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2010年6月

2010年6月24日 (木)

江崎灯台の光り(兵庫県)

Botantoudaiお気に入りの灯台の中で、比較的近い灯台への訪問回数は年々増えていく。夜明け前に訪ねて徐々に青空に変わっていく中で灯台が消灯するのを見守ったり、夕焼けから空の変化と共に灯台が点灯し、更に闇に包まれて光りが浮かび上がるのを楽しんだEsakinitibotu01りすることが多い。灯台の立つ風景として私のお気に入りとなった場所から、次にその灯台本来の姿を追い求めたくなるからなのだろう。 今回は三回目の記事となるが、淡路島に立つ江崎灯台の夕暮れ時の訪問をまとめてみる。(初回記事はこちら明石海峡大橋との記事はこち

Esakinitibotu0370-80年代育ちの私にとって土曜日は格別であり、それは今でも同じだ。土曜の午後2時くらいに仕事が終わり、開放感に包まれた中で青空を見ると車を走らせ、灯台を訪ねたくなる。この日も晴天。私はカメラリュックを積み込んで車に乗り込んだ。三重県の自宅から神戸まで、時間帯にもよるが3時間はかからない。午後4時過ぎには淡路島に渡り明石海峡大橋を淡路側のサービスエリアにある展望から眺めていた。Esakinitibotu02

夕焼けが近づく頃江崎灯台に向かった。灯台そのものに来るのは二度目である。灯台下の道路沿いのパーキングに車を止めて、ゆっくりと階段を登った。一気に登ると多少息が切れる。登り切ると相変わらず江崎灯台はあっち側を向いて物静かに迎えてくれた(写真右上)。前に訪ねた時は蝉の声が耳に痛いくらいであったが、今は初春のうららかな風に揺れる木の音だけである。

Esakinitibotu04夕日は明石海峡大橋とは反対側に沈んでいく。必然的に大橋や神戸の街に背を向けてカメラを構えた。徐々に夕焼けの色が濃くなり、太陽の姿は瀬戸内に消えていった(写真左上)。途中灯台の背後からもその景色を味わった(写真右中)が、やはり背後から見ると物静かな灯台のイメージが強調されたかのような夕焼けであった。それから数分後灯台が灯った(写真左中)。ふと背後を見ると明石大橋を挟んで神戸にも幾つかの光りが浮かび上がり始めている。かなり離れているはずなのに、街の雑踏や車の音が聞こえるくらい近くに神戸の街Esakinitibotu05があるような気がする。いや違う。自分の手を伸ばして右から左にひと拭きすれば真っ白に戻るキャンパスに描かれた絵のようにこの景色を見ていたのだ。青空が闇に包まれ、幾つかの星の輝きがわかるようになると、そのキャンパスは更に身近に感じる(写真右下)。

昨年の夏に神戸側から明石海峡大橋を隔ててこの江崎灯台の灯火をEsakinitibotu07味わった(写真左下:橋の下から灯台の光)。その時は淡路側から放たれる光が少ない中、江崎灯台の灯りが特に目立って見え、そしてそこにつながる明石海峡大橋が希望に架かる橋のようだと感じた。しかし逆に江崎灯台に立ち、どこまでも広がる光りに彩られた神戸側の景色を見ると、間違いなく明石海峡大橋は未来に架かる橋であった。

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2010年6月17日 (木)

今岬灯台(山口県)

Botantoudai前日の午後から降り始めた雨は、あっさりと夜明けにはあがっていた。雨に負けてImamisaki09昨日行かなかった今岬灯台を午前中に巡り、お昼過ぎには三重への帰路につかないといけない。朝食を済ませるとすぐに宿を発つことにした。私一人の宿泊に、美味しい食事や大浴場の湯をはってくれた宿の女将、そして金子みすゞに出会Imamisakichizu12わせてくれたこの仙崎の宿にも礼を述べて今岬を目指したのである。今回は、今岬灯台(写真右上)までの行程を含めてまとめることにした。

今岬は、尖った形で突き出た小さな岬である(地図左上)。勿論車で訪ねImamisaki01ることはできない。岬に続くであろう場所に車を停めて、地図と照らし合わせながら方向を考え、民家の横から入っていく道を見つけた(写真右二番目)。確かに方向的には岬に向かっているが、案内などは全くないため半信半Imamisaki02疑で下り坂となる地道を進み始めた(写真左二番目)。地図上の等高線を見ると、この後二度登りがあるはずである。

道は比較的はっきりとしていて迷うことはない。それ故に灯台に続く道であるといつしImamisaki03か信じ込んでいた。下りが終わり徐々に登りとなる時に、一度分岐がある(写真右三番目)。雰囲気と言うか、これまでの経験からも迷わず左手に進んだ。なだらかな上り坂が続いていたが、急に下りとなる。しかも割れた瓦の様な岩が散乱するImamisaki04急な下りで、足を滑らせそうになる(写真左三番目)。登山用の伸び縮みする杖を用いながら下った。下る途中前方の景色が木々の間から開けて見え(写真右四番目)、岬の先端部分全体が見える。もっと幅が狭かったが、兵庫県の猫埼灯台を思い出した。Imamisaki05

先端部分の埼への登り道が始まった。それほどきつくはないが、道は少し細くなっている。分岐と言うほどではないが右に下りの道があった(写真Imamisaki06左四番目)。海に下っていく道なのだろう。ここも迷うことなく左に進んだ。木々が道を覆っているが、時より木々の間から見える景色から考えても、確実に岬の先端に向かっている。いつ灯台にたどり着けるかという期待のみを抱いて歩きImamisaki07続けた(写真右五番目)。上り坂が終わると、いよいよ岬の先端部が近づいた雰囲気を感じた。それとほぼ同時に正面に灯台の姿が見えてきた(写真左五番目)。車を出てから40分経過していたが、結局一度も迷わずに来られたことは幸Imamisaki08いだった。

ソーラー発電にLED燈であるが、これだけの距離を踏み込んだ岬の先端だとImamisaki10、それも私の中では許せる気がした。西の空には所々に青空が見え始めている(写真右下)。午後からはもっと天気が回復し、青海方面ももっと景観が広がるはずである。少し残念ではあるがお気に入りの構図で何枚か写真を撮った。灯台の前に青い花が咲いていて春の色を感じさせるImamisaki11(写真左下)。前日の肌寒さも消えて、この日は暖かい風が吹いていた。まだ金子みすゞの世界に浸っていたい自分は、少し青空が見え始めた景色の中に感じる全ての物を、詩に例えようとして、時間ぎりぎりまでその場にとどまっていた。(付け加えておくが、今岬灯台への行程は、行きよりも帰りの方が数段疲れる)

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2010年6月 5日 (土)

岩崎ノ鼻灯台(富山県)

Botantoudai毎年のことであるが、ゴールデンウイークは仕事が入る可能性が高かいためIwasakinohana3、何も予定のないまま迎えた。しかし連休が始まると、出かけたくなる。「せめて灯台巡りの1箇所くらいは行きたいな」と思い立ち、5月1日の土曜日に仕事が終わった後から宿を確保して、富山県の高岡に向かうことにした。運良く渋滞にも遭わず夕暮れまでに着くことができたのである。ちょうどこの日、高岡市内は高岡御車山祭で賑わっていたが、夕方からのイベントはなく、商店街を中心に多くの出店が並び、そこに集まった人の群れが祭りの余韻を残していた。私も宿を出Iwasakinohanachizu8て人混みを歩いて祭り特有の開放感に包まれ、気がつくと屋台でお好み焼きや牛串焼きを買い求めていた。途中のコンビニでビールを買ってから宿に戻り、鼻歌気分で味わったのである。その日は酔いにまかせて早くに床につき、翌朝5時に宿を出て目指したのが、今回紹介する岩崎ノ鼻灯台(写真右上)である。Iwasakinohana1

富山湾は、比較的なだらかな形(地図左上)をしており、このため富山県に灯台の数は少ない。以前紹介した生地鼻灯台が東の拠点とすれば、今回紹介する岩崎ノ鼻灯台は、西の拠点と言える。朝日が昇った直後の高岡市内は静寂にIwasakinohana7包まれていたのであるが、前日の祭りを意識していた私は、サウダージとしてそれを感じようとしていたかもしれない。

すぐに岩崎ノ鼻に着いた。登り口にあった廃墟の敷地内に車を停めて歩き始めたのであるが、すぐに気になる看板が目に飛び込んだ(写真右二番目)。「熊注意」である。登山者だけでなく、岬や埼に立つ灯台を目指す者にとっても熊は要注意である。しかし警戒しすぎると、青森県の黒崎灯台を訪ねた時のようにたどIwasakinohana6り着けなくなってしまう。注意看板の後ろにゴミ捨て場があり、熊も食べ物がないとゴミをあさるんだろうな~などと考えながら、前方を見ると、既に灯台の姿が見えていた。熊を気にしなくても良さそうである。

Iwasakinohana5広い整った公園のような敷地に、柵で囲まれて灯台は立っていた(写真左二番目)。まだ低い朝日が灯台や木立を朱に染め、抜ける様な青空を背景に、どの場所に居ても清々しい気持ちにさせてくれる(写真右三番目)。灯台の背後からでは海を背景にした写真が撮れないため、側面から海を入れて狙うことにした(写真左三番目)。木立の木漏れ日にも関わらず、Iwasakinohana2空の青さがはっきりと見える。正面に回って灯台を見ると、更に青空が強調されるが、白い灯台が浮き上がって、背面から見るよりも灯台は小さく見えた(写真左下)。

Iwasakinohana4ゆっくりと灯台の回りを歩きながら景色を楽しんだが、海だけでなく高岡市街も望める。しかもその高さが程良い。高すぎず低すぎず。少し気持ちに余裕が生まれる高さなのだ。そう言えば、灯台入り口に古墳の跡であることを紹介する看板もあった(写真右下)。太古の昔からこの地はそう感じられる場所だったのだと一人で納得していた。

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