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2008年5月25日 (日)

菅島灯台(三重県)

Botantoudai 昨年2007年のGWは神島に渡り、灯台だけでなく、『潮騒』の舞台をのんびりと味Sugashima1 わったのだが、今年2008年のGWは、同じように島に渡ったものの、灯台だけを巡ってすぐに自宅に戻るというものだった。行き先は菅島灯台(写真右上)であった。

勤務医時代はGWが恨めしかったが、今は当番に当たらなければ、一応暦通りの休日がいただける。4月の最後の日曜日(世間ではその前日からGWと言うらしいが)の早朝自宅を出て、鳥羽から始発の連絡船で菅島に渡った。そう言えば昨年のこの時期に、灯台巡りの先輩方が菅島に渡り、菅島灯台を『でかい』と表現していたことを思いだし、船の中で期待が膨らむのを感じた。島に着くと、案内 表示を確認して、迷うこともなく灯台目指して歩き始めた。しばらく行くSugashima2とかなり急な坂道。階段ではなく、舗装された斜面の歩きにくいこと(下りはもっと大変だったが)。途中から階段となったが、かなり急である。腰の曲がった老婆が私の前をゆっくりと登っていた。上にある畑へ向かうのだろう。挨拶を交わしたのだが、その声は若々しく、大きかった。

灯台まで一気に進み、およそ15分くらいかかっただろうか。遅咲きの桜が門の近くに咲Sugashima3 き、霞んだ青空の日ざしが、周囲の緑で眩しく感じられた(写真左上)。正面に立つと確かに『でかい』。写真は見たことがあったが、実際見ると更に大きく感じた。菅島灯台の歴史を今更語る必要も無いであろうが、煉瓦造りの灯台としては最も古い物である。より安定した形上の大きさなのだろうか、などと感じつつ灯台をゆっくりと味わった(写真右中)。

菅島灯台の正面には、草が覆っているが広場があり、写真を撮る者からすると、いろいろ構図を考えられて嬉しい。もちろんここだけでなく、灯台守のなごりが残る灯台は、おおむね敷地がそのまま残されていて広い。そう言えば先日、お父様が灯台守をされていたと言われる方からメールをいただいた。私Sugashima4が既に訪ね、ブログ記事にしていた徳島と函館の灯台について思い出深く書かれていた。ここ菅島の宿舎は移転され、記念館として保存されているらしいが、こう言った灯台には、灯台を守って見えた方々の生活がそのまましみ込んでいるのだと改めて教えられた メールだった。

正面からもう一度見ると、やはりでかかった。約半時間の滞在で、慌ただしく後にしたが、春の日ざしの中で、でかさ以上の存在感を感じた(写真左下)。

帰りの連絡船まで10数分しかなく、来る時に登りにくさを感じた舗装した斜面を、転がる ように駆け下りて、手を振りながら『乗ります』と言う意志を全身で表現しながら連絡船まSugashima5で全力で走り、まるで列車に飛び乗るように船に飛び乗った。(私を見て、待っていてくれた係のお兄さんに感謝!)私が乗るとすぐに出航だった。汗だくになった私は、後方のデッキに出て、風に当たりながら汗が乾くのを待ったが、菅島としては何の記憶も残らないことを嫌って、島の写真を船の上から数枚撮っている自分だった(写真右下)。

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