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2009年4月

2009年4月26日 (日)

来島梶取鼻灯台(愛媛県)

Botantoudai私は、親族が高知県に住む関係で、瀬戸大橋や鳴門大橋を使って四国に入るKijimakajitorihana2_2 ことが多いのだが、今回は愛媛を訪ねると言うことで、初めて「しまなみ街道」を渡った。夕暮れ迫る島々を結ぶ橋を渡りながら(写真左上)進んでいくと、他の二つの本四大橋とは異なる性格の道であることが感じられ、街道と名前が付いている事にも納得であった。もし陸続きであれば、こうやって街から街へと道は延びていたのかもしれない。

今回紹介する来島梶取鼻灯台(写真右上)は、来島と言う名が付いているが、来島海峡から離れ、西側の七五三ヶ浦近くに立つ(地図右 中:MapFanより-地図上白 灯台となっている)。しまなみ街道を渡りKijimakajitorihana1四国に入ったのが、午後5時過ぎで、そのまま来島梶取鼻灯台を目指した。既に日は低く、春の霞んだ空を朱色に染めていたが、山間に入ると薄暗い。更に灯台に続く道は入り組みカーブが続き、舗装はされているがかなり狭い。うす暗い道を慎重に進んだが、対向車どころか一台の車を見ることもなかった。やがて道は灯台に続くと思われる少し広 い場所で行き止まりとなった。いつものようにカメラリュックを背負って準備を始めたのだが、まったく人の気配を感じることもなく、念のため護身用を兼ねて登山用の杖を持参することにした。Kijimakajitorihanachizu5_2

灯台までの道は、予想以上に整っているのだろうが、うす暗い(写真左下)ためか落ち着かない。『ガサッ』と言う枯れ葉の音がすると、異様に警戒してしまう。こう言った埼や岬の奥に踏み込んだことは何度もあるのだが、やはり薄暗さが神経を過敏にしているようだ。数分で灯台の立つ広場に出るが、ここだけはぽっかりと空が見えるため、まだ他に比べて明るかった(写真右下)。灯台はよく見る形なのだが、下段と上段の二つのリングがアクセントになっていて、比較的大きく感じられる。

Kijimakajitorihana4 四国愛媛に入って最初に訪ねた灯台であるが、既に黄昏時でのんびりと味わうと言う余裕はなかった。いや素直に言えば、薄暗く不気味で、どことなく怖さを感じて長居したくなかったのが本音かもしれない。10分ほどの滞在で今宵の宿泊先である今治市内に向けて移動することにした。

より暗くなった狭い道をヘッドライトを点灯させて移動したのだが、それでもまだ周囲の景色は確認することができた。ゆっくりと車を進めていると、初めて一台の軽トラックとすKijimakajitorihana3れ違った。こちらが少し路肩によって通り過ぎたのだが、その時運転するおじさんが軽く手を挙げてくれたのが見えた。その動作と言うよりも、おじさんの存在に安堵感を覚えた気がする。何となく気持ちが軽くなり、そのまま車を進めると、来るときには気づかなかった南西側の海岸沿いにある小さな砂浜が見えた。陸続きからでは見ることの出来ない小さな浜辺が、まるでプライベートビーチの様にも見えて魅力的に感じた。『誰もいないあの海岸で、のんびり出来たら気持ちいいだろうな~』などと、先ほどまでの小心者の自分から一変していた。

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2009年4月17日 (金)

女子鼻灯台(愛媛県)

Botantoudai愛媛県から佐田岬、そして豊後水道を隔てた大分県関崎に向けて細長く東西に延 Mekkohana2びる佐田岬半島での移動は、197号線が中心となる。ほぼ全線に渡り半島の真ん中、山の上を走るのだが、整備された綺麗な道で快適である。更に晴れた日には景観も良く、本当に気持ち良いドライブとなる。私が訪ねた時、春霞みはあるものの見事な晴天で、車を進めるに従って北側に伊予灘、南側に宇和海が広がる景色が楽しめた。今回紹介する女子鼻(めっこはな)灯台(写真右上)は、佐田岬半島の付け根部分に近い豊之浦の南(地図左上)にある。

Mekkohanachizu1 佐田岬から戻る途中に、この女子鼻灯台を目指した。当初地図を見たときは西側から向かうつもりであったが、197号線から外れると、ナビが指すままに東側の道を進んだ。しかし道はかなり細く、もし対向車とすれ違うとなるMekkohana3とかなり大変そうである。幸いこの時は一台もすれ違うことがなかったが、路肩に停めてある 軽トラック脇を通り抜けるときはかなり緊張であった。女子鼻遊歩道への入り口(写真右中:草に囲まれた遊歩道入り口)近くだけ少し道が広くなっており、そこに車を止め、カメラリュックを背負い遊歩道に入った。地道で、かなりのアップダウンではあるが、階段などが設けられているMekkohana4(写真左中:鼻の先端向かっての全景。山中を抜ける形で遊歩道は続く)。特に最後の登りは結構きつく、灯台が見えたときには、息が荒くなり、しっかりと汗をかいていた。

灯台の敷地内は綺麗で、灯台の前の階段に腰を下ろして、ゆっくり飲み物を飲みながら、まずは汗を乾かした。まだこの季節、蚊が集まってくることはなかった。灯台の後方に少し盛り上がった場所があり、そこに登って灯台を見ると、南に広がる宇和海を背景に写 真を撮ることができた(写真右下)。振り返って、北の方に目を移すと、今歩いてきた鼻に続くMekkohana5山が続いているのがわかる(写真左下)。事前にネットで女子鼻灯台を調べたときに、灯台の上からこの景色を紹介されているサイトがあった。この灯台で、公開と言うことはないだろうから、きっと職員の方なのだろう。少し低い位置からだが、同じ景色を眺め、改めて女子鼻にたどり着けた実感を持った。

Mekkohana6 明治時代には、この周囲に女子製錬所があり、その煙害などが問題となったそうであるが、のどかなこの景色を見ている限り煙害などと言う言葉は全く想像が付かない。確かに遊歩道の途中に煉瓦で出来た野釜の跡があったが、明治時代に日露戦争へ向けてこの周辺が、まるで白黒写真で見るような精錬を行っていた様を思い描くことすら出来なかった。

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2009年4月 9日 (木)

塩屋埼灯台(福島県)

Botantoudai今回は、あまりにも有名な塩屋埼灯台(写真右上)をまとめることにした。しかし、塩屋埼灯台は、私にとってあまり良い訪問だったとは言えない。同じ福島県の小良ケ浜灯台を訪ねた時に降っていた雨はあがったのであるが、どんよりと低い黒い雲Shioyasaki3に覆われ、強風の中で塩屋埼灯台に着いたのである。この程度の風なら何度も灯台を訪ねたことがあり、張り切って灯台の立つ岬に登ったのであるが、受付のおばさんから『強風のため灯台に登ることはできませんよ』と申し訳なさそうに言われたのだ。灯台を訪ねたときの天気も、巡り合わせの一つと考え、雨天であっても曇天であっても納得してきた私である。しかし登れる灯台のShioyasaki1 一つとして楽しみに訪れた塩屋埼灯台を登れなかったことは、やはり心残りである。その意味でも良い訪問だったとは言えないのだ。

2008年の夏に、北から南下して塩屋埼灯台に近づいた私は、灯台の立つ塩屋埼に続く海岸から見るその姿に、なぜか早春の嵐を連想しながら車を進めた(写真左上)。灯台の立つ岬のすぐ下の駐車場に車を止めて歩き始めると、登り口に『喜びも悲しみも幾歳月』の大きな記念碑が目に入った。京都の経ヶ岬灯台は、・喜びShioyasaki2も悲しみも幾歳月だったな~などと原作の舞台である塩屋埼灯台を今から訪ねるのだと思うと心がときめいた。

観光客の姿はなく、のんびりと景観を楽しみながら灯台に近づくことができた。海岸線から突き出た岬に立つ塩屋埼灯台は、本当に絵になる。多くの灯台巡りの先輩方が、サイトなどでも写真を公開しており、その姿はまだ灯台を訪ねていなかった私の目にも焼き付いている。曇天で強風であるが、その姿にカメラを何度となく向けながら近づいた(写真右中)。

Shioyasaki4・・・・『登れませんよ』と本当に申し訳なさそうに話すおばさんの顔は、十分に納得できた。おそらく観光で立ち寄っただけの客ではなく、灯台に興味があって訪ねたと言うことを、私の姿から理解しているのだろう。その表情には、すごく感謝したいのだが、やっぱり残念でならなかった。欠品していたピンバッチが入った事なども教えてくれたが、そう言った小物を収集していない自分としては、代わりのおもちゃでごまかせる子供の様には、機嫌が直ることはなかった。せめて灯台をのんびりと味わうべく、辺りをうろうろと歩くことにした(写真左下)。Shioyasaki5

何処からの景色も目を閉じて描けるくらい(と言っても、絵画の才能は全くないが・・)敷地内 を歩き回って灯台を味わった。受付のおばさんに、素直に『登れなくて残念でしたが、ありがとうございました。』と言うと、『またぜひ訪ねてください』と言われた。東海に住む自分が、そう簡単に来られないことはよくわかっていたが、『はい』と答えて岬を下り始めた。振り返るとちょうど咲いているユリの花の向こうに灯台が見えた(写真右下)。本当にまた来られたら良いな~。

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