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2008年10月

2008年10月30日 (木)

鴨川灯台(千葉県)

Botantoudai Kamogawa4島に立つ灯台。それだけでも魅力的な響きがあるが、残念ながら船を利用して島に渡り訪 れた灯台はまだ数少ない。今回紹介する鴨川灯台(写真右上)は、島に立つ灯台であるが、防波堤から橋が架けられ、歩いて訪ねることができる。地図上(地図左上)には橋は示されておらず、歩いて渡れることを知らなかった自分は訪ねるまで、防波堤から写真に納めることが出来たら幸いと割り切っていた。それだけに橋を見つけた時には、思わず感激してしまった。

鴨川と聞くと、中部地域に住む自分はシーワールドくらいしか思い浮かばない。幼い頃に千葉県に住む親戚宅を訪ね、連れて行ってもらった記憶がある。シャチのショーと広場でやっていた仮面ライダーショーが思い出深い。

Kamogawachizu6今にも降り出しそうな曇り空の中、勝浦方面から車を進めて午前9時前に鴨川に入った。週末と言うこともあり鴨川シーワールド前は、駐車場を求めた家族連れの車が数多く並んでいた。シーワールドを過 ぎて港を目指したが、民家が軒を連ねる細い道の途中に、『港左折』の標識が出ていた。細い道のため一度通り過ぎて、港を見下ろせる高台まで登って、方向を確認してから、戻ってその道に入った。細い道であったが、港周辺の道につながっており、そこからKamogawa1防波堤に沿って島の近くまで車を進めることが出来た。灯台巡りをしていると、Uターンすら出来ない細い道に入り込み、行き止まりで苦労すると言う経験が時々ある。そのため見通しの悪い細い道に入るときは、少し慎重になっている気がする。

Kamogawa3防波堤からつながる橋は鉄製で、仮設とも言える橋(写真右中)であるが、釣り人を含め利用する人は多いようだ。島に渡ると木々の間に作られた道があったが、ゴミが目立った。更に灯台の周囲は、よりゴミが目立った。当たり前のことであるが、『エチケットを守らない人は来るな!』と言いたくなる。

あいにくの曇り空の下、防波堤の反対側から何枚か写真を撮った。反対側は岩肌が続き、崖なのだが、斜面はなだらかで少し下まで降りることが出来る。見上げると灯台がそびえている(写真左中)。防波堤を囲むように四つの島があり、灯台が立つ島が荒島、そKamogawa5してその隣の弁天島がここからよく見えた。崖を移動して、出来るだけ灯台の北側から灯台を入れて弁天島の写真を撮った(写真右下)。弁天島には、その名の通り祠があるようで、以前にもブログで書いたが、灯台近くにある神社である。この弁天島にも防波堤から橋が架けられていた。

島から防波堤に戻り、もう少し防波堤の先まで進むと、灯台の立つ荒島の全景が見える、灯台は北側の端に近いところに立っている(写真左下)。渡ることが出来なければ、この姿しか見ることがかなわなかったはずである。冒頭にも書いたが、島Kamogawa2に立つ灯台には、陸続きの岬や埼に立つ灯台とは、またひと味違ったロマンがある。他の灯台巡りの先輩達のHPや記事を読ませていただいても、島に渡って味わった灯台の思いは格別のように書かれている。私ももう少し島に渡る努力をしないと・・・などと考えながら、夏の休暇で巡った灯台の最終目的地であった鴨川灯台を後にして、自宅への長い帰途についた。

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2008年10月23日 (木)

剱埼灯台(神奈川県)

Botantoudai 2007年の10月に、東京湾入り口の東側にあたる千葉県館山から南房総にある灯台を素晴らしい天気の中巡った。中でも館山港沖島灯台州崎灯台の感動は今 でも蘇る。今回2008年の10月に、西の入り口となる三浦半島4を横須賀から三崎にかけて巡ることができた。南房総を巡ったときに比べると、少し雲があったが、それでも十分な青空の下、観音埼や城ヶ島そして今回紹介する剱埼灯台(写真右上)の秋らしい景観を楽しみ、灯台を存分に味わわうことができた。

5 観音埼を出たのは、まだ午前10時前であったが、三浦海岸を走行するときには、かなり混んでいた。海岸線の駐車場も、ほぼ満車の状態でサーファー達があふれていた。勝手な感想なのだが、この地のサーファーはみなさん親しみが持てる。道路を横断されるときの仕草も礼儀正しく、いわゆる若輩者と言う感じの方は少ない。自分と同年代くらいの人も含め、全般に年齢層が高い気がした。東の海上から雲が広がりつつあり、波は十分のようで、楽しまれるサーファー達を応援するような目で見ながら運転していた気がする。

1海岸線はゆったりと左にカーブを続け、その前方には剱埼につながる岬が目に入る。東の 空には雲が多いが、西側は青空が広がっている。北久里浜で借りたレンタカーのナンバーは『湘南』。少しだけ地元の顔をしながらドライブを楽しんだ。やがて海から離れ、埼に向かう少し登りの道にさしかかった。ここでなんと警察が速度違反の取り締まりを行っていた。埼から下る道は相当スピードが出そうで、狙い目なのであろう。私は対向車にパッシングを行いながら道を登った。”剱埼灯台”の案内通り進み、道を迷うことはなかったが、最後はかなり細い道になる。ちょうど正面に灯台の斜め後ろ姿が見えるところ(写真左上)に車を止めてカメラバッグを担いで向かう事にした。

3 一度入り江に続く斜面を下ってから埼に登るのだが、その斜面に広がるススキが、海からの照り返しの光りを浴びながら強めの風に揺られていて趣がある(写真右中)。夕暮れ時ならもっと綺麗に違いない。剱埼灯台の敷地は広く、その奥に立つ灯台は背後から見るだけでも力強さを感じた(写真左中)。ちょうどバイクで訪ねた人と同時に敷地内に足を踏み入れ、私は右側から、彼は左側から灯台の正面へと進んだ。徐々に灯台の顔が見えるにつれて、その壮大さを感じずにはいられなかった。照射灯そのものがかなり大きく、したがってガラスの部分も大きく、例えるなら目が大きいと言2 った感じだ。残念ながら海を背景に写真を撮ると、雲が広がっていたが、それでも灯塔の存在感はしっかり写せたと思う(写真右下)。

感動しきりではあったが、一つ残念なのは、ちょうど灯台正面に向かって建物の右隅に、言葉は適当でないかも知れないが、ホームレスと思われる男性が荷物に囲まれ寝ていたため、灯台正面に向かって右側からの写真が狙えなかった事である。あの場所に暮らしているわけではないだろうが、少なくとも当分の間は移動する雰囲気ではなかった。

6 ぐるぐると灯台を見上げながら回りを何度も廻っている間に、バイクの彼は既に立ち去っていた。知らない間にかなり時間が経っていたようである。壮大なと表現するのが一番適していると感じた剱埼灯台の後ろ姿(写真左下)をもう一度カメラに収めてから、私も城ヶ島に向けて、『湘南』気分で移動を開始することにした。

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2008年10月17日 (金)

太東埼灯台(千葉県)

Botantoudai 当初立てられていた位置から別の場所に移設された灯台はいくつかある。その多 くは、周辺の開発に伴ったものや、灯台の改修などによる移設がほとんであるTaitousaki3、今回紹介する千葉県の太東埼灯台(写真右上)は、自然の浸食によりその位置が変更になった灯台としても有名である。もちろん外房の中間地点に位置した重要な灯台であり、埼からは海岸線に沿った素晴らしい景観を楽しむことも出来た。

九十九里から続く海岸線は、南下を続けると徐々に岩肌が目立ち始め、周囲も埼や岬の緑 が濃くなってくる。この辺りを運転しTaitousaki4_2ていると、不動産の看板が目に付くようになった。埼や岬 に建てた家屋や土地の案内である。以前TVで、この周辺に住居を築いて海を眺めながら生活を楽しまれている人を紹介していた記憶があるが、自然に囲まれ、海の景色を眺めながらの生活を希望している人たち向きの物件を紹介しているのだろう。太東埼灯台の立つ埼に登ると、そう希望する人たちの気持ちも良く理解できた(写真左上・右中)。 Taitousaki2

灯台に続く道は、案内がないと少し迷うかも知れず、田畑横の道を抜けてつながっている。分岐部に案内がないため訪ねるときには注意が必要である。灯台は、埼に登り切って広がる敷地の入り口すぐ右手に立っており、そこから奥に駐車場や展望台、休憩所などがあり、埼の奥に移設されたことがよくわかる。燈光会の案内板以外にも、地元が立てたと思われる案内表示があり、そこには海岸崖の浸食、崩落の危険により、昭和25年の設置時の位置より100m後退して昭和47年に移設されたことが書かれてある(地図左下)。以前実際に立っていた位置は、危険のためロープが張られているTaitousakichizu6 が、近づくことは可能である。また同じ敷地には、大戦時の設備跡なども残っている。

ちょうど私が滞在している間に、親子連れが一組、若い女性同士の観光客が一組訪れた。どちらの組も、私ほど長く滞在していなかったが、以前灯台が立っていた埼の先端部よりから景観を楽しんでいた。しかし奥に引っ越してしまった灯台に近寄ることはしなかった。太東埼を訪ねたのであって、太東埼灯台を訪ねたわけではないのだろうか。Taitousaki5

さすがに浸食が進んだ崖をのぞき込むことは私もしなかったが、周囲をゆっくりと散策しなが らいろんな角度から灯台を眺めた。ちょうど、以前立っていた崖の上から現在の位置の灯台を見ると、照射灯がほぼ正面に見える。かわいらしいと表現できる照射灯がこちらを向いていた。どことなくすました顔をしているように、私には写った(写真右下)。

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2008年10月 9日 (木)

鹿島灯台(茨城県)

Botantoudai 灯台と言えば、”海”のはずであるが、今回紹介する茨城県の鹿島灯台(写真Kashima2 右上)は、海の存在に全く気づかないままに到着し、更に海が見えない状況で灯台を味わうと言った、これまで経験したことのない形での訪問となった。

『鹿島』の地名で鹿島アントラーズを連想する人は多いであろう。当然スタジアムの存在も思いつく。私も事前に地図を見て下調べをしている時、スタジアムの存在を強く意識し、灯台よりもスタジアムを目印として頭に入れた。そのためかも知れないKashimachizu5が、地図からルートを検索するとき、海側を通らず、スタジアム近くを通る道を選んでしまったのだ。とは言え、この時の灯台巡りは福島県から千葉県まで太平洋岸に沿って南下して巡るわけであり、海を意識することがなくても、当然海を目にするものと考えていたことも事実である。ところが茨城県南部では、海沿いの道を選ばず南下してくると、ほとんど海を見ることなく鹿島灯台に着いてしまい、その上灯台の敷地から海の景色は全く見えなかった。確かに地図上、灯台から海岸線まで500m以上も離れている(地図左上:MapFanより)。しかしスタジアムや灯台は海Kashimachizu7岸線より高い場所の平地に立っている。にもかかわらず海が見えないのは、海側に林が連なっており、景色が遮られていることが理由のようであった。間違いなく灯台の上に登れば鹿島灘が一望できるはずである。(地図右上:国土地理院より.等高線が上がっているのがわかる)

灯台の周囲は民家や空き地、畑、そしてお墓が囲んでいる。灯台の海側は墓地で、海に向かって左手は畑、そして右手や後方は道を隔てて住宅Kashima3地となっている。車を止めて灯台を見上げると曇天の下、海の方向に林が連なり景色を遮っている(写真左上)。海が見えないためか、どことなくいつもと勝手が違う。いつもであれば如何にすれば海を背景にしたお気に入りの灯台写真が撮れるかと歩き回るのであるが、そう言った思いを抱くこともない。ただ灯台の写真をどの方向から撮影しようかと考えて、灯台を見上げながら周辺を歩いた。灯台に近づくと燈光会の案内板が立てられている。昭和46年初灯で、鹿島港が開かれ、この地域が発展するのを見守り続けてきたことが書かれている。Kashima4

余談になるが、灯台の外観とプレートはその新しさが一致しないことが多い。灯台は改築や再塗装などで新しくても、プレートは初灯時からのものが付き、時にアンバランスを感じるときもある。ここ鹿島灯台は、灯台とプレートから同じ程度の時の流れを感じた(写真右下)。

墓地の方に回り灯台を正面から見ると、右後方にスタジアムの姿も見えた(写真左下)。海も見えない灯台の写真を撮っていた私としては、曇り空の下ではあるが、鹿島灯台を意Kashima1識できるアングルだと考え、墓地内に立ち入らせていただき、撮影ポイントを探した。どの位置からでもすぐ頭上に灯台がそびえている。後方にスタジアムを入れ、何枚かの写真を撮っていたのだが、ふと考えると灯台の光はこの墓地の上を通過して海に届いているのである。『灯台もと暗し』で良かったのだと思わずにはいられなかった。

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2008年10月 2日 (木)

磯浜灯台跡(茨城県)

Botantoudai 荒れた天気の翌早朝、東の海上へ去りつつある黒く厚い雲、そしてその後方に広がる朝焼けの空を背景にして、荒れた波を受けて岩の上に立つ磯浜灯台を見て、ありきたりかも知れないが『おつかれさん』と声をかけたくなった。Isohamaooarai1

2008年夏の休暇での灯台巡りは、仙台を豪雨の中出発して、福島県の番所埼灯台で雨はあが ったものの、茨城に入ると雷や竜巻注意報が出て、突風にあおられながら日立灯台を巡り、宿泊地である大洗にたどり着いた。予定では、少し北に戻った所に立つ磯埼灯台などを夜に訪ねるつもりでいたのであるが、あまりの強風とオリンピックでの女子ソフトボールの活躍を理由に翌朝に回したのだ。

Isohamaooaraichizu3磯浜灯台は、大洗の海岸に立ち、周囲は夏を楽しむ場所として賑わっている。国土地理院の地図を見ると(地図左上:国土地理院より)、大洗岬と名が付く小さな岬があるが、灯台はその岬から少し海岸線沿いに東に入った岩場に立つように記されていた。ところが実際に訪ねてみると、岬と称されるIsohamaooaraiearth4のは岩礁で、事実上、灯台を過ぎると西に大きくカーブするターニングポイントとなっていた(写真右下:Google Earthより)。

三脚を固定して灯台に向けてカメラを構えたときには、東の空に朝焼けを確認できたが、まだ周囲は十分暗かった。点灯していないものの、シルエットとして荒波を受けている姿を見て、たくましいと感じた(写真左下)。しかし徐々に周囲が明るくなり灯台の姿がはっきりするにつれて(写真右上)、いたわりの気持ちが強くなった。そう思って見ている目の前でも、何度も何度も波しぶきが打ち付けている。その灯台の外壁は至る所に傷があり、これまで見てきた灯台の中でも明らかに過酷な状況とIsohamaooarai2言えそうだった。昨夜私が宿でくつろいでいた強風の中も、これまでと同じようにここに立っていたのだと思うと、思わず『おつかれさん』と声をかけたくなったのだ。

ここまで書いて触れるのもおかしいが、ここの灯台は、現在点灯されておらず、灯台としての形がそのまま残っている。私が訪れた時間は、早朝で、まだ十分暗かったが、やはり点灯されていなかった。すでに電線も伝わっておらず、その役目を終えたのだと感じた。本当に『おつかれさん』である。

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