カテゴリー「看護学校の話題」の記事

2014年10月30日 (木)

何が正解なのか?

Coffee_cap 昨夜、自分が教えに行っている看護学校の卒業生たちと飲み会と称した語らい会があった。数ヶ月前に一人の卒業生から打診が有り、私の空いてる日に合わせて集まってくれた。学生時代とは異なり、医療の話題など、甘えたことも言わず各自責務を持ってがんばっているのだなーと感じられ、少し嬉しく思った。

多くの雑談の中で、いくつか相談や質問を受けた。医学的な内容などは、たとえ話を混ぜて具体的に理解しやすいように話し、その説明に納得していた。しかし、そんな中で私自身も話していて説明に困ったことがあった。
現在の医療というのは、EBM(Ebidennce Based Medicine)と言って、これまでに得られた医療情報を基にして治療を行っている。ある疾患でAとBの薬剤があったときに、データ的にAの方がより有効であるとわかれば、BよりもAを使用して治療をする。簡単に言えばそういうことである。しかし、実際の医療ではそれだけではない。仮にAの薬剤がBの数倍値段が高いとして、Aを多用すれば医療費が高騰し、患者様のみならず社会全体にも多少影響となる。
仮にAの薬剤はとても良く効くが、副作用の発言頻度が高く、Bは効きは今ひとつでも副作用が無いとしたら、どうしますか?疾患にもよるでしょうが、医療での正解は必ずしも一つでは無い。20141030
卒業した看護師が、心肺蘇生時の心マッサージと人工呼吸の比率はどれが正解なのか?と尋ねてきた。救急学会が指導する心肺蘇生の実施方法を語った上で、仮に行うのが素人だった場合、比率よりも適切に行えることが大切で有り、感染予防の意味でも、正しく行いにくい点を考慮しても、直接口からの人工呼吸は勧められず、心臓マッサージを続けて早く人を呼ぶことの重要性を話した。医療従事者が行うのであれば、原疾患や年齢、或いは心肺停止状態に至った経緯などによって異なることなどを説明したのだが、果たして彼ら彼女らは、正解は無いが正しく行う事の意味を、正しく理解してくれただろうか?

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2012年9月 6日 (木)

目的に進むときに・・・

Coffee_cap 今日から私の看護学校の講義が再開である。一学期に医学総論というテーマで、医療にまつわる話題や医学の歴史、現状、そして医療の仕組みなどを雑談をまじえて(雑談ばかりなのだが・・・)教えた。今日からは、各論であり、専門的な話となるため雑談というわけには行かない。

一学期に教えた雑談ばかりの医学総論ではあるが、学期末には試験も行なった。誰も不合格者はいないのだが、その試験で、看護学を学び始めた生徒の考え方や夢、或いは理想なども自由に書いてもらった。多くの学生が、看護師として自分なりの姿を思い描いていて、その夢に向けて力になってあげたいと思った。ただ、少し気になったのは、逃げ道を既に作っているように解することが出来る内容を書いている子たちがいたことだ。

・笑顔を忘れない看護師 ・常に冷静でいられる看護師 ・どんな難局でも冷静に対応できる看護師 ・患者さんの疑問に答えられるような看護師・・・など理想の看護師を語っていた。そんな中で、数名の子たちが同じようなニュアンスの事を書いていたのである。それは、『看護師となるだけが人生ではないのだから、友人との付き合いや自分の時間を大切にしなければいけない』、と言う内容のものである。確かにそうである。けっして合点がいかない内容ではなく、むしろ当然と言った内容である。しかし、だからこそ気になった。2012951

自分が進むべき道を究めようとするときに、時に友人との時間や自分の時間を犠牲にしなければならないことは多々ある。だからと言って、最初から全てをがまんしたり、犠牲にする必要などもちろんあり得ない。もし、最初からいろんな事をがまんしたり、無理をして進もうとしたら、息切れだってしてしまうし、精神的にも参ってしまうかもしれない。だが、目的を持って進もうとするときに、ある程度のがまんや犠牲は必ず必要になることは、誰もが語るまでも無く、納得している事ではないだろうか。

あえてそう書いた子たちが、どこかに逃げ道を求めているような気がしてしまったのである。私の老婆心ならそれで良いのである・・・。

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2012年2月29日 (水)

いつの年も18歳の子たちと。

Coffee_cap 昨日、看護学校の講義だった。今の看護学校に教えに行くようになり、既に12年以上経つ。当時18歳だった子たちも、今は30歳を超えているわけだ。教え子の中には、今でも連絡をくれる子が若干名いて、相談を受けたり、愚痴を聞いたりもしている。結婚して子供の写真を見せてくれる子たちもいる。特に男性の教え子とは付き合いが続くことが多く、一緒に飲みに行ったり、同じ医療界で働く友人として情報交換をしつつ付き合いが深まる。

最初、看護学校を教えに行き始めた頃は、まだまだ自分にも色気が残っていたのか、女性が大半の教室に足を踏み入れると、何故か緊張したのであるが、いつしかそれも感じなくなり、女性と言うより教え子たちって感じで、いまでは緊張は全くない。

そんな頃から、看護学校を教え続けていることで大切なものを得ていることに気づいていた。それは、今どきの若い子とうち解けて話せていることである。講義のみならず、教務から依頼されている面談を通じて、考え方や日頃思ってることなどを聞かせてもらえる。こちらは毎年1つずつ歳をとっているが、教え子は毎年新たに入学してきた18歳が中心。その意味では、毎年その時の若い子の率直な意見を聞いたりすることが出来るのである。これは、少なくとも今の若い人たちを理解し続けるためにとても大切なことである。20123yuma2

話をしていると、否定したくなったり、たやすく論破出来るような内容が多いのも事実である。現実と理想を語るが、過程を考えていなかったり、批判はするが、義務と権利をはき違えていたりもする。しかし、とにかく聞いてあげることで、その考え方を受け止めてあげられるようになるのだ。特に看護学校であり、ここに来る子たちの中には、人のために・・・と言う思いが存在しているはずである。

毎年毎年18歳の子たちと・・・。自分が、この子たちを理解できなくなる時は訪れて欲しくない。

(写真は、2012年度の生徒さんたち:気にする子もいるので、加工加えてます)


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2012年1月31日 (火)

その気にさせられた

Coffee_cap 本日は、看護学校の看護師国家試験対策のための特別講義を依頼され、講義に出かけた。専門学校であり、この子たちには1年生の時、つまり2年前に講義している。その時は、看護医学を学び始めたばかりで何も解らず、聴いていたのであろうが、今日は違った。

誰一人、寝てる者もいないし、一言一言に敏感に反応している。理解できたところでは、大きくうなずく姿も見られる。

不思議なもので、こう言った姿を相手に講義していると、こちらも乗ってくる。国家試験直前講義と言うこともあり、端的に、理解しやすく、肝を抑える、と言った意味でも、こちらの気分の乗り方は講義の充実度に影響がある。聴く姿勢によって、こんなに影響を受けるものなのだ。Photo

明らかに、『その気にさせられた』である。循環器を中心に約2時間半。気がつけば、自分の夜の診療に間に合わない時間まで集中して講義していた。しかし、集中して聴いてくれる生徒たち相手に、充実した講義が出来たと満足である。

うーん、相手によって乗りやすく、その気にさせられやすい。自分は、いわゆるイージーライダーであると痛感した。





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2010年4月24日 (土)

今年の新入生

Coffee_cap 早いもので、3月初旬に2009年度の看護学校の謝恩会に出席したばかりであるが、今週から新一年生の看護学生さん達への講義が始まった。毎年思うことであるが、本来の地域医療では味わうことの出来ない巣立っていく者、新たな夢を抱いて入ってくる若者に接する機会があることは、幸せなことである。そしてそう言った学生さん達に、知識だけでなく何らかのメッセージを伝えることが出来る立場であることに身が引き締まる。

教育現場で働かれている方からすれば当たり前のことのように感じられていると思うが、不思議と毎年のクラスごとに異なった特徴がある。活発なクラス、おとなしいクラス、騒がしいクラス、真面目なクラスなどなど。しかしだからと言って個々の性格が毎年極端に異なるはずはない。個人的に接すれば、毎年同じような性格の子達が、同じような割合でいる。それにも関わらずクラスの個性が出るのはどうしてなのだろう?Suzukagawasakura02

私が看護学校の講義を引き受けた当初、生徒は高校卒業の18歳の女子ばかりだった。しかしその後徐々に男子学生が増え、近年は大学卒業後や社会人経験後、或いは結婚出産後の女性が増えてきた。特に昨年のクラスには、アラフォーと呼ばれる女性が多かった。既に子育てを終え、或いは子育てを両立しながら学ばれている女性のパワーは素晴らしい。ちなみに独身やシングルマザーはいない。初めて教室に足を踏み入れたときから、例年とは違った雰囲気を感じ、回を重ねるごとにその力強さを実感させられた。だからと言って、そんなアラフォー女性が目立っているわけではない。高校卒の生徒達と並んで席に着いていて、よく質問をするとか、何かを発言するわけでもない。しかし、目の色が違う。講義を聴く姿勢がこれまでの現役ばかりのクラスに比べて熱気を帯びているのである。学ぶと言うことに素直でどん欲なのかも知れない。

Jitaku1 そんな事を考えながら今年の新入生のクラスの扉を開けた。なんだか、元気がない。教務の先生から、今年はオリエンテーションを長めにしっかり行い、看護学生としての心構えだけでなく、授業を受ける態度なども指導したとのこと。それ故におとなしいのか?アラフォー女性は今年一人だけである。さてこれから来年春までの講義で、このクラスにどんなイメージを持つようになるのだろうか?

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2009年6月18日 (木)

何か質問は?

Coffee_cap 看護学校の講義を受け持ってから10年になる。勤務医の時にも講義依頼があったから、併せるともっと長い。自分自身、高校時代遊びほうけていて、浪人を経て自分の目標を見つけてから医学部に入り医師になれたと言う経緯もあり、講義ではただ教えるのでなく、興味を持たせることを心がけているつもりだ。

ある程度講義が進むと、『何か質問ある?』と問いかけるのだが、滅多に質問はない。確かに自分の学生時代を思い出しても、質問をした記憶は少ない。質問が出来るほど理解できていないのか、質問することが恥ずかしいのかはわからないが、私の記憶では、どちらの要素もあったような気がする。

そこで、いつも雑談ばかりの講義で進行が遅れているにも関わらず、ある日講義時間全てを使って、『質問の日』と言うのを作ってみた。教えている医学に関しては勿論であるが、医学や医療に関すること、講義に関すること、そして日頃抱いていた疑問があれば内容を問わないという事にして、ランダムに指名して質問をさせてみた。

すると前半は少し稚拙ではあるが意外と講義内容に関連した質問が続いた。だがしばらく受け答えが続き、生徒も慣れ始めてくると、そこからはバラエティーに富んだ質問の嵐。指名しなくても次々と09523hakoneizu17挙手するのである。

・髪の毛が薄いのは遺伝ですか? ・私が勤務する予定の病院の雰囲気は? ・今までで一番記憶に残っている患者さんは? ・お兄ちゃんは背が高いのに、何故私はチビなの? ・(皮膚のでき物を見せて)これ何ですか? などなど・・・

そしてその後更にエスカレート。

・先生は奥さんとどこで知り合ったのですか? ・好きな歌手は誰ですか? ・不倫をどう思いますか?・・・質問と言うより、私の意見を問う内容。

結局、質問が少ない理由を知る目的を兼ねて行った『質問の日』であったが、その答えを推察する以前に、私自身が回答に苦慮するはめに・・。

たしかに、私の講義で質問をすることに対しての抵抗は多少減ったかもしれないが。

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2009年5月 6日 (水)

ボールペンと女子生徒

Anichosinki昔に比べて、製薬メーカーさんから提供される物品は減ったが、薬剤名入りであれ、付箋やメモ用紙、そしてボールペンは片田舎で開業する医院にとっては非常に嬉しい。製薬メーカーさん主催の研究会などに行くと、ほとんどの場合、薬品のパンフレットなどと共にレポート用紙と筆記具が付いている。いつの間にかボールペンは貯まっていき、使い切れないほどになることもある。

私が教えに行っている看護学校では、多くの教室がそうであるように、講義を始める前に出席を取る。と言っても、『今日休みの人いますか~?』と尋ねるだけで、名前を読み上げるようなことはもちろんしない。それでも欠席の人がいると、必ず誰かが『○○さん』と教えてくれ、問題となったこともない。そして、その報告を信じて出席簿に記入するわけであるが、私は講義にほとんどの場合筆記用具を持参していない。いや持っていたとしても慣例のように、教壇右前の席の生徒に筆記具を借りることにしている。もう10年以上そうしてきたので、特に意識することもなくそうしている。そしていつからか、その席の生徒に貯Bollpenまったボールペンをお礼の意味を込めて数本づつあげている。生徒達からみると、その席の特権みたいなものだ。席替えは案外頻回に行われており、ちょうどボールペンが貯まった頃に席替えがされている。

ところが、あるとき研究会が続いたことや新薬の発売のイベントなどでボールペンが急速に貯まったので、生徒にあげるつもりで講義に持参した。しかしまだ席替えは行われておらず、既に右前の席の生徒には渡してある。そこで講義中にボールペンを数本取り出し、突然『ボールペン欲しい人?』と声をかけてみた。若いというのは素晴らしい。一斉に数人の生徒が手を挙げたが、中でも一人の女生徒がもっとも早かった。そこで、その子に優先権を与え好きな物を選ばせてあげた。別にボールペンをあげることに意味も、目的もないのであるが、講義の中休みとしての意味はあったようである。ところが、その後私の講義のペースは完全に狂ってしまったのだ。
1600074jitaku2 講義に戻ってしばらくしてから、先ほど真っ先に手を挙げてボールペンをゲットした女子を見ると、なんとその生徒が鼻の下に上唇とでボールペンを挟んでいるのである。しかも、そのしぐさが実に自然なのだ。本人もそうしていることに、何の罪悪感も、羞恥心も持っていないようである。両肘を机に付き両手で顎をのせ、ボールペンを挟んでいるものの、顔はすこぶる真剣に私の講義を聴いているのである。
不覚にも、私は吹き出しそうになってしまった。別に笑うようなことではないのかもしれないが、一見不自然にも思えるその行為を、いまどきの女の子とも言える容姿の女生徒が自然に行っていることが私には滑稽に思えてしまったのである。
さすがに吹き出すわけにもいかず、笑いをこらえたのであるが、彼女がその仕草を止めてからも頭から離れず、黒板に向かっても、突然その顔を思い出したりしてしまった。雑談ばかりの私の講義内容で、偉そうなことは言えないが、明らかにいつもの講義よりはペースダウンしてしまった。まだまだ修行が足らない自分を感じつつも、今でもその顔を思い出すとなぜか笑いがこみ上げてくる。

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