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2008年7月

2008年7月30日 (水)

天神埼丸山灯台(和歌山県)

Botantoudai 私が住む三重県と和歌山県は、南の熊野市周辺では接しているが、ほとんどは奈良県を挟む形で位置し、しかも奈良県を挟む大半が吉野熊野国立公園や高野龍神国定公園などの山岳地帯であり、直線的に通り抜けをして訪Tenjinsakimaruyama1ねることは難しく、距離以上に遠く感じる(地図左上:MapFanより)。和歌山出身の友人も同様のことを話していたことを記憶している。2008年7月19日の土曜午後から奈良県の北部を通り大阪方面を経由して南下して和歌山県白浜温泉で一泊し、翌日曜日に北上しながら和歌山の灯台を巡った。今回は、その中から田辺南部海岸にある県立自然公園の天神埼に立つ丸山灯台(写真右上)を紹介する。

Tenjinsakimaruyamachizu1 前日の土曜日は白浜温泉でのんびりと温泉と夕食を味わって早々に休み、翌朝は午前4時に起きて番所埼の灯台を訪ね、宵の円月島なども眺めて宿に戻り、もう一度温泉に浸かり朝食を摂ってから、宿を出て天神埼を訪ねた。まだ9時過ぎであったが、とにかく暑い。埼は、県の自然公園として保護されている名勝地で、対岸には早朝に訪れた番所埼が見えている(写真右下)。ちょうど潮が引いて釣りを楽しむ人の姿も見られたが、熱気で揺らいでその姿は遙か遠くに感じた(写真右中)。Tenjinsakimaruyama2

丸山灯台は、名前の通り平らな岩から盛り上がっている小さな丸い山の頂上にある。所々海水が残った岩の上を歩いて丸山に近づいたが、滑りやすい箇所も少なく、岩盤と言った感じだ。丸山の手前に数メートルの小さな丘が出来ている(写真右下)。その上部には岩と言うより土の部分が少し残っていて、植物がたくましく生えている。徐々に浸食されて、丸山もいずれはこの丘のように小さくなり、そしてこの丘も消失して岩盤の一部分となってしまうのだと、暑い中で考えることではないのだが時の流れを考えてしまった。とTenjinsakimaruyama4言いつつも浸食を助長する行為かも知れないが、ちゃっかりとその丘に登って丸山灯台を少し高い位置から眺めた。

近づいてくる途中、鷲が私の頭上すれすれを通過して灯台に向かったのだが、確かに最初撮った灯台のアップの写真には一羽の鷲が写っていた。しかし、丘に登って灯台を見ると、鷲が三羽に増えていた(写真左下)。灯台の写真を撮るときに、よくカラスが灯台に留まっている。カラスの勝手かもしれないが、邪魔に思うこともある。それに比べれば鷲の方が絵になるのだが、三羽も留まっているとさすがに邪魔にも感じた。(鷲の勝手なのTenjinsakimaruyama3だが・・・)

もう一度白浜温泉の方角である、番所埼を背景に丸山灯台を、そして天神埼全体を眺めながら車に戻ることにしたが、この景勝を夕暮れ時に訪ね、番所埼沖に夕陽が沈む姿を背景にして次回は丸山灯台の撮影に訪れようと心に誓っていた。

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2008年7月24日 (木)

辺戸岬灯台(沖縄)

Botantoudai 2008年5月末に沖縄への職員旅行の自由時間を利用して巡った灯台7基の内、既に4基を紹介した。5基目として紹介するのは、私が沖縄のHedomisaki2灯台巡りの中で最も訪れたかった灯台であり、そして最も感動した辺戸岬灯台(写真右上)である。

辺戸岬は、沖縄本島の最北端である(左上地図参照:MapFanより)。最北端と言う肩書きが付いているだけでも、灯台巡りをする私には魅力的なのだが、南の灯台に比べるとあまり観光地化されていないことは、自然の中にたたずむ灯台を追いかけている私には更に魅力的であった。実際に辺戸岬を訪ね、その後東側の海岸沿いを走り始めると、那覇市や名護市周辺とは異なった沖縄の自然を味わうことが出来た気がする。

Hedomisakichizu1_2辺戸岬を目指し北上を続け奥間ビーチ辺りを過ぎると、私の勝手な印象なのだが、観光地と表現する景観ではなく、自然のままと言いいたくなる景観が続く。観光客と言うより趣味を楽しむ様に感じられる人の姿が多く見られた気がする。辺戸岬灯台は、正確には辺土岬から少し離れた西側の場所に立っている(地図右中:国土地理院より)。道路上に灯台の案内表示などはなく、訪ねるには地図と勘が頼りになる。しかし灯台の立つポイントを過ぎてしまったとしても、道はUターンする形で徐々に南向きに方向を変えるため、多少通りHedomisakichizu2_2過ぎたとしても気がつくはずである。幸い私は、通り過ぎることもなく灯台に続く細い道を見つけ、その道を少し入った空き地に車を停めた。もちろんその時は、灯台に通じる道かどうかわからず、サトウキビ畑でお仕事をされている男性に尋ねて、この道で間違いないことを知った。そう言えば、数時間前に古宇利島でも同じようにサトウキビ畑で働く男性に灯台を尋ねたのだが、数日前の事のように感じた。

Hedomisaki1北上を続け走っている間に、雲が減って青空の割合が増えていたことは感じていたが、車を降りて灯台を目指して歩き始めると、眩しく暑い日差しに少し驚き、周囲の緑が夏の日差しに照らされているように見えた(写真左中)。最も訪ねたかった最北端の辺戸岬灯台まで足を伸ばした私へのご褒美なのだろうか。勝手にそう思うと同時に、気分が夏色に変わって行く自分に気づいた。

灯台は、よく見るタイプの灯台である。周囲には高さ120cmほどのブロック塀が囲ってある。先端にある避雷針を支えるために3方向に金属製のロープがつながっているのだが、その内2本は、灯台の建物につながり固定されており、避雷針の役Hedomisaki4割をしないのでは?と心配してしまった(写真右下)。昭和36年7月初灯であり、沖縄の灯台の中では古いのだが、再塗装されてきれいな白色を輝かせている。灯台の正面を除いて、側面や背面(海側)は草木が茂っていて入り込めない。それならば、と迷わず塀に登って、幅10cmほどの塀の上を歩いて、灯台をぐるっと一周してみた。すっかり夏色の気分になった私は、青空が広がり藍色に見える海を背景に、灯台の姿をいろんな角度から塀の上で眺めた。塀の高さが絶妙に良い。しっかりと海を背景に灯台をカメラに納めることが出来て、一番のお気に入りとなった(写真左下)。

しばらくはグルグルと塀の上を回って景色を楽しんだが、時間に限りがある今回の灯台巡りのため、夏色気分も終わりにして辺戸岬を後にすることにした。その後東側を南下して安田にある瀬嵩埼灯台を訪ねたのだHedomisaki3が、残念ながら時間の関係で、そこから一度西側に抜けて南下し、名護市内を東に走って安部埼にある高墓灯台を訪ねたため、安田から安部埼までの、福上湖方面は通過できず味わうことができなかった。もっと沖縄の自然に触れる機会を逃したことは残念であったが、気分を夏色にさせてくれた青空と辺戸岬灯台に感謝することにした。

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2008年7月16日 (水)

赤穂御崎灯台(兵庫県)

Botantoudai 梅雨の時期はそれほど嫌いではない。夏が好きな私は、むしろそのための準 備期間的なイメージとしてとらえ、更に梅雨の中休みで晴れた日Akoumisaki1には、夏を連想して心ときめく事もある。今回は、そんな梅雨の晴れた日に、少し浮かれ気分で足を伸ばして訪れた赤穂の御崎灯台(写真右上)を紹介する。

とは書いたものの、近畿と東海の天気は異なり、兵庫県に近づくにつれてどんよりとした雲が空を覆い、灯台に着くと梅雨空そのものであった。海の見晴らしも悪く、山育ちの自分が海を見るといつも覚える感動もなかった(写真左上)。灯台の立つ御崎は、赤穂市に流れる千種川より東にあり、西に広がる赤穂の中心地や川を見下ろす形でそびえ、すぐ西側の平地には海浜公園も整備されている。御Akoumisaki2崎の周囲には宿泊施設などもあり、観光地としての一面もある。しかし残念ながら灯台にはそう言った雰囲気はなく、草に囲まれて立っていた。燈光会の案内板も草に埋もれている。案内板の写真を撮るため、周囲の草を足で払ったり踏んだりして除いたのだが、カーキ色のズボンの裾に草の緑色の汁が付いてしまった(写真右中:案内板に草が反射して緑色になっている)。梅雨は嫌いではAkoumisaki5ないと書いたが、出かけに日差しがあったのに、雲に覆われた天気では気分も晴れず、更に草に囲まれ曇り空が背景の灯台にカメラを向けても、なかなかお気に入りのアングルが見つ からない。納得がいかないまましばらく灯台周辺をぶらついた(写真左、右下)。

赤穂と言う名は、日本人なら赤穂浪士と切り離して考えにくい。考えてみれば、思い立ってAkoumisaki4 赤穂を目指して車で3時間弱。東京からの1/3の距離ではあるが、早かごで三日かかって情報が伝わった時代を対照にすることすら無意味に感じるくらい近い。とは言え、緻密に情報を集め仇討ちを達成した赤穂浪士に比べ、地元が晴れているからと、いい加減な理由でやって来た自分の浅はかさ。移動が早く、時間が有効に使え、情報があふれる中、如何に情報やその時の行動を取捨選択するかを考えさせられた。(と固いことを書いAkoumisaki3たが、帰りも気ままに、帰ったのだが・・・)

もう一つ余談になるが、赤穂市街を通り抜けして帰る途中、元塩町と言う町名を見て、赤穂は塩が有名であることを思い出し、それに関連して付いた町名なのかな・・・などと考えて走っていると、正面にまた「塩」の付いた名称の看板を見つけた。近づくと、『塩野義製薬』と書いてあったwobbly

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2008年7月 4日 (金)

残波岬灯台(沖縄)

Botantoudai 職員旅行で訪ねた沖縄の灯台巡りは、二日目に自由行動を利用して回ったのZannpamisaki1であるが、今回紹介する残波(ざんぱ)岬灯台(写真右上)だけは、初日に那覇空港からそのまま職員を引き連れて訪れた。観光地化されている場所でもあり、ホテルへ向かう道の途中と言うことで、不満を言う者もいなかった(と思っている)。

空港からレンタカーで高速道路を利用せず、西側の海岸線に沿って北上して残波岬にたどり着いた。まだ沖縄に到着して時間も経っておらず、女子職員達は車内から見えるちょっとした景色にも黄色い声をあげてくれた。おかげで、つられてこちらもテンションが上がった。岬に立つ白亜の高い灯台の姿が見えると、後部座席からは更に大きな声が聞こえてきたが、逆に私は職員旅行の引率役から、いつもの灯台巡りの姿に戻り、冷静になった気がZannpamisaki2 した。事実車を停めると、さっさと灯台に向かい始めた私の姿を、後から職員達に指摘されて少し照れくさかった。

灯台を眺めてまず感じたことは、その高さである。この1年の間に訪ねた灯台の中では、灯棟は最も高いのではないだろうか?(後から確認したのだが、1年以内に訪ねた灯台の中では、灯棟は最も高く、地上高でも尻屋埼に次ぐ二番目の31mであった。)この灯台は登れる灯台である。曇天にもかかわらず多くの観光Zannpamisaki3 客が登っており、人の姿がないときの撮影は難しかった(写真左上)。勿論自分もぐるっと周囲を回った後に登ることにした。灯台に近づくと、女子職員達が既に登っており、大声で上から私を呼んでくれた。思わず千葉県の野島埼灯台を訪ねたときの事を思い出した(こちら参照)。 螺旋ではなく、ジグザグな階段と言うのも珍しかった。投光部に出ると、風が強いが気持ちよい。晴れていればもっと素晴らしい景色が楽しめるのであろうが、それでも十分に景観を堪能した(写真右中)。返還後まもなく建てられた灯台で、初灯は昭和49年である。平和な姿を眺めることができた。

Zannpamisaki5 投光器に目が行くところが、既に灯台好きの仲間入りを果たしたのだと感じるのだが、見える投光器はライトが並んだようなタイプ(写真右下)で珍しく感じ、後で自宅に戻ってから灯台巡りの先輩に尋ねて、多くの灯台で使用されているLU-M型灯器だと知った。確かに登れる灯台で近くまで行ったから気がついたことであるが、灯台の景観をカメラで追っかけているだけの私には知りがたい情報であることを認識し、まだまだ仲間入りは難しいと痛感した。Zannpamisaki4

余談になるが、後日職員から一枚の写真を渡された。そこには、岩によじ登 り、お気に入りのアングルで灯台をカメラに収めている自分の姿が写っていた。「灯台の写真を撮ることへの情熱はしっかり持っているんだな」と感じさせられる一枚であり、写真の中の自分に照れくささも感じたが、誇りの様なものも感じた。撮ってくれた職員に、「必ずもう一度訪ねて青空が背景の写真を撮りたいんだ」と話すと、回りにいた職員達から、「じゃーもう1度職員旅行を沖縄にしてくださ~い・・・」と言われてしまったhappy02

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