2009年7月10日 (金)

海士埼灯台(石川県)

Botantoudai 石川県の灯台が続くが、今回も能登半島を巡ったときの記事をまとめることにしKaishisaki4 た。前回のブログで個人的な意見として、能登半島の西側の印象を開放的と言う表現をしたが、地理的な要素に加えて、訪ねた時の条件もその印象に影響を与えたことは言うまでもない。そして今回紹介する海士埼(あまさき)灯台(写真右上)でも同じ様な印象を持った。

Kaishisaki0 志賀町近くに宿を押さえていた自分は、前日の夕方に能登半島に着いて海岸沿いに立つイタリア料理の店で夕食をとった(写真左上)。清楚でかわいいウエイトレスが親切に対応してくれて、美味しくイタリアンをいただいた上に西の窓からは水平線に沈む夕日も見えた。満足できた夕食のひとときを過ごさせていただいたお礼に、店の写真を載せさせていただくことにした。お店と対応してくれたウエイトレスに感謝。Kaishisakichizu5

翌朝、福浦港に立ち寄ってから海士埼に向かったのだが、このあたりは能登金剛として、海 岸線の岩礁など名所が続く場所である。徐々に観光客の車が増えてくるのを感じながら、海士埼には9時前には着くことができた。海士埼を過ぎて北に向かっても能登金剛として景観の良い場所が続くが、地理的には、以前紹介した猿山岬灯台までは、門前町を挟んで、ほぼ直線上に海岸は続いている(地図右中:Mapfanより)。

Kaishisaki1 海士埼灯台は、主要道路から少し細い道に入った所で、ちょうど灯台の手前に何かの施設があり、その駐車場を利用させていただいて灯台を訪ねた。ただ灯台の案内は無かったように記憶しているので、主要道路から曲がるポイントには注意が必要だ。道の突き当たりが灯台の敷地となっていて、左に海岸へ降りていく道もある。海岸へ降りると、灯台は少し高台の上にあるような形となり、海岸からの景色を見ると(写真左中)、海の色や砂浜などまったく海岸は異なっているものの、沖縄の瀬底島灯台を思い出してしまった。そんなことも、私が西海岸を開放的と感じた一因かも知れない。

この日は雲り空のあいにくの空模様であった。晴れ男を自称している私であるが、残念ながKaishisaki2 らこれまで能登半島を訪ねた時に、快晴だった記憶はない。もちろん雨に降られることもないのだから、良しとしなければいけないが、そんな天気でも開放的と言う印象を私に与えた能登の西海岸。海士埼灯台(写真右下)に滞在した半時間の間も十分にその印象を味わいながら灯台の立つ景観を楽しませてもらった。

| | コメント (0)

2009年7月 2日 (木)

長手埼灯台(石川県)

Botantoudai 能登半島を一周してみると、西側、北側、そして東側と雰囲気が異なって感じらNagatesaki4 れた。自分の印象であり意味はないが、あえて表現するなら、西側は開放的で快活と言った感じで、北側は和的な色彩が強く物静かな感じである。そして東海岸では、生活感がにじみ、たくましいと言った感じであった。今回紹介する長手埼灯台(写真右上)は、禄剛埼灯台から南東に位置し、能登半島の東側の海岸がここから南に向かって続く基点のような位置にある(地図左上:Mapfanより)。既に紹介した、能登赤埼灯台穴水灯台小木港犬山灯台などが東側の海岸線に立ち、和倉温泉に続いている。

Nagatesakichizu6 長手埼灯台は、主要道路から離れて、海岸線に沿って民家の中を走る道沿いに立っている。あまり目立たないが郵便局があり、その裏手に堤防が見え、堤防の向こう側に灯台の姿が見える。赤いポストの文字が無ければ、郵便局とは思えない建物の前と横は駐車場となっている。この日、大型連休の後半だったのだが、地元に里帰りしていたと思われる親子家族が出発する場面に重なった。郵便局の駐車場に車を停め、お土産らしき物を積み込み、既に子供達は車内に乗り込んでいる。その回りで若い夫婦と実家の両親が立ち話をしているのである。Nagatesaki2家内と共に灯台を巡っていた私達二人は、子供がまだ小さい頃、何度となく家内の実家に帰 ってこう言ったシーンを経験した。その光景が懐かしくも暖かく、思わず見つめあい微笑んでしまった。

そんな光景を見た直後、すぐ裏に立つ長手埼灯台を訪ねたのであるが、どんよりとした雲が空を覆いすっきりしない(写真右中)のだが、家族のワンシーンに和まされたNagatesaki5ばかりの私には、空模様など関係なかった。後から見返してみると、殺風景とも言える灯台の立つ風景写真(写真右下)であったが、十分に人の香りを味わいながらカメラを向けていた。 その上、海面から少し顔を出す岩場の間を漂うゴミにさえも、人の営みの中から生まれた香りの一部分として納得しようとしていた。『本当に私は単純だ』と口に出しながらも、そう感じる自分を否定することはしなかった。

灯台の初灯は昭和36年であり、おそらく改修工事はされてないであろう。タイルの目地Nagatesaki1 から続くシミがプレートまで延びており、それを物語っていた(写真左下)。50年近くこの場所で点灯し続けている、長手埼の灯台。さきほど見かけた若い夫婦のどちらかは、おそらくこの灯台を幼少時から見続けて育ったのであろう。単純な自分であっても、そう考えて灯台にロマンを感じる自分を、やはり否定はしたくなかった。

| | コメント (0)

2009年6月23日 (火)

川奈埼灯台(静岡県)

Botantoudai 箱根から熱海への職員旅行で、半日の自由時間を利用して熱海周辺にある数カKawanasaki1所の灯台を巡る ことができた。その中で今回紹介する川奈埼灯台(写真右上)の印象は大きい。何よりもゴルフ場のグリーン奥に立っているその立地条件がそう思わせている要因であるが、ゴルフ場を通らずにそこにたどり着くために進んだ山道が意外と大変だったことも一因である。

灯台が立っている場所は様々であるが、原子力発電所敷地内や自衛隊管轄区域で立ち入り禁止となっている場所に立っていたり、個人所有の島に立っていたKawanasakichizu7 りと言う場合もある。今回訪ねた川奈埼灯台がゴルフ場の敷地内に立つと言うことは知っていたが、仮にゴルフ場内に入れてもらえたとしても、絶対にコースを抜けて訪ねる気にはならない。地図で見る限り、海に近い所から林を越えて行けそうであり、迷わずその道に向かった(地図左上:国土地理院より)。

伊東市街から伊豆急行が続く下田までは、いわゆるリゾート地が多いのであるが、伊豆高原という駅名が示すようにいくつもの山々が連なっている。川奈埼灯台が立つ川奈ホテルのゴルフ場は地図で見るとわかるが、小室山から海に続く高台のKawanasaki5 上に広がっている。川奈埼を熱海方面から続く海岸から見ると山の様に見える(写真右中)が、その向こうは高台となってゴルフ場が広がっているのだ。いずれにしても直接灯台を目指すためには、急な上り坂が必要なわけである。

Kawanasaki4 海沿いに川奈埼へ進むと徐々に道は狭くなり、最後には行き止まりとなる。細い道には、巧みに釣り人の車が数多く停められていたが、私も同様に狭いスペースを利用して車を停めて、埼を登ることにした。比較的整った山道が続いていたので、安堵しながら登り始めたのであるが、やがて道は完全に山道となり、茂る草木の中を進むことKawanasaki2になった(写真左中)。この日早朝は曇っていたが、いつの間にか空には青空も広がり始めて蒸し暑い。白い灯台の姿はすぐに見えてきたのであるが、かなり汗をかいたことで、実際より苦労さ せられた印象を植え付けられたのかもしれない。

灯台に出ると、まさしくゴルフ場の中と言った感じで、ある意味見晴らしが良 い(写真右下:灯台の足元からゴルフ場を見た)。灯台は、三本足で立っている。映画『宇宙戦争』に出てくる侵略者の宇宙船にも似ていて、動き出しそうな感じすらした。海は初島方面だけしか見えない。私は、汗を乾かすために、シャツをめくり上げて、灯台周辺のKawanasaki3コンクリートの上でブラブラと歩き回っていたのだが、その時ちょうどアプローチ中のプレーヤーがいた。灯台は、完全にグリーン奥に立っていて、グリーンを目指すと嫌でも視野に入る。さぞかし私の姿で気が散ったに違いない。ゴルフ場への侵入者である私が、侵略者ならぬ邪魔者であったであろう。

| | コメント (4)

2009年6月21日 (日)

もう一度初心に戻って

Botanomake今回は、まったくの私的な気持ちを整理するためにまとめたおまけ話なので、灯台に関する情報は含まれておりません。予めご承知下さい。

灯台、そしてその風景を求めて旅をするようになってから、5年ほど経った。思い返せば、始まりはたまたま地図で見つけた灯台までのドライブだった。それがいつの間にか、灯台の立つ風景を求め出かけるようになっている。仕事柄長期休暇は取れないが、それでも休日が続いたり、夏期休暇が取れる場合などは灯台巡りのために予定をたてる。どこの灯台へ行こうか?・・・と。

Simakatsuseaside1 私は、本音で言うと目的地だけ決めて、車で気ままに出かけたい派である。その時の気分で観光地に立ち寄ったり、珍しい地名と言うだけで遠回りをしてでも向かったり、気に入った浜があれば、そこでのんびりと過ごしたり、写真家気取りで最高のタイミングを待って日没の一枚を狙ったり・・・。そう言えば、兵庫県の香住を訪ねた時には、町そのものが気に入り、灯台を訪ねずに近くの海岸でひと泳ぎして、雷雨に見舞われるまで砂浜で寝転がっていた。地元三重県の島勝灯台近くでは、石の海岸が気に入って、一冊本を読み終えるまで浜で過ごした。夕日の写真が撮りたくなり、金沢の大野灯台への予定をキャンセルしたこともあった。

しかしいつの頃からか、一箇所でも多くの灯台を巡ろうとして、一日を有効に使うために綿密な下調べの上に予定をたてるようになった。巡った灯台の数が百基を越えてきた頃からそんな訪問が増えたような気がする。巡った灯台の数が増えるに従い、もっと多くの灯台を訪ねたいという欲が強くなり、当初灯台巡りを気ままに楽しんでいた頃より味気ない物になりつつあるのかもしれない。

私は、灯台のコレクターではない。灯台の立つ風景を訪ね、その景観を楽しみ、同時にそのMikawaokiyuuhi1 旅を楽しみたいのである。訪ねた灯台の名前や写真を並べたいのではなく、その風景を手に入れる過程を楽しみたいのである。『私の灯台巡り』は、灯台の情報整理のためではなく、灯台を目的地とした紀行文であり、回想録であり、気ままな随筆で有り続けたい。

巡った灯台の数を増やしたくなる欲求があることは間違いない。しかし、一番最初に味わった気持ちを大切にして、今後も灯台巡りを楽しんでいきたい。もう一度初心に戻って、気ままに灯台巡りを続けて行こうと思う。

| | コメント (0)

2009年6月17日 (水)

能登鞍埼灯台(石川県)

Botantoudai2007年3月に発生した能登半島沖地震は、能登方面に幾度か足を運んできた私にNotokurasaki4 も衝撃であった。しかし今回能登半島の灯台を巡る中、道路沿いの景色や建物をその目で見ても、傷跡はほとんど見られなかった。もちろん今でも苦労をなされている事も多く、心の傷が癒えない方もみえるのであろうが、観光客の1人である私には、能登の方々が力強く復旧に努力されて来られた様だけが感じ取られ、滞在中に地震のことを思い出すことはなかったと言える。そんな中、今回紹介する鞍埼灯台(写真右上)は、『もし今、地震が来たNotokurasakichizu7ら・・』と考えてしまうくらい、急な切り立った埼の上に立っていて、違う意味で地震を意識した場所でもあった。

能登鞍埼灯台は輪島市の北東、珠州市に入り249号線がトンネルで通る鞍埼の上に立って、その姿は輪島方面から向かうと見ることが出来る(地図左上:国土地理院よNotokurasaki1り)。少し手前には、揚げ浜塩田として観光地になっている奥能登塩田村や海に向かって段々畑状に田園が続く千枚田、穴の空いた岩が有名な岩窓などがある。いずれも249号線沿いであり、休日と言うこともあったが、その近辺だけ車が滞っているのである。特に千枚田では、写真を撮るだけだからと言った感じなのだろう。路肩に車を止める人が多く、灯台Notokurasaki5以外立ち寄る予定のない自分にしてみると勝手な意見ではあるが、多少迷惑にも感じた。

能登鞍埼灯台を訪ねるには、トンネルの外、海側の細い道から登る道がつながっている。私はトンネルを通過した直後を左に入って目指すことにした。すぐに正面に切り立った埼がそびえており、その上に灯台の姿が見え(写真右中)、灯台に向かって左手山側に登り口がある。早速登り始めたのだが、案外急である。それでも数Notokurasaki2分で埼の上に立つ灯台に着いた。まずは灯台の周囲を眺めて・・と考えて灯台の奥を見ると、奥はない。急な断崖絶壁となって いる。登ってきた側でもかなり絶壁に近いが(写真左中)、それ以上である。つまり灯台はカミソリの刃の上に立っているような形なのである。奥域がないため海を入れた灯台の全景はとても撮れそうにない。結局数分の滞在で下ることにしたが、もし今地震が来たら・・・と考えてしまった。

Notokurasaki3下る途中に灯台が正面に見えるため、望遠レンズに変えて写真を撮った(写真 右下)が、同じ位置から撮った広角の写真(写真左下)で見ると、海やそこに浮かぶ岩礁はもっと低い場所にあり、案外高い位置から撮影していることがわかる。しかし灯台はこの位置より更に上方にあり、回り込む様に登っているものの、灯台の立つ場所がかなり急にそり立っていることがわかる。

反対側はもっと急な絶壁であることをもう一度付け加えておく。

| | コメント (0)

2009年6月10日 (水)

襖鼻灯台(愛媛県)

Botantoudai愛媛と言えば、やはり『みかん』である。佐田岬の灯台を何カ所か巡る中、見事なFusumahana1 までに山の斜面に作られたみかん畑の多さには驚かされた。特に今回記事にした襖鼻灯台(写真右上)への道沿いはほとんどみかん畑であり、その記事も含めてまとめることにした。

佐田岬灯台を最初に訪ね、その帰り道(地図左上:MapFanより)に幾つかの灯台に立ち寄ったのであるが、最初に向かったのが襖鼻灯台である。既にお昼を過ぎFusumahanachizu9 ていたがあまり空腹を感じないため、立ち寄ったパーキング(写真右二番目の左)で売られていた伊方の『じゃこてん』をつまむことにした。その時店頭に並ぶオレンジ色に目が惹かれた。『佐田岬段々畑育ち』と肩書きが書かれた『伊方いよかんゼリー』(写真右中の右)である。私はオレンジ色が好きである上に、『うまいがぜ』と書かれFusumahana4ていれば買うしかない。思い返してみると、既にこの時から『いよかん』モードに入っていたのかも知れFusumahana5ない。

『じゃこてん』と『いよかんゼリー』でお腹も満足して、襖鼻へ続く細い道を走ったのであるが、とにかくみかん畑の多さに驚いた。狭い道の斜面にはみかん畑からつながる収穫用のレールが延びている(写真左中)。襖鼻灯台へFusumahana6入る道は、そんなみかん畑が続く鼻の先を回り込む様につながる道の途中にあった。少し離れた所に車を止めて歩く道にもみかん畑があり、足元には『いよかん』が転がって いる(写真右三番目)。先端に向かっている道だから迷いは無かったが、斜面の一部があぜ道となっている程度の道である。少しFusumahana8_2Fusumahana7進むとすぐに灯台の後ろ姿が見えた。灯台の周辺は草木が低く空が見渡せるが、周辺は木々に覆われ、前日夕暮れ時に訪ねて少しうす暗く寂しく感じた来島梶取鼻灯台に似ている。 正面から見ると照射灯の部分が立派で、流れる様なデザインで迫力を感じた(写真左下)。

Fusumahana3しばらく灯台を見上げていたが、海は見えないため、全体が見渡せる場所まで移動することにした。と言っても徒歩では、視界はほとんど変わらないため結局襖鼻全体が見渡せる場所まで車で戻ることになった。途中何度も斜面に作られたみかん畑を見たが、この日4月初旬にしては暑く感じFusumahana2る日ざしであったこともあり、冬の間もこうして段々畑には十分な日が注いでいるのだと感じ、『いよかん』がたくましく育つはずだ~と納得し、『うまいがぜ』の言葉を思い出しながら襖鼻に立つ灯台を眺めていた(写真右下)。

| | コメント (0)

2009年6月 6日 (土)

立石岬灯台での夕日(福井県)

Botanomake何度も訪問している立石岬灯台(写真右上)であるが、数年前に福井県が集中豪Tateishimisakiyuuhi1 雨の被害に遭ってから訪ねていなかった。福井県は、私の住む場所からは比較的容易に訪ねることができ、運転好きの自分としては立石岬までは、特にお気に入りのドライブコースでもある。久しぶりにこの春に出かける機会を持った。

立石岬灯台については、既に記事はまとめてある。その後も度々訪ねたにもかかわらず、今回再びブログで取り上げたのは、前回訪ねてから間隔が空く間に灯台周辺の整備がなされ、Tateishimisakiyuuhi2 夕焼けの海を背景に写真を撮ることが出来たからだ。同時に越前岬方面まで見渡すことが出来たこと(写真左上)も理由の一つである。以前ケーキみたいな形と表現した立石岬灯台であるが、その形が気に入っていたものの、周辺の木々が邪魔でお気に入りの写真は撮れていなかった。その意味で、灯台の立つ風景を追い続けている自分としては、今回の訪問はこれまでの訪問以上に満足であったと言える。

以前のブログにも書いたが、この立石岬灯台は日本人のみで建設された最初の洋風灯台で、敦賀市の市章としても利用されている。これまで無かったと記憶しているのだが、登り口の階段手前に灯台の案内看板が増設されていた。登り坂はそれほど大変ではないが、足元が滑りやすい点は前回までと同じだった。と書いたのは、前回下るときに、見事に滑って転んTateishimisakiyuuhi3だ記憶があったからである。

登り切ると、ケーキみたいなと表現してきた灯台の姿が見えた。誰もいないので灯台に挨拶しながら近づいたのであるが、雰囲気が以前と違う。周辺の草だけでなく木々も手入れされたおかげで海が見渡せる(写真右下)ようになっていたのだ。おかげで、すぐに帰るつもりだったが、そのまま夕焼けまで楽しませてもらうことにした。夕日を眺めた視線を横に移すと越前岬が見えた(写真左 下)。

Tateishimisakiyuuhi4越前岬灯台が新しく建て変えられてからまだ訪ねていない。にもかかわらず同じ福井県の立石岬へまた来てしまった。新しい越前岬灯台を訪ねたいと言う気持ちはあるのだが、きっとそれより先に三脚を持参してこの場所をもう一度訪れ、越前岬灯台からの光りを確認しつつ、月夜の夜景をカメラに収めているような気がしながら、大好きな立石岬灯台の夕暮れ時を楽しんでいた。

| | コメント (0)

2009年5月31日 (日)

伊豆網代灯台(静岡県)

Botantoudai5月の中頃過ぎに、箱根から熱海へと旅をする機会を持ち、最終日に伊豆の灯台を数カ所巡ることができた。熱海は静岡県であり、当然のように東海地方のカテゴリーに入れているが、明らかに関東圏の色合いが強い。湘南ナンバーの車も多く、子供っぽいIzuajiro2がTVのチャンネルも関東圏である。特に今回のように箱根方面から移動するとそう感じるのかもしれない。その熱海中心部から南に下った網代港の東側、朝日山の斜面に今回紹介する伊豆網代灯台(写真右上)は立っている。

Izuajirochizu5伊豆半島は、私の住む地から日帰りで訪ねるのは少しきつい。今回伊豆箱根への職員旅行があり、その最終日の自由行動を利用して初島の灯台を訪ねる計画だった。しかし当日の朝、うっすらと雲が覆う空を見て急遽東伊豆の灯台を巡ることに変更したのである。お昼頃から青空となり初島への未練も浮かんだが、どの灯台でも青空が良いに決まっている。初島へは、いつの日か晴れた日に渡れることを願うことにした。

網代灯台は、熱海から135号線を走って南下してもその姿は見ることができない(地図 左上:国土地理院より)。地 図にもあるように、新旧のトンネルが朝日山を貫いており、灯台はそのトンネIzuajiro4ルの外に立っているからである。灯台に行くためには、立岩トンネル南側を抜けた直後の海側左手の敷地に入って行く(写真右中)。そこを、ちょうどトンネルの中程辺りまで進むと灯台がある。灯台の正面海上には初島が見える。この時は、まだ薄雲がかかっていて遠くに感じたが、初夏っぽい青空となった午後からは、すぐ近 くに感じられた。

Izuajiro3朝日山と名が付いていてもそのまま海につながる岬であり、その斜面に立つ灯台周辺の敷地は狭く、奥行きは無いに等しい。従って灯台の両側からしか写真は撮れない。更に南の空はより雲が多く、霞んでいる上に逆光である。晴れていれば初島を入れて写真を狙いたいところであるが、灯台の写真だけで諦めた(写真右上)。灯台の足元は、緑に覆われてはいるが、そのまま崖であり40メートルほどの高さである。ちょうど灯台の下に岩礁が見える。確認は出来なかったが、立岩トンネルと名が付く立岩は、灯台直下にある岩の名前であると思われた(写真左下)。Izuajiro1

薄雲が覆い、所々に青空があるような天気の中伊豆網代灯台を訪ね、熱海方面を背景にした写真も(写真右下)すっきりしなかった。この後天気はどんどん良くなり、お昼頃には初夏を思わせる青空となった。もう少し後で訪ねれば異なった雰囲気を味わえ、初島との位置関係もカメラに納めることが出来たかも知れない。しかし雨に降られることもなく訪ねられたことに感謝して、願わくば次回初島を晴天の中訪ね、ぜひこの灯台を望遠レンズで確認したいと思った。

| | コメント (0)

2009年5月24日 (日)

猿山岬灯台(石川県)

Botantoudai能登半島の輪島市南西に位置する門前町周辺は、嶮しい山々に囲まれ、猿山Saruyamamisakichizu6岬は、秘境の地とも言われていたそうである。燈光会の案内板によれば灯台を 建てる資材は海路で運ばれたとあった。今は少し嶮しい道ではあるが、灯台に続く歩道の入り口まで舗装路が整備されつながっている。私が訪ねた日は、休日で能登半島の観光地はどこも混雑していたのだが、猿山岬ではバイクの2人に出会っただけであった。空いていて嬉しい反面、訪ねた1人としては、自然豊かな見応えのある景色だけにもったいなくも感じた。

Saruyamamisaki1能登半島の西側を南から北上するように猿山岬を目指したのだが、地図(地図右上:MapFan)を見ながらも、猿山岬へのアプローチで悩んでしまった。詳細な地図を見ると、岬のある山全体を東側に回り込んで北に出て、そこから南西に向かう道が示されていて、結局その道に従って向かうことにした。ところが山間部のジグザグ道を走る間に、自分もそうであるが、少し旧型の車載ナビまでも迷ってしまい道無き山の上を表示し、どう進んでいるのかわからなくなっていた。幸いもう少し進んだところで猿山岬への標識を見つけて無事にたどり着くことができた。海岸線沿いから岬斜面を登るように続く道を進むと、車止めがしてある手前に駐車スペースがある。一台も車は止まっておらず、車止めギリギリの上のSaruyamamisaki3方に車を止めた。地図をもう一度確認して、次に向かう竜ヶ埼灯台をナビにセットしてか ら、カメラリュックを背負い向かうことにした。

雪割草の群生地と言う案内看板を見ながら歩道を進むと、霞んだ空と海を背景に、とにかく新緑が気持ちよい(写真左上)。マイナスイオンと美味しい空気を味わいながら灯台を目指した。『悟れじの水』と言う渓流の案内がある橋を渡ると、まもなく灯台であSaruyamamisaki5る。海に向かって灯台の右手側に出るのだが、そのまま私は、灯台後方の坂道に登ってみた。なぜなら灯台は海に向かって素晴らしい景観の中に立っており、出来る ことなら灯台の背後から海を背景に写真を撮りたかったからである。残念ながら灯台の後方は木々が覆って無理であった(写真右中)。あきらめてゆっくりと灯台の回りを歩きながらその姿や景観を楽しんだ。正面の敷地も広く、段々に海に向かって低くなっている。灯台左手にも敷地があり、灯台の横顔を見ながら海も少し見える。道から続く灯台右手からも海は見える(写真左中)が、こSaruyamamisaki2こからのアングル(写真右下)が一番のお気に入りとなった。

ここからもう少し岬の上へと登ると雪割草の群生地があるが、群生という言葉に少し抵抗 を感じた。太平洋側に住む私が身近に見る花ではないが、三角草と言う別名であり、雪割草と言う名の由来も知っている。願わくばそう言った状態で見たいものだと感じたからかもしれない。

Saruyamamisaki4 白い雲が青空を隠した天気であったが、猿山岬灯台の姿は私の心をつかんだ。また是非訪ねたいと思いつつ、次回訪ねるときは、秋が良いな・・・などと勝手に想像を膨らませ、同時に猿山と名から、以前秋に福井県の押回埼を訪ねて猿に遭遇した事を思い出してしまった。1時間ほど滞在して車に戻ることにしたが、途中で振り返ると、新緑の木々の間から灯台の姿が見える(写真左下)。紅葉の時期にはきっと素晴らしいに違いない。

 

| | コメント (0)

2009年5月17日 (日)

室ヶ鼻灯台(愛媛県)

Botantoudai今年のゴールデンウイーク期間中、各地の観光地が賑わっている様子がTVでMurogahana3 報じられていたが、そんな中、弘前の桜が満開であると言う話題に惹かれてしまった。4月の初めに愛媛県の佐田岬を訪ねたのであるが、今回紹介する室ヶ鼻灯台(写真右上)周辺の桜は既に葉桜に変わりつつあった。『弘前は今満開か~』と狭い日本列島が南北に延びていることを再認識しつつ、1ヶ月経った今、改めて新年度の始まりに良い旅が出来 たことを思い返してしまった。

Murogahanachizu2室ヶ鼻灯台は、愛媛県伊方町の南側で、先に紹介した女子鼻灯台の一つ東側の伊方港に接する埼に立っている(地図左上:MapFanより)。佐田岬半島の先端、佐田岬灯台を訪ねた後、半島に立ついくつかの灯台にも立ち寄り、最後にこの室ヶ鼻灯台を訪ねた。山の斜面に並ぶみかん畑を貫くように細い道がつながっている。収穫の時期には車が通り抜けするのも大変そうであるが、埼を回って西に向かう道からはMurogahanachizu1 途中で分岐して灯台につながっていた。(地図右中:国土地理院より)。それにしてもみかん畑の多さには驚かされる。

道の終点が室ヶ鼻であるが、見晴らしが良く、暖かい春の日ざしも加わり、実に気持ち良く感じた。近くにはプールもあり地元の人に親しまれている場所であることがわかる。まずはプール近くの駐車場まで行き、春の日ざしに向かって灯台を見上げるようにして写真を撮った(写真左中)。灯台の後方にはそれほど大きくないが桜の木が立ち並び、薄いピンMurogahana4ク色の花が満開を過ぎて、既に葉桜に変わりつつある(写真右下)。も う少し早ければ、濃淡だけの和的な桜を楽しめたかもしれないが、暖かな春の日ざしには、新緑の方が似合う気もした。

考えてみると、これまでに桜の咲く季節に灯台を訪ねる機会はほとんどない。一度だけ桜を狙って田曽埼灯台を訪ねたことがあるが、小雨まじりの曇り空で早 々に引き上げて、お気に入りの写真も撮れなかった。今回の室ヶ鼻灯台は桜を狙って訪ねたわけではなく、その意味では少しタイミングが遅れたとは言うものの、嬉しい予想外の 出迎えであった(写真左下)。Murogahana5_2

室ヶ鼻は、佐田岬半島としては、かなり東に位置して伊方の町に近い。この日の朝に市内を通り抜けしたが、その際地元の高校生と思われる通学中の制服姿とすれ違った。その中には、新入生と一目でわかる真新しい制服姿もあった。男子は最近珍しくなった爪入りの学生服だった。室ヶ鼻灯台からの帰りに再び町を通り抜けしたのだが、今度は下校時の同じ学生服姿を目にした。私が灯台巡りをしてきた時間学校にいたことになる。私自身が、春の明るく暖かい日ざしの中、充実した灯台巡りをしてくることが出来たためか、彼らも一日がんばってきたのだと思えて、何故か温かい目で見ていた。

Murogahana6新年度の始まりとなる、4月の初めに一日だけであったが、幸いにも佐田岬の灯台を巡る機会が持て、少し時期は遅れていたが桜咲く室ヶ鼻灯台を青空の下で訪ねることが出来た。更に普段目にしていても気にも留めなかった学生服姿にまで春を感じて心が少し膨らんだ。この新しい年度始めは、私にとって忘れられないものとなるような気がした。

| | コメント (0)

2009年5月12日 (火)

竜ヶ埼灯台(石川県)

Botantoudai能登半島と言えば、輪島の地名を思い浮かべる方が多いと思う。今回は、その輪Tatsugasaki6島市街の北西、天神山に立つ竜ヶ埼灯台(写真右上)を紹介する。私は、私が住む東海地方から金沢までは、ドライブを楽しむ距離として手頃と感じているのであるが、能登半島に入り輪島を目指すとなるとさすがに距離を感じる。この時は能登で宿も抑えてあり、のんびりと出かけることが出来た。

輪島と言えば、輪島塗などの漆芸が有名であるが、観光と言えば『朝市』ではないだろうか。以前勤務医時代に病院の職員旅行で能登半島に出かけたことがある。和倉温泉で宿泊し、前日の宴会の余韻が残る朝、早くから起こされ観光バスで朝市Tatsugasakichizu5_2に連れて行かれた。その時に目をこすり半分眠りながらバスに乗っていたが、道が混んでいたことだけは覚えていたため、今回訪ねるにあたり、道と時間帯には気を使うことにした。幸い滝ヶ埼灯台は、朝市が行われる輪島市内から輪島港を隔てて北西に立つため(地図左上:国土地理院より)、午前11時頃に西から訪れた私には、問題なく訪ねることができた。Tatsugasaki4

灯台の立つ天神山を挟み、輪島港と反対側の西海岸には砂浜もあり、海遊びの家族連れなどで賑わっていた。その海岸に沿って埼に向かうと右上方に広い駐車場があり、そこから灯台に続く階段がある(写真右中)。階段を登り埼の上に着くと、西側寄りに灯台が立ち、5月のこの時には白い花が斜面を覆っていた。灯台は昭和40年初灯と比較的新しいのだが少し汚れも目立ち古く見える。同じ能登半島にある能登小木港犬山灯台は同じ様な形をしていたが、塗装されていて新しく感じた。函館近くの汐首岬灯台にも似た形ではあるが、立地条件や周囲の雰囲気などはかなり異なっている。こうやって比較してみると、個々の灯台の個性が感じられた。

Tatsugasaki3埼の北側には、大大蛇と名が付く岩礁(写真左中)があり、灯台にはそこに向かっての照射灯も備わっている。後から取り付けたと言った感 じではなく、灯塔にはめ込まれている(写真右下)。大蛇に更に大と付いている名称であるが、埼の上から見るとそれほど大きいとは思えなかった。しかし後から地図(左上地図参照)を見て、輪島港に出入りする船舶にとって注意すべき岩礁であることを理解させられた。Tatsugasaki2

薄曇りだが、淡い太陽の光がさす5月の空の下、白い花に囲まれて灯台を眺めていると(写真左下)、ミツバチをはじめ、いろんな虫が私の周囲を飛び回っているいことに気がついた。風が吹くと少し肌寒くも感じる日であったが、これTatsugasaki1 から本格的に暖かくなるのだと感じ、ここに暮らす者であるかのように嬉しくなった。

ちなみに、お昼頃に灯台を後にしたのであるが、すっかり朝市の事を忘れ、東に向かうため何も考えず輪島市内に入ると、休日のこの日、まだまだ観光客は多く、周辺の道は混雑が続いていた。朝市は朝だけの風物詩ではなく、いつでも輪島の観光地であることを再認識させられた。

| | コメント (2)

2009年5月 5日 (火)

灯台での夜明けを迎えて・・・

Botanomake少し前のブログで紹介した、産経izaの専門家ブログのコーナーに、先日、夜明けに間に合わなかった室戸岬灯台の記事を載せた。夜明けと言う時間帯は、若3い頃には夜の延長として迎えることもあったが、それでも縁遠い時間であった。しかし今は、夜明けを自分の意志で迎えることができる。もちろん、その時を海沿いで迎えるとなると 少し努力が求められるが、冬なら寒さを我慢すれば夜明けの時間は遅く、近くの灯台であれば比較的容易に夜明けを迎えられる。これまでにも愛知県や伊勢志摩方面の灯台の夜明けを訪ねていたが、最も自宅から近い贄埼灯台の夜明けはまだ訪ねていないことに気がつき、冬のある日気ままに訪ねてみることにした。(写真右上は、高知県・唐ノ浜灯台での夜明け)

Yoroisakiyoake夜明けの灯台を訪ねる手段もいろいろとあるが、若い頃の様にずっと起きていて迎えると言うことは難しい。車内などで仮眠を取りつつ迎えるという手もあるが、私はこれ が苦手である。以前、日帰りスキーに出かけ、深夜と言うか早朝に着いたためリフトが動くまでのつもりで車内で仮眠を取ったが、目覚めたときには昼を過ぎていて、既にゲレンデは混み、ほとんど滑ることもなく帰りの時間となった経験がある。そのためか、考えてみると灯台巡りを始めてから夜明けを狙う場合は、全て早起きをして訪ねている。したがって自宅近くか、宿泊先近くの灯台に限られてくる。(写真左上は、三重県・鎧埼灯台沖での夜明け)Isohamaooarai2

夜明けの灯台を訪ねた記憶に新しい所では、茨城県の磯浜灯台(跡)がある。夏の夜明けで、午前4時過ぎには浜に居た記憶があるが、宿が浜辺のすぐ近くだったので、寝起きのままカメラバッグを担いで気楽に訪ねることができた。この時は、残念ながら前日からの雲が東の空を覆い、朝日を見ることは出来なかったが、代わりに荒れた天気の影響で、荒々しい 波を受ける姿を見ることができた。(写真右中は、茨城県・磯浜灯台(跡)での夜明け)

Niesakiyoake1若い頃は、夜明けの時間は静寂な物だと思っていた。大学受検で、始発電車に乗るため2月の夜明け前に、うっすらと積もった雪の道を歩いたときの、あまりにも静かで、暗く、そして寒かった思い出が、私にそう思わせてきたのかも知れない。しかし、今では夜明けを静寂とは思っていない。夜明け前の時間を灯台近くで過ごすと、実にいろいろな音が耳に飛び込んでくる。岬からは鳥たちが一斉にさえずり始め、海では既に船のエンジン音が響いている。漁港に近いところでは、人の話し声すら聞こえてくる。(写真左下は、三重県・贄埼灯台での夜明け)

いつの間にか私は、夜明けを灯台近くで迎えることが、一つの楽しみとなってきた。ありふれた表現だが、心の中に、ピンッと張り詰めた物を感じ、希望と活力があふれてくる。感謝ではなく、自分の手の届かない何かに向かって祈りを捧げたくなる。そんな気持ちにさせてくれる夜明けの灯台での時間に魅了されているのだろう。

見慣れた三重県の贄埼灯台で夜明けを迎えながら、そんなことを考えてカメラのシャッターを切っていた。

| | コメント (0)

2009年4月26日 (日)

来島梶取鼻灯台(愛媛県)

Botantoudai私は、親族が高知県に住む関係で、瀬戸大橋や鳴門大橋を使って四国に入るKijimakajitorihana2_2 ことが多いのだが、今回は愛媛を訪ねると言うことで、初めて「しまなみ街道」を渡った。夕暮れ迫る島々を結ぶ橋を渡りながら(写真左上)進んでいくと、他の二つの本四大橋とは異なる性格の道であることが感じられ、街道と名前が付いている事にも納得であった。もし陸続きであれば、こうやって街から街へと道は延びていたのかもしれない。

今回紹介する来島梶取鼻灯台(写真右上)は、来島と言う名が付いているが、来島海峡から離れ、西側の七五三ヶ浦近くに立つ(地図右 中:MapFanより-地図上白 灯台となっている)。しまなみ街道を渡りKijimakajitorihana1四国に入ったのが、午後5時過ぎで、そのまま来島梶取鼻灯台を目指した。既に日は低く、春の霞んだ空を朱色に染めていたが、山間に入ると薄暗い。更に灯台に続く道は入り組みカーブが続き、舗装はされているがかなり狭い。うす暗い道を慎重に進んだが、対向車どころか一台の車を見ることもなかった。やがて道は灯台に続くと思われる少し広 い場所で行き止まりとなった。いつものようにカメラリュックを背負って準備を始めたのだが、まったく人の気配を感じることもなく、念のため護身用を兼ねて登山用の杖を持参することにした。Kijimakajitorihanachizu5_2

灯台までの道は、予想以上に整っているのだろうが、うす暗い(写真左下)ためか落ち着かない。『ガサッ』と言う枯れ葉の音がすると、異様に警戒してしまう。こう言った埼や岬の奥に踏み込んだことは何度もあるのだが、やはり薄暗さが神経を過敏にしているようだ。数分で灯台の立つ広場に出るが、ここだけはぽっかりと空が見えるため、まだ他に比べて明るかった(写真右下)。灯台はよく見る形なのだが、下段と上段の二つのリングがアクセントになっていて、比較的大きく感じられる。

Kijimakajitorihana4 四国愛媛に入って最初に訪ねた灯台であるが、既に黄昏時でのんびりと味わうと言う余裕はなかった。いや素直に言えば、薄暗く不気味で、どことなく怖さを感じて長居したくなかったのが本音かもしれない。10分ほどの滞在で今宵の宿泊先である今治市内に向けて移動することにした。

より暗くなった狭い道をヘッドライトを点灯させて移動したのだが、それでもまだ周囲の景色は確認することができた。ゆっくりと車を進めていると、初めて一台の軽トラックとすKijimakajitorihana3れ違った。こちらが少し路肩によって通り過ぎたのだが、その時運転するおじさんが軽く手を挙げてくれたのが見えた。その動作と言うよりも、おじさんの存在に安堵感を覚えた気がする。何となく気持ちが軽くなり、そのまま車を進めると、来るときには気づかなかった南西側の海岸沿いにある小さな砂浜が見えた。陸続きからでは見ることの出来ない小さな浜辺が、まるでプライベートビーチの様にも見えて魅力的に感じた。『誰もいないあの海岸で、のんびり出来たら気持ちいいだろうな~』などと、先ほどまでの小心者の自分から一変していた。

| | コメント (0)

2009年4月17日 (金)

女子鼻灯台(愛媛県)

Botantoudai愛媛県から佐田岬、そして豊後水道を隔てた大分県関崎に向けて細長く東西に延 Mekkohana2びる佐田岬半島での移動は、197号線が中心となる。ほぼ全線に渡り半島の真ん中、山の上を走るのだが、整備された綺麗な道で快適である。更に晴れた日には景観も良く、本当に気持ち良いドライブとなる。私が訪ねた時、春霞みはあるものの見事な晴天で、車を進めるに従って北側に伊予灘、南側に宇和海が広がる景色が楽しめた。今回紹介する女子鼻(めっこはな)灯台(写真右上)は、佐田岬半島の付け根部分に近い豊之浦の南(地図左上)にある。

Mekkohanachizu1 佐田岬から戻る途中に、この女子鼻灯台を目指した。当初地図を見たときは西側から向かうつもりであったが、197号線から外れると、ナビが指すままに東側の道を進んだ。しかし道はかなり細く、もし対向車とすれ違うとなるMekkohana3とかなり大変そうである。幸いこの時は一台もすれ違うことがなかったが、路肩に停めてある 軽トラック脇を通り抜けるときはかなり緊張であった。女子鼻遊歩道への入り口(写真右中:草に囲まれた遊歩道入り口)近くだけ少し道が広くなっており、そこに車を止め、カメラリュックを背負い遊歩道に入った。地道で、かなりのアップダウンではあるが、階段などが設けられているMekkohana4(写真左中:鼻の先端向かっての全景。山中を抜ける形で遊歩道は続く)。特に最後の登りは結構きつく、灯台が見えたときには、息が荒くなり、しっかりと汗をかいていた。

灯台の敷地内は綺麗で、灯台の前の階段に腰を下ろして、ゆっくり飲み物を飲みながら、まずは汗を乾かした。まだこの季節、蚊が集まってくることはなかった。灯台の後方に少し盛り上がった場所があり、そこに登って灯台を見ると、南に広がる宇和海を背景に写 真を撮ることができた(写真右下)。振り返って、北の方に目を移すと、今歩いてきた鼻に続くMekkohana5山が続いているのがわかる(写真左下)。事前にネットで女子鼻灯台を調べたときに、灯台の上からこの景色を紹介されているサイトがあった。この灯台で、公開と言うことはないだろうから、きっと職員の方なのだろう。少し低い位置からだが、同じ景色を眺め、改めて女子鼻にたどり着けた実感を持った。

Mekkohana6 明治時代には、この周囲に女子製錬所があり、その煙害などが問題となったそうであるが、のどかなこの景色を見ている限り煙害などと言う言葉は全く想像が付かない。確かに遊歩道の途中に煉瓦で出来た野釜の跡があったが、明治時代に日露戦争へ向けてこの周辺が、まるで白黒写真で見るような精錬を行っていた様を思い描くことすら出来なかった。

| | コメント (0)

2009年4月 9日 (木)

塩屋埼灯台(福島県)

Botantoudai今回は、あまりにも有名な塩屋埼灯台(写真右上)をまとめることにした。しかし、塩屋埼灯台は、私にとってあまり良い訪問だったとは言えない。同じ福島県の小良ケ浜灯台を訪ねた時に降っていた雨はあがったのであるが、どんよりと低い黒い雲Shioyasaki3に覆われ、強風の中で塩屋埼灯台に着いたのである。この程度の風なら何度も灯台を訪ねたことがあり、張り切って灯台の立つ岬に登ったのであるが、受付のおばさんから『強風のため灯台に登ることはできませんよ』と申し訳なさそうに言われたのだ。灯台を訪ねたときの天気も、巡り合わせの一つと考え、雨天であっても曇天であっても納得してきた私である。しかし登れる灯台のShioyasaki1 一つとして楽しみに訪れた塩屋埼灯台を登れなかったことは、やはり心残りである。その意味でも良い訪問だったとは言えないのだ。

2008年の夏に、北から南下して塩屋埼灯台に近づいた私は、灯台の立つ塩屋埼に続く海岸から見るその姿に、なぜか早春の嵐を連想しながら車を進めた(写真左上)。灯台の立つ岬のすぐ下の駐車場に車を止めて歩き始めると、登り口に『喜びも悲しみも幾歳月』の大きな記念碑が目に入った。京都の経ヶ岬灯台は、・喜びShioyasaki2も悲しみも幾歳月だったな~などと原作の舞台である塩屋埼灯台を今から訪ねるのだと思うと心がときめいた。

観光客の姿はなく、のんびりと景観を楽しみながら灯台に近づくことができた。海岸線から突き出た岬に立つ塩屋埼灯台は、本当に絵になる。多くの灯台巡りの先輩方が、サイトなどでも写真を公開しており、その姿はまだ灯台を訪ねていなかった私の目にも焼き付いている。曇天で強風であるが、その姿にカメラを何度となく向けながら近づいた(写真右中)。

Shioyasaki4・・・・『登れませんよ』と本当に申し訳なさそうに話すおばさんの顔は、十分に納得できた。おそらく観光で立ち寄っただけの客ではなく、灯台に興味があって訪ねたと言うことを、私の姿から理解しているのだろう。その表情には、すごく感謝したいのだが、やっぱり残念でならなかった。欠品していたピンバッチが入った事なども教えてくれたが、そう言った小物を収集していない自分としては、代わりのおもちゃでごまかせる子供の様には、機嫌が直ることはなかった。せめて灯台をのんびりと味わうべく、辺りをうろうろと歩くことにした(写真左下)。Shioyasaki5

何処からの景色も目を閉じて描けるくらい(と言っても、絵画の才能は全くないが・・)敷地内 を歩き回って灯台を味わった。受付のおばさんに、素直に『登れなくて残念でしたが、ありがとうございました。』と言うと、『またぜひ訪ねてください』と言われた。東海に住む自分が、そう簡単に来られないことはよくわかっていたが、『はい』と答えて岬を下り始めた。振り返るとちょうど咲いているユリの花の向こうに灯台が見えた(写真右下)。本当にまた来られたら良いな~。

| | コメント (0)

«穴水灯台(石川県)