2024年8月10日 (土)

情報交換

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今回は、まったくのおまけである。何度か触れてきたように、年齢とともに①行政や医師会などから様々な役職を命じられて自由が奪われる②体力気力が低下してくる③日程や行程に無理が利かなくなる・・・などの理由で灯台巡りに出かけるチャンスは、限られてくる。更に、プライベートや家庭の都合というやつもある。

そんなときに嬉しい出会いがあった。数年前から、ある親父バンドに属して活動しているのであるが、先日市内の文化会館の中で営業されている喫茶店主催のライブでご一緒した方が、灯台巡りが趣味と知ったのである。早速話が盛り上がり、互いの演奏出番の合間に情報交換をしたのだが、そこでfaceBookでの灯台のコミュニティーを紹介された。自宅に戻ってアクセスし、会員申請してサイトを見ると、自分の後継者(やはり、私は既に老兵と自覚している)たちが、懐かしい灯台の写真をアップしてい た。

自分が灯台巡りに没頭していた頃は、誰かがホームページを作成したり、私のようにブログで発信する人はいたが、情報の共

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有は難しかった。既に過去のアップされた記事を見て、いくつかの情報を入手し、今後の限られた機会での灯台巡りに活かしたいと考えている。と同時に、少なくともほぼ日本中といっても過言ではないと自負する灯台巡りの経験や情報を、少し古くなっても多くの人に提供しようか、と考えている。

写真は、なぜか思い浮かんだ和歌山県天神埼の丸山灯台である。

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2024年3月 3日 (日)

龍舞埼灯台(宮城県)

Botantoudai_2_20230902095901 2009年、東日本大震災の二年前に宮城県気仙沼の灯台を巡ったときに、立ち寄ることが出来なかった龍舞埼灯台に、2023年夏に訪ねることが出来た。震災後の復興が進み、以前は船でしか渡れなかった大島に橋が架かったことが今回の訪問を可能にしてくれていた。二つ前の記事『岩井埼灯台(震災前に訪ねた記憶とともに)』で対岸に見える大島に立つ灯台として紹介したのが、今回紹介する龍舞埼灯台である。202382601

もし2009年に船に乗って訪ねていれば、龍舞と言う地名などで、きっとこのブログでうるさくまとめていたに違いないが、今回は震災の爪痕や復興を見続けている旅の途中であり、灯台やその地名の由来よりも震災前後での姿や現状を淡々と感じながら202382602 巡った気がする。復興後に出来た橋を渡って、しかも南北につながる復興道路から直通で渡れることもあり、予想以上に観光客は多かった。10台程の埼に続く駐車場は、ほぼ満車で、ちょうど出庫した車の後に駐めた。それにしても暑い。今年の夏は・・・と毎年繰り返しているがとにかく暑かった。

埼の先端にある灯台まで、少しアップダウンの道を歩く。周囲の景観に違和感は無いが、海が見え始め埼の端に出ると明らかに松の木が不自然である。枯れている木々がとにかく多い。おかげでとは言いたくないが、灯台の全貌が少し離れたところからでも確認でき、海を背景に写真を撮ることが出来た。これまでの灯台巡りの経験上、木々に邪魔され、海を背景に灯台の写真を撮るのが、どれだけ叶わなかったことか。202382603

右手に目を向けると、先ほど訪ねて、この埼の変わった姿を見つめた岩井崎灯台の姿が確認できる。そしてそのまま右後方に目を向けると気仙沼の中心部につながる。新しい端や道、そして防波堤がずっと海岸線を包んでいることがよくわかる。目線202382606 を正面に向けると、夏の青空を飲み込むような紺碧の海原が広がっていた。埼周辺には岩礁もあり観光名所となっている。しかし、2009年に訪ねていればクロマツが取り囲む埼や周囲の岩礁、奇岩なども楽しめたかもしれないが、今回の旅はやはり震災後の復興に目が行ってしまっていた。

旅を終え、戻ってからサイトで龍舞を調べると、灯台の写真が載っている。それが震災後に撮られたものであることや以前との景観の違いが私にはわかった。それがささやかであるが、この地に想いをはせると言う、ただ一つ私が出来た事なのかもしれない。202382605

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2024年2月 4日 (日)

大須埼灯台(宮城県)ー再訪

Botantoudai_2_202401241719012023年の夏に、東日本大震災の2年前の2009年に訪ねた灯台を、もう一度巡る旅に出た。その中で最も嬉しい再会が、本日紹介する大須埼灯台である。以前訪ねたときも、地元の方との出会いもあり思い出深い灯台であったが、以前と変わらぬ姿の灯台や、その周りに見られた人々の強い歩みを感じられて素晴らしい感動を与えてくれた。2023826oosusaki03

大須埼灯台は、仙台から北上し石巻市を超え、北上川が流れ込む手前に東に延びる岬。雄勝と言う地名の岬の東側にある。岬に沿ってぐるっと外周を回る形で道があるため、398号線を北上してきて岬の付け根の南側から縁に沿って大須埼を目指した。車を進めていて前回と大きく異なっていたのは、海岸線を走る道はほぼ無くなっていたことである。雄勝の「道の駅」が新たに作られた堤防の上にあり、立ち寄ってみた。駐車場に止めて海側に寄ると、かなり高い堤防の上にいることがわかる。そしてその堤防は、そのまま岬を囲むように延びている。11年の歳月で!と驚いたのは、この旅では、もう幾度目かのことだった。

2023826oosusaki01 この日も暑かったが、14年前も暑い夏の日に訪ねた。確か大須埼灯台入り口と書かれた古びた立て看板の近くに路上駐車をして、急な小道を汗を流して登ったはずだと思い出しつつ埼に近づくと、その古い看板ではなく、大須埼灯台を示す大きな新しい案内看板があり、それに従いもう少し移動した。舗装された新しい道が続き、やがて立派な駐車場にたどり着いたのである。ロータリー形状の駐車場の真ん中には手洗い場まで完備されていた。観光地を彷彿させるような整備である。ただ、以前の小道を登るルートよりかなり離れており、結果、そこから灯台まで少し整備されてはいるが、歩道を歩かなくてはならない。夏の暑い日で、一般の人なら遠い!と思うところであろうが、私は全く気にはならず、新たに生まれ変わった観光地化された大須埼に感嘆の声をあげながら灯台を目指した。2023826oosusaki04

白亜の灯台が碧い海を背景に立っていた。その姿は、灯光窓の左側にソーラーパネルが設置され、広場から見ると目立っていた白い外壁が一部剥がれてた場所が修復された以外は14年前と基本何も変わっていなかった。しかし周りを見ると少し雰囲気が違う。ハート型のモニュメントがあり、幸せの鐘?まで備えられていた。2020年に、コロナ禍で訪ねてアップした蒲生田岬灯台の記事で紹介した『恋する灯台』に選ばれていたのである。灯台の姿は変わりないが、そのモニュメントがあるだけで華やかさが増し、更に整備された駐車場、ここにつながる歩道など、ふと震災の傷跡を忘れそうになったが、いや、それで良いのだと思った。この灯台は、間違いなく地元の人に愛されているはず。それは2009年に訪ねたときから感じていた。震災、津波の被害を超えて地元の人がこの灯台に明るい姿を、恋する灯台に似合った姿を求めたのは、立ち止まらず前向きに生きてこられたからなのだ。恋人たちにも訪ねてもらいたいと考えて整備されたその思いを素直に受け入れたい。

2023826oosusaki05 高い埼に立つ灯台から見下ろすと漁港が見えるが、周囲を取り巻く防波堤がハート型に作られている。実は、2009年に訪ねたときもここから港防波堤を写真に収めた。確かその時も同じ様な形だったはずである。恋する灯台と言うことで、この形はもってこいであったであろうが、その時は大きな被害があったはず。それを乗り越えてのこの形にこそ意味があると感じた。今回も、ハート型の港の防波堤も写真に収め、もちろんいろんな角度から、力強く、そして優しく立っていてくれた灯台の姿を撮り、ここを愛していただいている地元のみなさんにも感謝しつつ駐車場に戻った。

11年前、灯台周辺の花畑を手入れしに来られた老婆が、当時50歳少しの自分を「お兄さん」と言ってくれて、しばし地元の話を聞かせていただいた。数分間の会話だったが、とても丁寧に優しく話していただいた。そんな何故か甘酸っぱく感じる思い出を蘇らせながら灯台を後にして、岬の北西、北上川の下流に向かった。2023826oosusaki02

北上川下流は、津波の大きな被害を受けていて、大川小学校もこの地にあった。今はその変わってしまった姿を残し資料館となっており、多くの方が訪ねていた。見上げると学校の奥には背の高い山が、すぐそこにある。あの山のもう少し高いところに・・・と考えずにはいられなかった。そして資料館では涙が止まらなかった。

あの2年前の夏、しっかりと記憶に残っている。たしかにこの道を走った。町並みがあった。町並みを通り抜け、北上川にかかる橋を渡って北に向かい、更に多くの灯台と出会い思い出を作った。今回、町並みはまったくなく、整地され広い資料館の駐車場となっていた。14年前と同じように暑い夏の日。変わらず立っていてくれた大須埼灯台の姿を思い浮かべ、この地に心からのエールを送りたいと思った。

 

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2023年9月 2日 (土)

岩井崎灯台(震災前に訪ねた記憶と共に)宮城県

Botantoudai_2_20230902095901ようやく、コロナも一段落して、灯台巡りを前面に押し出して旅行に出かけることが叶った。医療従事者である自分の中にもいろんな思いがあったが、それを語り始めたら皆さん同じであり、ここでは控えたい。それよりも目的地を、三陸方面にすることが、今回一番強く願ったことであり、思っていたことである。2023826iwaisaki08

2009年、東日本大震災の2年前の夏に同じ地を訪ねていた。家族と福島で合流して旅行する前に、何も予定せず気仙沼から南に下る形で灯台を巡ったのであるが、印象深い灯台、地元で出会った人たちとの会話、そして行き先を地名で決めた気ままな旅であったことも思い出される。そんな中、今回紹介する岩井埼灯台は、気仙沼の南に位置し、大島と向き合う気仙沼への入り口にあたる。震災が生じたとき、何もできない自分がメディアから入る情報を元に想い描いていたのが、この地だった。是非とも先に2009年にまとめてアップしてあるこの岩井崎灯台の記事を読んでいただいてから、今回の記事を見ていただきたい。

今回は、震災復興後の姿も見させていただきながら、仙台から海岸に沿って北上して陸前高田まで行く予定であった。南に位置し、今回必ず立ち寄る予定であった大須埼灯台には、既に立ち寄っていた(ブログは後日)。ここに来るまでに、いろんな地で震災の大きすぎる爪痕に驚いたが、それ以上にこの数年でここまで復興されたこの地域の方々、いや人の力のすごさにも驚いた。想いや心の傷は別として、物理的な傷跡は探せば見つけることはできた。しかし、遠目からだけでは何も感じさせない程の復興である。震災や復興について語る資格など持たない自分であるが、本当にいろんな意味で驚き、学び、そして考えさせられた。

2023826iwaisaki05 2009年の時は、階上(はしがみ)という名前に引き寄せられて訪れたのであるが、階上の地も多くは波にのまれた。埼へ向かう途中に気仙沼向洋高校跡地に作られた東日本大震災遺構・伝承館がある。その姿を見ながらも、岩井崎灯台は?といろいろ考えつつ車を進めた。築かれた堤防などを登って海側に出ると、公園として広がる土地はそのままであったが、その姿はやはり

変わっていた。とにかく松の木が減っていることは直ぐに気づいた。以前は松林に隠れた先に埼があり、灯台の姿は見えなかったが、敷地内左手(大島方面)に灯台の姿が既に見えている。広がった芝生の先には海も見えていた。まず抑えられない気 持ちで灯台の全貌を確認したくて立ち止まること無く歩いた。2023826iwaisaki06

埼の先端に着くと、左手の灯台が立つ手前の岩場で子供達が水遊びをしていた。しかし、松林に隠れて立っていたはずの灯台は、新たに作られた土台で固められ、数本の松と共にその姿があった。ただ記憶の限りでは灯台の姿は変わっていなかった。『残ってくれていたんだ』と熱くなった。波が岩場で砕ける音や白波が立っている光景など同じものもある。しかし見渡すと多くが変わっていることに気づく。遠く気仙沼の奥に繋がる対岸には、海岸線に沿って白い防波2023826iwaisaki03 2023826iwaisaki04 堤 がずっと続いている。以前には無かったものであるが、それは被災後の対応である。ある意味、今この時だけを切り取れば、見えてこない物ばかりかもしれなかった。

周囲の写真などを撮りつつ、対岸の大島に目を向けると、前回姿がはっきりしなかった龍舞埼灯台の姿がはっきり見える。カメラのレンズを望遠にて覗くと、明らかに以前より周囲の松の木が減っていた。特に埼の中腹から生えて上に伸びていた松の木が減っているのである。今この時の感覚から戻され、改めて想像すらできない被災時の状況を2023826iwaisaki01 2023826iwaisaki02 思うと震えが止まらなくなった。ここに来るまでにも多くを学んではきたが、以前訪ねたこの地で、ようやく理解、いや、知った気がした。

広場に、津波に残った松が竜の姿として津波がやってきた海の方を向いて残っていた。『負けない!』 目の部分をみて、また熱くなった。この想いを抱く多くの人たちがいたからこそ、深い悲しみや絶望から立ち上がり2023826iwaisaki07 ここまで復興して、私のような者でも、ここに、今、こうして来させてもらうことができたんだと。

 

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2023年3月14日 (火)

さあ!これから

Botanomake_20230314202901 コロナに、誰もが振り回された三年が過ぎ、マスクの着用が義務ではなく自己判断となった。更に5月には感染症2類から5類、つまり季節性のインフルエンザと同じ扱いとなる。医療従事者であり、発熱感染症外来を行ってきた自分としては、当初灯台巡りは人との交わりも少なく続けられると考えていた。しかし実際には列車に乗ったり、宿泊したりもあり、多くの方々が旅行も自粛していたこの3年間、やはり続けることは出来なかった。結果2021年の1月にアップして以来の記事となる。

既に、自分の中では『今度の旅行のついでに、あの灯台に立ち寄ろう』などと予定を考えつつある。そこで、これまでにほぼ日本中と言っても過言ではないと思う私の灯台巡りとして、これから巡りたい灯台、そしてもう一度訪ねたい灯台を簡単にまとめて、灯台への思いを綴ってみたい。完全に自己満足の世界であるが・・・

2023年3月現在で、まだまったく灯台巡りに訪れていない県は、実は大分県だけであるが、北海道や岩手県、宮崎県などまだ制覇とは行かないHdtouda045 県は多い。とは言え、青森県や千葉県、福井県や山陰地方はほぼ制覇している。何度もこのブログでも書いてきたように、有名な灯台を訪ねるのは、離島でない限り、比較的容易である。しかし一般の人が知らない灯台を訪ねようと思うと、道のない、草木が多い茂った埼や岬への山歩きは必須となる。40歳代の頃は怖い物知らずで、11月に熊出没注意の看板を見つつも踏み入ってきた。幸いこれまでは、猿やイノシシとの遭遇、崖からの転落の危機程度で済んできたが、昨今の状況は厳しく、熊出没のニュースなども多い。歳も重ね、俊敏性も落ちていると考えざるを得ないとなると、これからの方向性は自ずと決まってくる。つまり、比較的有名で、熊やイノシシ遭遇のリスクの低い灯台となる。

Hdtouda027 と、説明から入ってしまったが、どうしても巡りたい灯台の多くは、北海道にあり、車で訪ねやすい。地球岬灯台や神威岬灯台を訪ねたときのような感動が待っているはずである、襟裳岬や網走などは欠かせない。知床岬は船上からになるだろうが・・・などと思いは膨らむ。そして宮崎県である。都井岬しかまだ訪ねていないが、私が住む三重県同様南北に長い県であり、観光気分で巡れそうだ。そして踏み入れたことのない大分県では、関崎灯台である。対岸となる徳島の佐田岬灯台を訪ねて以来、この灯台を訪ねる日を楽しみにしてきた。再訪問をしようと思っているのは、一つは上記で名前を挙げた地球岬である。訪問時に曇天だったこともあり、次回は晴天の日没前に訪ね、海上を照らす姿を丘の上から見てみたい。そしてもう一つ再訪問したいのは、山口県の角島灯台である。これまた曇天だったこともあるが、決定的な思い出が何か足らないのである。角島灯台ほどの灯台であればも25 っとインパクトがあるはずなのに、何故か淡々と訪ねていた気がする。この思い出を書き換えておきたい気がする。

いやいや、こうやって文章にしているだけで思いがこみ上げ、一人その日を夢見てしまう。まだまだ灯台巡りでは童心でいられるようだ。

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2021年1月31日 (日)

再訪:蒲生田岬灯台(徳島県)

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前回同様の書き出しとなるが、随分久しぶりの更新だ。これも同じで、コロナは未だ終息どころか収束もしていない。

開業医である私も、前線で戦っていただいている医師とは全く異なるがいろんな形で振り回されている。ここへ来てワクチン接種の対応にも医師会として行政自治体と共に頭を悩ませている。そんな中今回更新するのは、既に訪ねた20208kamotda1 徳島県の蒲生田(かもだ)岬灯台である。灯台巡りを始めて比較的初期に訪ねており、今回再訪して前回と異なる点もあったが、車でたどり着く道順は相変わらず悩ましかった。

第2波と言われた2020年の夏に、人と接触しない様にずっとマイカーを運転し、宿の人とコンビニ店員以外話すことも無く巡ったのだが、マイカーであり他府県ナンバーである。徳島ナンバーばかりの中注目をあびてると感じたのは、気にし過ぎだったのだろうか?

20208kamotda5 暑い日差しの中以前と同じ駐車場に駐めると、灯台に向かう道の海岸寄りに、『かもだ岬』と掘られた石版、そしてハート型のモニュメントが目に入った。急いでネットで調べると、「恋する灯台」と称されたイベントでここも選ばれ、それを記念して作られたモニュメントだった。ハートの中でカップルが記念写真撮るのだろうが、他の人がいない確率の方が高く、シャッターを頼めないはず。であればせめてカメラやスマホを乗せて撮れる台も設置すべきでは?などと親心で見ていた。20208kamotda4

灯台に続く道から伊島が左前方にみえる。きっと天気のせいだろうが、前回より近く感じられた。急な階段を上って岬に上ると変わらない姿がそこにあった。ただ前回修理中だった柵は完成して、のぞき込むと崩れ20208kamotda2 そうな岩肌がコンクリートで固められていた。

前の記事でも書いたと思うが、四国の最東端である。何となく鳴門海峡か?と思いがちであるが、地図で見るとよく分かる。とは言え、この日この時間に訪ねた人は私以外に2人だった。

まだ訪ねていない灯台に行きたいと思いつつもここに行こうと何故考えたのかはっきりしない。ただ小さな点灯式の灯台であってもその立地は230度ほど海に囲まれた岬であることが一因だったのは間違いない。前回訪ねたときに近くの阿南市で宿泊したときに体験した多くのエピソード、そしてその時関わった多くの人との思い出は、このコロナ禍だからこそ思い出さずに20208kamotda3 はいられなかった。

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2020年8月24日 (月)

箱埼灯台(香川県)コロナ禍の灯台巡り

Botantoudai_2_20200824193801久しぶりのアップである。 残念ながら、まだコロナは終息どころか、収束もしていない。

Hakosaki202082201 そんな中、毎年のようにお盆期間を仕事した自分は、21日から夏期休暇をとった。GO TOキャンペーンもあるが、世情では、いわゆる普通の旅行はなんとなく気が引ける。そこで、宿の人以外とは接触しない灯台巡りを思いついて、GO TOキャンペーンを利用して出かけた。自家用車で
移動して、車外ではマスク、更に宿の人以外とは誰とも会話せず、食事は十分対策された宿での食事のみで、昼食は車内。宿はGO TOのおかげで少し高級な宿にし、おかげで、十分に対策されていて安心して利用できた。もちろん灯台では誰にも会わないはず・・・だったのたが、今回紹介する箱埼灯台では、なんと灯台に行く最後の岬の海岸線に数名の人の群れが・・・。海遊びに来ている若者の集団のよう。仕方なく、灯台に近づくのはあきらめたのだが、なんか戻ってきてから、マスクして通り抜ければ良かった気もして、少し残念である。

今回は、既に訪問したこともある灯台を数カ所巡りつつ、少し高級な宿でのんびりすると言った計画。今回 紹介する香川県の箱埼灯台だけが、Hakosaki01chizu 完全に初めての訪問である。ここに到着するまで、運転していると、周囲の車は全て地元の香川ナンバーばかり。なにげに後ろに付いた車の運転手が、私の車のナンバーを気にしているのでは・・・?となんか気にしすぎるくらい気になって運転していた。更に箱埼に近づくと地元車以外は走っていないような・・・。気にしすぎかもしれないが、偏見や誹謗中傷の昨今。とにかくおとなしく運転していた。

Hakosaki202082203 かなり狭い道も進むが、細く曲がりくねった道よりも、その暑さが気になった。14時頃着いたのだが、車外の気温は35.5度。日陰を見つけ車を駐め(ナンバーがわかりにくいような形で・・・)て、灯台を目指した。灯台を目指す感に狂いはなかったのだが、前に書いた若者の集団が海遊びをしていた。かなり大声や歓声が聞こえ、完全に自粛してしまった。岬の反対側の山の方に回って道を探したが、灯台の頭しか見えない。それでも瀬戸内海の穏やかできれいな海、真夏の青空に忘れかけていた興奮がよみがえった気分であった。何枚か写真を撮り、その 後、来た道を戻って、もう一度遠景から写真を撮った。Hakosaki202082202

灯台は、よくある円柱型のロウソク型。それほど珍しい灯台ではなく、ここまで来なかったら思わなかったであろうが、灯台に近づいて写真が撮れなかった事は、コロナ禍と言った思い出とは別に残りそうである。

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2020年4月14日 (火)

江崎灯台(誰にも会わない灯台巡り)兵庫県

Botantoudai_2_20200414201401随分と久しいアップだ! 今、世界中が新型コロナウイルスの脅威にさらされている。なぜそんなときに灯台巡りのブログをアップ? ここ数年仕事の負担と、プライベートな事情で灯台巡りはめっきりと減った。しかし続けてはいる。ただ年に数基の灯台しか訪ねられないからこそ、できる限りまだ訪ねていない灯台を目指している。当然遠方の灯台が多く、なかなか訪ねにくく、結果として記事が書けなEsakisakura06 かったのである。で、今回は再訪問である兵庫県淡路島の江崎灯台をアップする。その理由は、3密(きっと今年の流行語大賞クラスの周知である)が新型コロナウイルスの感染拡大防止に求められている状況。必然的に外出の機会も減る。人に会わずにとりあえず休日を楽しみたい!・・・灯台巡りしかないじゃない!って感じで、一人車を飛ばし(サービスエリアに立ち寄ることもせず、誰にも会わず)一気に江崎灯台を訪ねたと言うのが理由である。更に、桜が満開のはず(今年花見も多くの地域で自粛だった)であり、桜を入れて灯台の写真が撮りたかったのである。

江崎灯台まで、数年前に比較すると更に近くなった。ほぼ新名神がつながり、私の住む三重県亀山からだと、3時間程度である。更に自粛のためなのか、マイカーが少なく、物流トラックが中心。流石、彼らは不必要な右車線走行もないため、順調に走れる。4月最初の週末(この週明けに緊急事態宣言が発出されたのだ)、うららかな日差しの中、誰もいない江崎灯台に着くと、阪神淡路大震災の爪痕が残ったEsakisakura04階段を駆け上って、灯台後方の広場に出た。予想通り桜は満開である。

Esakisakura03 ウグイスの鳴き声が響く静寂の中、いろんなことを思い出した。はじめてこの地を訪ねたとき、夕暮れのこの地を訪ねたとき、明石大橋の対岸から、この灯台の光を撮影したときなど。そして時間が流れた。予想もしなかった、新型コロナウイルスの脅威。誰もが、この時期TOKYOU2020オリンピック・パラリンピックに向けて盛り上がる興奮を抑えていたに違いなかった。開業医である私も、ここ数日の間に何度も、発熱患者様で疑いのある方に対応するため、防護服、防護マスク、防護シールド、手袋で診察室を出て車越しに診察することもあった。

いったいどうなったんだ!って多くの人が不安に押しつぶされそうになっている。しかし灯台に来て、その姿を見ると、人間だけが慌ただしく、愚かだと思えてくる。誰も言わないが、形こそ変化すれウイルスは人類よりずっと先に地球上に存在してきた。そんな地球を、自然を、我Esakisakura02が物の様に破壊してきたのは人間だ。地球が、いや、この世界が怒っているようにも思う。

Esakisakura01 その反面、この世界は優しさにあふれているとも感じた。桜は咲き誇り、ウグイスは自慢げに鳴いている。この自然に、世界に目を向け耳を傾けたら、優しさは至る所から感じられた。今一度、人は小さな存在であると言うこと自覚しなくては・・・

そんな、哲学者にでもなったようなことを思っている間、結局誰一人として灯台を訪ねる人はいなかった。つまり誰にも会わずに、目的を達成できそうだ。コンビニも寄らないために持参したお茶を飲み、駐車場のトイレで用を足し、しっかりと手洗い、アルコール洗浄をして車に乗り込み三重Esakisakura05 に戻ったのである。ここまで誰にも会わなかった灯台巡りは、ある意味初めてかもしれない。

 

 

 

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2019年8月24日 (土)

尻屋埼灯台(再訪)

Botantoudai_2_20190824175601随分しばらくぶりの更新です。灯台巡りは現在も続いているのですが、なかなか昔のように自由がきかなくなり、年間訪ねられる回数も減っていますが、今後も新たな灯台の記事はアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

さて、そんな中、今回は青森県下北半島の最東北端の尻屋埼灯台をまとめます。既に2007年に記事にしており、今回は再訪です。機会があればもう一度訪ねたいと思っている灯台が十数基ありますが、尻屋埼灯台はその上位で、今回その機会を持てたことは非常に幸運でした。更に今回訪ねてみると、なんと上れる灯台に2018年から変わっていました。と言うことで、もう一度記事にして紹介します。Shiriyasaki201908

 

尻屋埼がある下北半島は、青森観光でも訪ねる人は決して多くないと思います。今回青森県を、下北半島だけでなく、津軽地方、八甲田方面、三沢八戸方面も巡った旅であっただけに、そう感じました。下北半島での観光地も限られているからでしょうが、行く先々で同じ人に何度も会いました。

 

そんな中で尻屋埼を訪ねたのは、全くの偶然なのですが、前回と同じ時間帯でした。同じように夏の青空でしたが、いくつか前回と異なっていました。そのひとつが風です。今回はほとんど風が吹いてなかったのですが、前回は海の音しか聞こえない静寂の中で風が強かったため、耳元を流れていく風の音が異様に大きく感じたことを覚えていました。と同時に、前回は風に乗って漂う寒Shiriyasaki201911 立馬の糞臭がかなり気になりましたが、今回はほとんど気にならなかったと言うのが前回との違いです。

そして何よりも大きな違いは、灯台の上に人がいるじゃありませんか!!前回と同じように、灯台に近づきながらシャッターを切っていると、ファインダーの中に燈塔の上部のドアが開いていて、人がいるのがわかりました。足早に近づいて敷地内に入ると、寄付といった形で入場料を払う受付が出来ていました。思わず係の女性に『いつから上れるようになったのですか?』と尋ねると、『昨年からですよ~』と教えてくれた。前回訪問したときは下から眺めて、その美しい姿に感動していたのですが、今回は上れると知り、早速らせん階段を上って燈塔を上ることにしました。Shiriyasaki201906

 

Shiriyasaki201905

私が上ったときには二人みえたのですが、すぐに降りられ、しばらくの間一人で上からの景色を楽しむことが出来ました。ぐるっと一周見渡しながら回ってカメラに景観を収めたのですが、風が本当に穏やかで、波の音がかすかに聞こえてきます。気分的には夕方前と思っていたのですが、燈塔の影が海面に映る姿はそれほど伸びておらずに、まだ陽が十分に高いことを感じていました。

 

ここで書くことではないかもしれませんが、燈塔に上って、太平洋を眺めていると考えていました。前回2007年にここ尻屋Shiriyasaki201903 埼はじめ青森の灯台を、そしてその後2回にわたって宮城、福島、茨城と太平洋側の灯台を訪ね終えた翌年の2011年に、東日本震災があったのです。その時、ここ尻屋埼はどんな状況だったのだろう・・・と

 

前回訪ねてから、12年の歳月が流れていました。自分の中ではついこの間に来た・・・と言う感覚だっただけに、改めて年月を考えたとき、驚いてしまいました。自分が歳をとったということではなく、尻屋埼灯台が、あのときと同じくここに立ち、この景観を作っていることにです。当然のことですが、私にはそれが嬉しく感じました。あのとき訪ねて感じたいくつかの感動を思い出すことが出来たのです。ただし、その感動こそが旅愁だったとすれば、今回味わった感動はそれとは異なります。旅愁は、初めて、一人で、若いときに味わえるものだと、その昔国語の授業で教わった記憶がありますが、そうなんだと思いました。しかし、だからこそ異なった感動が湧き上がってきた気がし、それShiriyasaki201909が年月を経たことによってもたらされたものであるなら、この世界を生きている自分の存在を改めて意識させられていました。

尻屋埼の写真に付きものの、寒立馬たち。前回も灯台の近くにはいてくれず、灯台の写真に一緒に写ってくれませんでしたが、今回も南の方に集まっていて、灯台の写真には一緒に入ってくれませんでした。この寒立馬の数頭は、以前訪ねたときにもいたと思うのですが、『今回も一緒に写ってくれないんだ~』と愚痴ったときに、こちらに目線を向けた馬がそうだったのでしょうか?

 

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2019年4月20日 (土)

屋久島灯台(鹿児島県)

Botantoudai_2 久しぶりに、ゆっくりと灯台を味わった。とは言うものの、今回はそれ以上の目的を持って屋久島を訪ねたのである。

実は、かねてから還暦を迎えたら、屋久島の縄文杉を是非とも訪ねたい!と考えてきた。そう思った理由は後半で触れるとして、還暦を迎えたYakushima09chizu_1歳に屋久島行きが実現できたのである。私の住む三重県から中部国際空港まで1時間半、鹿児島まで手続きも含め約2時間、乗り継いで約1時間で屋久島に着く。2019年4月4日は早朝に出て、鹿児島で待ち時間はあったものの、午前11時に屋久島に到着した。晴天の中のフライトは、飛行機が得意ではない私にも楽しく、地図で見ているような高知室戸岬の形や、鹿児島開聞岳の上空からの姿に感動していた。

Yakushima06 前日まで、春とは思えない強い寒の戻りで震えていたのであるが、屋久島に到着しタラップを出た瞬間から、全身で南国を感じて、思わず笑顔があふれた。いかにも島の空港と言える様な出口を抜けて、出迎えのレンタカー会社の車に乗り込む頃には、これから始まる屋久島の旅をいろいろと考え、少し緊張を覚えた。今回は単純な観光ではなく、縄文杉を訪ねるための山歩きなどが大部分を占め、更に天候も大きな要素となるからである。とは言え、まずはレンタカーに乗り込むと、迷わず北西に車を進め、屋久島灯台を目指した。屋久島の主要道路は島をぐるっと回る道で、北西から南西の1/5ほどが整備されていないが、北西から南西までの東側4/5の外周は道も走りやすく、いくつかの主要な町が点在している。Yakushima01_1

島の北側を回りながらウミガメの産卵地で有名な海岸を過ぎて島の北西に向かうと、徐々に道が狭くなり、車一台分程度となった。しかし、対向車もなく順調に進むことができて、やがて正面に、数ヶ月前に噴火した口永良部島が見え、島を背景に屋久島灯台の白い姿が見えてきた。既に屋久島に行くことが決まっていたときに噴火のニュースを聞いたが、その後全く情報が無く、今ここから見る限りでは、落ち着いているように感じた。灯台の前に広い敷地があるが、その手前に数台分の駐車スペースもある。やはり立派な観光地として整備されていると言って良いだろう。車を降りると、青い空藍色の海を背景に白亜の灯塔が見えるため、気持ちが焦るが、いつもの灯台巡りに戻って、まずはカメラリュックを背負った。大きな門が施錠されて閉まっているが、その横に小さな門が開きっぱなしとなっている。仮に閉まっていたとしても乗り越えたであろうが、今回は小さな門を通り抜けて気持ちよく敷地内に踏み入れた。

Yakushima03_1 灯台は、敷地内のかなり海側に立っており、海側から照射灯を含めて写真を撮るのは難しい。海を背景に灯塔の後方から写真を撮りながら久しぶりの灯台巡りの時間をゆっくりと味わった。灯台を正面に左手には島の海岸線を追うことが出来る。黒潮の流れは、晴天もあり穏やかだ。新緑が森の緑を更に生命力をあふれさせている。その視線を更に左上方、島の中心方向に向けると、屋久島の神々が宿る山々が連なって見える。素晴らしい晴天で、雲一つかかってなかった。

なぜ還暦に縄文杉と考えたのか、理由は一つではない。仕事柄、長期の休みが取れないのであれば、何も海外に目を向けず、Yakushima04_1限られた日数の中で訪ねることができる国内の地で、是非とも訪ねておきたい場所をリストアップし始めた。日本に生まれたのである、日本のことは全て知っておきたいと思い始めていた。そしてその一つに屋久島があったのだ。また、誰でもそうであると思うが、歳を重ねるたびに人生に対して、自分が納得する答えを見つけたくなる。そんなときにTVで紹介された樹齢四千年以上と言われる縄文杉を見ることで、何かしら答えが得られるような気がしたのである。ちなみに、ここで簡単に言えることではないが、縄文杉を見ることだけではなく、屋久島、そして縄文杉を知り、歩いて訪ね、実際にすべてを見て感じたことが、私の求めていた答えを少しだけ与えてくれた気がしている。

Yakushima08_1 ここ屋久島灯台を訪ねたその後から屋久島の理解を深めた。縄文杉や雲水峡の苔むす森などを見て、感じ、そして知るべき知識を得たのである。もし、その後で、この灯台を訪ねたとしたら、更に異なった感動を与えてくれたに違いない。今は心からそう思っている。一度編集を終えてからではあるが、やはり苔むす森の雲水峡の写真を掲載することにした。Kokemusunomori  

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2018年12月30日 (日)

2019年のカレンダー作り

Botanomake 長らくアップしてない上に、今回は全くのおまけです。以前にも理由は説明したが、灯台巡りを続けてはいるものの、仕事上自由がきかず、訪ねる機会が減っている。

しかし、今後も続けていく以上に、これまでのたまりにたまった灯台の写真を整理しつつ、もう一度画像ソフトで編集して、少しインパクトのあると言うか、強調した画像に作り替えて、来年の自作カレンダーを作ってみた。なにげにFBにアップしたら、お世辞とは言え、悪い評価はなかったので、今回はおまけ話で候補になった写真を一挙掲載して、一言説明を付けてみた。
08822ooaraisakihama04震災の数年前に、既に廃棄となった茨城県の大洗の磯浜に立つ灯台の姿です。ちょうど夏の嵐が過ぎた翌朝でした。波に耐えて立つその姿に、役割を終えたとは言え、感動してました。
Kasamisakiwinter1冬の石川県加佐岬の灯台です。少し積もった雪でしたが、暖かい日差しで、日本海らしくない冬の光景かもしれません。
Sadohajikisaki06新潟県佐渡島の弾埼(はじきさき)灯台です。初秋に訪ね、バイクの一人旅中のお兄さんと一緒に語りながらこの景色を眺めたことは忘れない想い出です。
06北海道地球岬です。あいにくの天気でしたが、その雨雲の向こうに広がる水平線を想い描きながら時の経つのも忘れて見下ろしていました。
08821hitachi16嵐が近づく中撮った、茨城県日立灯台です。竜巻警報が出ている中、体を固定するのもやっとという状態でシャッターを切ったことが昨日のことのようです。
Iwaisaki08震災前に訪ねた宮城県気仙沼につながる岩井崎灯台です。その後もう一度訪ねたいと思いつつかなっていません。
Oshimatoudai22福井県雄島灯台です。梅雨の晴れ間に訪ね、幸い夕暮れ時の空を背景に撮ることが出来ました。
Toda4静岡県伊豆半島の戸田灯台です。富士も姿を隠す雲でしたが、力強さを感じます。
0872020ad和歌山県天神埼丸山灯台です。広がる平らな岩場にぽつんと立つ天神埼。ここはあまり有名ではありませんが、本当に穴場のスポットだと思います。
Esakitoudai201007兵庫県淡路島に立つ江崎灯台です。明石海峡を淡路島側から照らしています。写真は後ろ姿になります。
1ページ分の容量を超えそうなので、続きは次のページにまとめます。

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2018年8月27日 (月)

日和山灯台(北海道)

Botantoudai_2随分アップするのが遅くなったが、2017年夏に巡った北海道西北部の灯台巡りから、小樽に立つ日和山灯台を今回は紹介する。日和山は小樽中心部から北北西に位置する高島岬にあり、小樽水族館の北側である。神威岬、積丹半島方面から訪ねたが、当日はお盆すぎの日曜日でもあり、水族館に向かう車で予想以上に混雑していた。幸い灯台側の空き地を駐車場として開放(と言っても料金がかかるが)しており、灯台に近い場所に車を停めることができ、水族館には遠くなるが、私にとっては好都合だった。Hiyoriyama01

車を停めて、カメラリュックを背負って外に出ると、気温は30度以下だが、日差しが強く暑い。背中ににじみ出る汗を感じながら、灯台の立つ日和山を上がった。見下ろすと岬の南側(小樽中心部方面は、祝津のヨットハーバーや海水浴場があり、夏の海辺を絵に描いたような光景が広がっている。少し沖に目をやると、積丹ブルーに近い青い海から紺碧の海が広がる。背中は暑いが、視覚的には涼しさを感じる光景だった。Hiyoriyamachizu09
Hiyoriyama04
灯台は白亜に紅色が混じる灯台で、青森県の高野埼灯台を訪ねたときのことを鮮明に思い出した。あのときは、小高い丘を上ると、突然視界が開け、背景に紺碧の海があり、その全面に白と紅色の灯台が立っていたのである。しかし今回は、見上げた日和山に既に灯台の姿が見えていた。Hiyoriyama03
後で案内板を見て知ったのであるが、往年の邦画で、灯台守を描いた『喜びも悲しみも幾年月』のロケ地だったそうである。現在国内の灯台はすべて無人化されているが、灯台の敷地は広く、住居スペースがあったのかもしれない。さらに燈塔部分以外にも建物が隣接しており、その昔は、ここを人が守っていたことを感じさせた。Hiyoriyama07
灯台の敷地内に入ると、周囲の海が一望できる。青に近い海の色が印象的である。灯台の東側に回ると、少し下った場所から、岸壁の上に立つ灯台と、その右側(北側)に広がる海を構図に写真が撮れた。一隻のヨットとボートが進んでいくその景観は夏のものであり、北の小樽に立つ灯台のイメージは無かった。

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2018年5月27日 (日)

地球岬(北海道)

Botantoudai_2 2017年夏に訪ねた北海道の灯台記事がアップできないままに、また月日が流れてしまった。長く灯台巡りを続けた成果として、未踏の灯台が減ってきた現在、新たな灯台の多くは遠方や離島であり、訪ねる機会は多くない。だからこそ初めて訪ねた記事はしっかりまとめなければ、と反省しきりである。

Chikyuumisaki01

神威岬など積丹半島に向かう前に、千歳から室蘭に向かい地球岬を訪ねた。実はここの灯台には、強い思い入れがある。以前函館の葛登支岬灯台を訪ね、記事にしたとき、幼少期にお父様が灯台守としてこの灯台にみえて、一緒に過ごしたと言う女性から、想い出のメールをいただいたのである。(その記事の紹介はこちら)その時私が返信に、早く行きたい灯台の一つとして、今回の地球岬をあげると、その数年後にその女性が訪ねられ、私が来たときの目印にと、黄色いリボンをどこかに結びつけていただいたと聞いたのである。あれから訪ねる機会はずっと持てず、10年弱経ってしまった。今回雨がぱらつく曇天の中訪ねたが、まずはその黄色いリボンを探して歩き回った。『もう、あるわけ無い』と思いつつも、やはり見つけられなかったのが残念で、もっと早く訪ねられたら、と。まずは心の整理をしてから灯台に目を向けた。

Chikyuumisaki02

Chikyuumisaki05chizu

地球岬は、通常は灯台が立つ敷地まで降りていけず、丘の上から、視野に入る水平線を背景に、眼下にその姿を見る形となる。1920年に立てられたこの白亜の灯台の形状は、比較的多く目にするが、私が一番好きな形状かもしれない。安定していて力強く、それでいて美しい。

天気に恵まれず、『地球が丸い』と感じるような水平線を背景に見られないばかりか、近づけない。さらに私的には、黄色いリボンが無かったことも加わり、なんとなく重い雰囲気で灯台を味わった。

Chikyuumisaki04

ちなみに、観光地でもあり、駐車場も整備され、立派な展望台もある。私はレンタカーでやってきたが、TVなどの旅行記でも取り上げられる様に、列車で訪ねて駅から徒歩で登ってきたときには、広がる海が見えたときは、地球岬という名前通りの感動を味わうに違いないと感じた。

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今回、曇天だったことと、回収できなかった黄色いリボンの想い出を自分の中で整理して写真に珍しく加工を加えてしまったことを付け加えておきます。

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2017年9月12日 (火)

神威岬灯台(北海道)

Botantoudai_2今回紹介するのは、地球岬と共に、必ず訪れたいと思っていた北海道の灯台の一つ、神威岬灯台である。晴天に恵まれ、多くの観光客に驚きながら訪ねたと言う印象も強かったが、それ以上に積丹ブルーの海に突き出た岬の絶景は忘れられない訪問となった。

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洞爺湖方面から、ニセコを通り抜けて北上して、徐々に神威岬に近づくと、車やバイクの数が増えてくる。バイクで北海道を走ってる姿には、この歳になっても憧れがあるためなのか、私は、前に車がいない状態で後方からバイクの集団が近づいてくると、窓から手を出し『いいね!』をして、そのまま抜いていくよう促してしまうのだ。挨拶を返して抜いていく姿を見送りながら、今更ながら、若いときにバイクでこの地を走ってみたかったと思うのである。

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ただ訪ねたのは8月19日、夏休み期間である。とにかく凄い人だった。神威岬と看板が出た交差点を曲がると、既に数台の車が駐車場手前で並んでいる。結局少し時間がかかったが、幸いにも出て行く車を見つけてそこに駐車した。岬に向かって歩き出すと、徐々に細くなって一列になった人の波は数珠つなぎ。渋滞まで発生している。更に日本語よりも中国語の方が圧倒的に多く飛び交っている。灯台巡りで中国人と一緒なのは、鹿児島の長崎鼻灯台でも経験したとは言え、私にとっては異様である。

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気温は28度で風が心地よいのだが、日差しは強い。しっかりと汗をかきながら人の波に従って進むこと半時間。ようやく先端の灯台にたどり着いた。私としては灯台が目的だが、多くの人は岬の先端からの景観が目的である。しかし灯台が日陰を提供しており、その前から人が消えてくれない。不本意ながら多くの人が写り込む写真となった。それ以前に、灯台にカメラを向けていたのは、私だけだった気がしている。

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神威岬灯台は明治21年が初灯で、北海道に最初に立てられた灯台20基の内、5番目に古い灯台である。この絶景の中に立つ神威岬、改めて感じたのだが、灯台ほど人工の建造物で、自然に受け入れられた物はないと思う。おそらくこの地を訪ねてきた多くの観光客の誰一人として、神威岬灯台を邪魔な物、余計な物としては見ていないはずである。

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灯台を取り終えた自分も、この積丹ブルーの景観を見逃すはずはない。灯台の写真を撮り終えると、いろんなアングルでこの絶景をカメラに収めた。だが、この景観は写真に残さずとも、忘れるはずがないと思っていたことも間違いない。

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付け加えておくと、岬の先端までの歩道は整備されているとは言え、アップダウンはかなり多い。駐車場に戻ったときに、ヒール姿のボディコンのワンピースをまとった女性が彼氏?と中国語で話しながら岬に向かったが、少し無謀だと感じた。また岬までの道は、本当に狭い場所もある。今回のように人が多いと、立ち止まって写真を撮ることすら迷惑となる。この景観を背景に写真を撮りたいという気持ちはよくわかるから、少なくとも先に行かせてあげたり、人の列が切れるのを待つなど、タイミングを計って欲しいものだ。しかし、そう考えない人たちが平気で立ち止まって渋滞を引き起こしつつも、景観を背景に自撮りしていた。この時の一団は中国語を話していたが。

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2017年8月24日 (木)

積丹出岬灯台(北海道)

Botantoudai_2今回は、旅から戻り一週間も経たない間に記事を書いている。2017年8月19日に神威岬から積丹岬を経て小樽に旅して灯台を巡った。今年天候不順が各地で続き、北海道も例年より雨が多かったそうであるが、この日は快晴。気温は27度と涼しいのだが、日の当たるところでは肌に刺すような日の光が降り注ぐ快晴だった。

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積丹ブルーと言う言葉は、この地を旅するからこそ知った言葉であるが、その言葉が必要だと感じる碧い海。神威岬から感動の言葉を発し続け、この積丹岬まで続いたこの感動を忘れない間に記事にしてみた。ちなみに積丹ブルーの原因は特産とも言われるウニが海藻の新芽を食べるために白い岩肌となったことも一因で独特の青みが生まれているとネットで読んで驚いた。

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神威岬を訪ねて、その素晴らしさでhighになった状態のまま積丹岬を訪ねたが、神威岬に比べて道案内は無く、ナビが無ければ通り過ぎてしまうような細い道に入った。上る道も狭く、たどり着いた駐車場も狭い。しかし頭上の岬に灯台の姿が見えており、おとなしく車の列に並んで、少し待って駐車場に車を納めた。駐車場から歩き始めるとすぐに、『日本の渚100選』と書かれた案内番が目に入ったが、そちらとは異なる上り坂方面に灯台がある。観光客の列から離れ、一人上り坂に向かった。結構きつい坂道を上ると、やがて白と赤の灯台が見えてきた。先端は黒ずんで見える。一見すると古く見えるが初灯は昭和40年と私よりも若い。適度に古いためそう見えるのかもしれないと思った自分であるが、そんな自分も古びれて、いや老いぼれて見えるのだろうか。

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人の姿は少ない。満車から降り立った人はほとんど全員が、駐車場からトンネルをくぐってたどり着ける渚100選の島武意海岸に向かったようだ。おかげで、灯台の奥にある絶景を独り占めできた(写真最右下)。この景観も島武意海岸の一部である。

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先に訪ねた神威岬灯台では、観光客の人混みに埋もれていた。観光客がいる、と言うよりも人がいる灯台巡りになれていない自分は、ここでようやく居場所を見つけたようにリュックを下ろして灯台、そして周囲の景観をゆっくりと味わった。積丹岬であるが、灯台名は積丹出岬灯台である。地図で見ると少し東側の出っ張った部分は積丹出岬となており、納得である。灯台の姿は、少し頭でっかちであるが、安定感があった。北海道と言えば我々東海に住む者は冬をイメージする。しかしこの日の晴天からそれは難しかった。

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しばらくして、人の姿が近づいてきたのを機にリュックを背負って、多くの人が訪ねている海岸線に向かった。しかし高い場所から下りていけると思ったが、そのまま横への移動のみ。随分高く、海岸を見下ろす形となった。それでも人が点にしか写らないこの高さから海岸全体をカメラに収めることが出来たのはラッキーだった。積丹ブルーを十分に味わい、満足して車に戻ったのである。

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