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2010年7月

2010年7月25日 (日)

音戸灯台(広島県)

Botantoudai今回は、おまけ話に近い様な訪問だった広島県呉市倉橋島の音戸灯台を紹介すOndo1る(写真右上)。おまけ話に近い・・・と書いたのは、実は宇品灯台を海上から見てみたくて、呉市を通り抜けして倉橋島から能美島へと渡り、切串港から広島港までフェリーを利用して宇品灯台を海上から見ることにしたのであるが、その時に音戸ノ瀬戸で、ほんの少し音戸灯台に立ち寄ることができたからだ(地図左上参照)。

Ondochizu1広島中心部から呉市までは道路も整備されていて短い時間で移動できる。しかし呉市を通り抜けして音戸大橋に向かい、倉橋島へ渡ろうと思うと、予想以上に時間がかかった。主要道路である487号線は、呉の工場を海手に見ながら、民家が建ち並ぶ、休山や高烏山の斜面中腹を走るのである。しかも道幅はけっして広くない。音戸ノ瀬戸が近づくと、対岸に音戸灯台の姿が見えているが、音戸大橋周辺は渋滞が激しく、のんびり車を止めている余裕はなかった(地図右中参照)。既に新しい橋の建設が始まってはいたが、現在は道も狭く島との交通などOndochizu2不便が多いだろうと推察された。音戸大橋は、典型的とも言えるループ橋であるがループがきつく目が回りそうだった。

音戸灯台は対岸からしっかりと見えていたのであるが、近くに来るとその存在がかすれてしまう。更に短時間の探索ではあったが、登り口を見つけることが出来ず、離れての写真撮影のみとなってしまった。どこからでも登って行けそうなのであるが、登り口が見つからずうろうろした時に、何件かの古い家が引っ越しの如く家全体を片付けているのを見た。ちょうど道路周辺の工事が拡大してきており、立ち退かれるのかもしれない。

Ondo3音戸ノ瀬戸の海面は穏やかだった(写真左下)。宇品灯台の記事を書くときに紹介するが、海上から宇品灯台を見るために乗った島との連絡フェリーもまったく揺れることなく進んだ。さすがに瀬戸内である。

おまけ話に近いとは言え、灯台に触れていなかった・・・。初灯は昭和34年であり、日本の復興の最盛期に建てられている。広島地方の特別な歴史を考えながら、呉の製鋼場などがあるここ音戸ノ瀬戸を照らしてOndo2きた灯台が見守ってきたものは、あまりにも大きい。時間があれば登り口を見つけて、灯台の位置から呉市を眺めてみたいと感じながらも、この日は時間までに広島に戻ることだけを考え、もう一度下からではあるが灯台を眺め、能美島に向かって車を進めた(写真右下)。

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2010年7月14日 (水)

私のお気に入りの灯台vol.4

Botanomake前回のおまけ話に続き、今回は「私のお気に入りの灯台vol.4」をまとめることにした。2010年2月にvol.3をまとめ、その時に「近い間にvol.4をまとめたい」と書いたように、かなりお気に入りの灯台が貯まってきており、単に5基を選ぶのだと苦労しそうである。そこで今回は選定のテーマを、思考的なことに絞ってみた。灯台を訪ねると、その景観や周囲の状況からいろんな事を思い考える。その内容が印象的だったものを優先的に選んでみたのである。お気に入りという主観的なテーマに、更に思考的要素が加わり、全くの自己満足となってしまいそうであるのだが・・・。

Shiokubimisaki03汐首岬灯台(北海道)2008年4月掲載

以前に青森県大間埼灯台を訪ねたときに、対岸に見える北海道の地へ思いをはせていたのだが、後に正面に見えていたのが汐首岬だと知り、そしてこの地を訪ねたのである。そんな感動の中訪ねたが、灯台への上り坂は馬の糞だらけ。灯台後方の丘陵地が放牧場となってShiokubimisaki04いて、糞臭が漂っているのだ。それでも初春の津軽海峡を今度は、青森方面に目を向けると、かろうじて大間埼が確認出来た。東海に住む自分には、津軽海峡を挟み北海道の地から南を向いて大地の存在を見られたことは、これまでにない体験であり、見るもの全てに感動していた。

Hashigami5_2階上灯台(青森県)2007年10月掲載

灯台が周囲の人達に愛されていると、訪ねたときにそれが何となく感じられる。ここ階上灯台はそう感じられる灯台だった。広い敷地の海側に立ち、近くには記念碑も設置されている。敷地からそのまま小学校がつながっていて、子供達がこの灯台を自由に訪ねることが出来るのがうらやましくも感じた。

Hinomisaki5日ノ御埼灯台(和歌山県)2008年9月掲載

夏!と言うイメージがあれば、まさにこの日はそれだった。暑くて汗が噴き出すのに、どこか爽やかさを感じる青空。蝉の声が耳に痛いのに、なぜか辺りは静かに感じられる。そんな灯台への訪問であった。目Hinomisaki3を閉じれば、夜の暗闇の中で紀伊水道を通過する船舶に光りを放っている姿を思い描けるのに、目の前にある白亜の灯台は、夏の日差しを浴びて輝き、それを許さないほど現実的で存在感があった。

Hamasaka01浜坂港矢城鼻灯台(兵庫県)2006年6月掲載

私が灯台を訪ねようとする日、晴れていることが多い。いや晴天でなくても雨に降られることはほとんどない。いつの間にか晴れ男を自称するようになった始まりがこの矢城鼻灯台だった。前日も、そしてこの日の午後からもスッキリしない天気だったのだが、何の疑いも持たず早起きすると、見事な青空。そして訪ねた矢城鼻には朝日が眩しく降り注いでいたのである。

Mekkohana5女子鼻灯台(愛媛県)2009年4月掲載

岬、埼、鼻などとその地形に応じて呼び名は異なる。女子鼻(めっこはな)とはなんともユニークでかわいい名前であり、うららかな春の日に訪ね、細長く延びる鼻につながる遊歩道さえ楽しく感じた。しかし明治時Mekkohana4代、この辺りは日露戦争に向けて精錬のための釜が多くあったそうである。いつもなら、その地名の由来を考えつつ歩くのであるが、「女子」と付いた由来よりも、富国強兵の時代にこの地にも強いられた多くの事を考えてしまっていた。

思考の要素が加わったなどと書けば格が高く見えるが、単に印象深いと言うだけのものかもしれない。ただ、そう考えてすぐに思い浮かんだいくつかの灯台は、訪ねながら何を考えていたかまでしっかり記憶している。その意味では旅愁を多く与えてくれた灯台であるのかもしれない。

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2010年7月 4日 (日)

釣り人と灯台

Botanomake灯台は、当たり前であるが海に面して立っている。岬や埼の上から海を見下ろMitsukou08すように立つ灯台もあるが、標識灯としての役割に近い灯台は、海面近くに立つことも多い。私は、堤防などの人工的な場所に立つ灯台は巡っていないが、仮に堤防に接していたとしても自然の岩礁に立つ灯台であればカメラを向けている。(右上写真は京都三津港島堤灯台)

そんな灯台を巡っていると、最も良く出会うのが釣り人である。灯台巡りの趣味と比較できないほど釣りの方がメジャーであり、灯台を目指す埼の道、海岸沿いに続く道などで釣り人とはよくすれ違う。それだけではなく、浜から灯台を狙う構図や海を背景に灯台を狙う構図の中にも釣り人の姿はよく写り込む。更に海面近くの岩礁などに立てられた灯台の周辺には釣り人がたくさん集まることがあり、灯台の写真を撮っているのか、釣り人を撮っているのかわからない時すらある。釣りを楽しまれている姿は、景観の一部だと考えているが、それでも求める写真によっては、釣り人が写らないように構図を考えながらうろうろすることもある。思い出に残っている釣り人と関係ある灯台巡りをいくつか書き出してみる。

Tagarasu04・もっと印象深いのは田烏港明神鼻灯台である。灯台の立つ小さな埼の周辺は釣り人が所狭しと釣りを楽しんでいて、釣り竿を持たずカメラを持った自分は、まるで異邦人であった。近くの港が有料ではあるが駐車場として解放されているのは、路上駐車を防ぐために違いないと思うくらい釣り人が多かった。 Kamogawa2

鴨川灯台は、夏の平日に訪ねたので釣り人に会うことは少なかったが、島全体がどこでも釣り場として解放されているわけであり、賑わう姿が容易に想像できた。しかし島がゴミだらけなのである。自然の中に立つ灯台を巡る私にとってすごく不快であり、釣り人の中でマナーを守らない人がいることは残念に感じた。 

Kyoudagyokou1・富山県の経田漁港に立つ灯台へは情報のないまま訪ねたのだが、人口の堤防上に立つ灯台だったため、近づくことはしなかった。しかし灯台の周辺には釣り人が集まっていて、以前訪ねた京都府の伊根港に立つ灯台を思い出しつつ、その姿をカメラに収めておいた。Takanosaki3

・青森県の高野埼灯台には、埼の横に渡れる岩礁の小島があり、私が訪ねた夏の日も釣り人がそこに渡っていた。北の国の海なのにエメラルドグリーンの様な島の周辺へは、私も引き寄せられるように渡り、灯台を見上げつつ、そこから見る津軽海峡をも楽しんだ記憶がある。

Sanbonmatuhana1_2・京都府の三本松鼻灯台では、その場所がわからず、たどり着けずにいたのだが、釣り人に尋ねたところ、道のない斜面を下り、海岸線に歩いて行くことを教わり無事灯台にたどり着けた。海岸線を歩かれるからこそ知っていた情報だった。ついでに「お兄さん」と呼ばれて気分が良かった記憶がある。

私には釣りの趣味はまったくない。異論もあるだろうが、釣り糸を垂れて待つという時間の割りに活動が少ない受動的な趣味に思え、私には合わないと思っているからだ。しかし、釣りをされる方々は、早朝から移動して最良の釣り場を求める。更に必要であれば整備されていない埼や岬の山中をも通り抜ける。それは灯台巡りでも必要なことだ。目的こそ大きく異なっていても、大自然の海を介した目的に集う以上、共通するものがあるに違いない。

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