、マスクのみならず、手洗い消毒薬の不足なども報じられた。12月頃からその数が徐々に減り始め、報道の中心はワクチン接種の状況に変わっていった。年が明けてからは、ワクチンの情報がちらほら流されるくらいで、ほとんど感染状況の報道は無くなり、当然その脅威や対策に関する報道もされなくなった。そして今や、報道そのものが影を潜めている。

新型インフルエンザに対して断言はできないが、これまでパンデミックを起こしたウイルスがその後の季節性インフルエンザとして流行する歴史から見ると、小さな変異を繰り返しつつも、今後も流行する可能性が高い。であれば今年ワクチン接種を受けて、何らかの免疫を獲得しておくことは意味があることと考えられる。しかし、既にマスコミの熱も冷めてしまっている現状では、人々にそう言った考えを持っていただく機会もなさそうである。

諸説の中、国が購入した輸入ワクチンが無駄になるどころか、慌てて製造された国産ワクチンすら十分に活用されない可能性も高いのではないかと、いち開業医としても危惧する。

| | コメント (0)

2009年9月 2日 (水)

健康な人ほど・・・

Coffee_cap少し客観性に欠けた内容なので、迷ったのであるが、所詮お気楽な茶飲み話のブログである。書いておくことにした。
新型インフルエンザの流行に伴って、おもしろい事実に気がついたのである。おもしろいと言うのは間違いかも知れない。興味深いと書くべきだろうか。
それは、健康な人ほど積極的に対策を取り、情報を求めて来るという事実である。新型インフルエンザに対するワクチンについての接種優先順位はどうなっているのか?や、通年型のインフルエンザワクチンはいつから接種できるのか?とか、もし自分が感染を疑ったときには、何処に行けばよいのか?などの対応などを尋ねてくるのは、たとえインフルエンザにかかっても、十分に自己の免疫力で完治できそうな人ばかりなのである。逆に出来ることなら、新型インフルエンザワクチンがあれば、接種しておいてあげたいと考える人や、感染を防ぐための指導を行いたくなるような人からは、そう言った話題すら持ち上がらない。

これは、何を意味するのだろう?

普段から、健康を意識している人であるからこそ、今も健康であり、そして新たな健康維持 のための情報に耳を傾けるのであろうか。あるいは、健康ではない人は、健康のための情報にどん欲さがなく、健康への取り組み方が乏しいから健康069inaho1を維持できないと考えるべきなのか。それとも、健康という概念を取り除いて、ただ個人の積極性や危機感の違いだけの問題なのだろうか。

いずれにしても、新型インフルエンザは着実に感染拡大してくる。集団感染による急速な拡大発生を抑え、流行の波を小さくすることは、医療現場での治療上大きな意味がある。
健康に積極的な人も、そうでない人も、しっかりと正確な感染予防の知識を持って、『もらわない&うつさない』を実行して欲しいと願うばかりである。

(写真は、この季節の稲穂)

| | コメント (0)

2009年8月13日 (木)

飲酒と医療について

Coffee_capみなさんは、医師が飲酒後に医療を行うことをどう考えますか?もちろん、勤務時間や当直、待機番の時に飲むわけではないですし、その後に医療を行う可能性があるときは飲まないと言うのが義務でしょう。しかし医師も一般の人間です。仕事が終われば、お酒を飲むことだってあります。ところが予定が立たないのが医療の現状。非番であっても救急要請があれば病院にかけつけなければなりません。そんな時、たまたま飲酒していたと言うこともあり得るわけです。

救急病院で働いていた夏のある日。病棟の患者さん方も落ち着いておられ、かねてから病棟の看護師などと約束していたビアガーデンに繰り出すことになりました。病院から出るのも久しぶりで、ジョッキを手に乾杯の音頭を求められて、『今日は、久しぶりにしっかり飲Beerjokki1むぞ~』と言った記憶があります。 ところが、乾杯してそのジョッキを飲み終える頃に連絡が入り、救急搬送されてきた患者さんが、徐脈性疾患で緊急ペースメーカーが必要だと言うのです。自分は既に飲酒しており、他の循環器医をあたるように伝えたのですが、その時連絡がつくのが私だけだというのです。待機番の内科医は消化器系でペースメーカーの経験がないとのこと。当時は体表ペーシングや食道ペーシングの機器もなく、今から他院へ搬送することもできず、病院まで15分くらいの場所にいたと言うこともあり、とりあえず病院に戻りました。

洞機能不全症候群と言う状態で、心拍は20~30台。時に痙攣発作と共に失神を繰り返している。私は、飲酒していたことも忘れて、緊急ペースメーカー挿入の準備を指示しました。術衣に着替えて手洗いを始めていた私は、看護師から『先生、少し顔赤いですよ』と言われて初めて飲酒していたことを思い出したのですが、一刻を争う状況。そのままペースメーカー挿入の手技に入りました。途中完全に心停止となり、看護師に心臓マッサージを行ってもらいながらの挿入。何とかペーシングできる状態になり、心拍も70に安定。すぐに意識も戻られて、無事完了したのです。

患者様を病室に搬送し終えた後、私は隠さずに、飲酒した後であることを家族に話しました。少し驚かれたようでしたが、それまでの経緯を全て見られていた奥様からは、感謝の言葉のみいただきました。

083hakodate1 だからと言って、飲酒を正当化するつもりはありません。この時に、もし何かトラブルが生じていたなら、飲酒していた私は間違いなく責められたでしょう。また病院関係者からは、トラブルの元だから飲酒後であることを言うべきではなかったと注意も受けました。

もし、あの時私が飲酒後と言うことで、処置をしなかったら、あの方は不幸な転機をとっていた可能性は高いでしょう。でも飲酒と言う状況によって私の手技にミスが生じていたかもしれません。飲酒後の診療禁止は原則だと思いますが、時に難しい状況も生じます。代わりの医師がいくらでもいるような状況は、ほとんどの病院で不可能と思われ、これも医療上での難しい問題の一つかもしれません。

代行運転があっても代行医療は行ってくれませんから・・・。

(お盆で患者さんも少なく、空いた時間でネットを見ていると、『飲酒後の医療を法的に制限する・・・』と言う記事を見つけ、過去の思い出を少しまとめてみました。写真は函館のビアホールです)


| | コメント (0)