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2010年10月

2010年10月21日 (木)

住吉灯台(熊本県)

Botantoudai_2今回紹介する住吉灯台は、歴史的にはとても興味深い灯台であるのだが、それSumiyoshi5は訪問してから知ったことであり、熊本市を出発して、天草諸島を西に進む過程で立ち寄った時には、まだ灯台の存在を知っているだけだった。 今回は、私が知り得た史的な情報も加えて、住吉灯台(写真右上)を紹介することにした。

Sumiyoshichizu1住吉灯台は、天草諸島へつながる宇土半島の付け根部分の北側に位置し、島原湾を挟んで対岸には長崎県の普賢岳が見える(地図左上:Mapfanより)。灯台の奥にある住吉神社は、その昔、海上安全のために肥後の国司が建立したとされているが、更に住吉灯台そのものも、細川藩主が暴風雨の難を免れたお礼にSumiyoshichizu2高灯籠をこの地に寄贈したことが始まりとされており、歴史上、そして海上航路上この地が重要な場所であることが伺える。

Sumiyoshi4住吉灯台へ向かうためには主要道路から細い道に入らなくてはならないが、これが本当にわかりにくい。初めての私は、その道に不安を抱きつつ車を進めた。しかしすぐに住吉灯台、そして住吉神社が立つ埼を巡る道に出るため不安は解消された(地図右二番目:国土地理院より)。ちょうど神社への登り口に駐車スペースもあり、そこから灯台に向かった(写真左二番目)。

少し盛り上がった場所の上に、更に背の高い土台とも言うべき建物が立ち、そしてその上Sumiyoshi8に灯塔が延び灯台の先端はかなり高い位置にある。灯台としては、けっして大きくないのであるが、周囲の木々から十分に頭を出している。周囲は夏と言うこともあり、木々の葉が茂り、下から見上げる私の視線を遮るため灯台の全景を見ることは困難だった(写真右上)。夏の昼前と言うこともあり眩しい陽の光Sumiyoshi7が、灯台の上部後方から射し込み、後方の密集した林近くは真っ暗に見える。私はクモの巣を払いのけながら、闇に落ちていくような気分で灯台の後ろ側に回り込んだ。暗闇の後方に回り込むと灯台の前方は輝く眩しい世界に見える(写真右三番目:露出を陰の部分に合わせて撮影)。幸い後方からだと灯塔の部分が木々に邪魔されずに見ることが出来た(写真左三番目)。Sumiyoshi9

灯台の右前には史的な案内板が備えられている(私が歴史的事実を知ったのも、この案内板からである)。そして灯台の正面には、ちょっとした展望台が作られていた。普賢岳を始め、島原湾を眺めるための物かと思ったが、別の案内板があっSumiyoshi6た。『たはれ島』を見るための物である(写真右四番目)。私の高校時代の担任が古文の先生であり、成績は別にしても一応勉強したおかげで、この案内板に興味を抱くことができた。

灯台を後にして埼の周辺に降りた自分は、灯台の正面に回り込んで灯台を見上Sumiyoshi3げてみた(写真左四番目)。高い位置に立てられた灯塔は、やはり木々の間から十分顔を出している。振り返ると『たはれ島』が見える(写真右五番目)。その姿を見ていると、何かしら惹かれる気持ちを感じつつも、この島を枕詞に句を詠んだ時代を思い描く余裕も与えない強い夏の日射しと猛暑の中、私は汗を拭きながら車に戻ることにした。

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2010年10月11日 (月)

四季咲岬灯台(熊本県)

Botantoudai熊本県の灯台巡り二日目は、その名も興味深い『四季咲岬』から始まった。なんとShikisakimisaki5イメージを膨らまさせ、足を向けたくなる名前であろう。熱帯夜から続く早朝の暑さにもかかわらず、私は心躍らせて、まだ人気も少なく静かな本渡町を出発したのだった。今回は、天草諸島の灯台の中、最も歴史と自然を意識して巡ることができた四季咲岬灯台(写真右上)をまとめることにした。

Shikisakimisakichizu2四季咲岬灯台の立つ富岡は砂州でのみつながる岬で、自然の要塞とも言えるこの地には富岡城が築かれていた(地図左上:国土地理院より)。島原の乱では、数にまさる天草四郎ひきいる一揆軍の攻撃から守り抜いた富岡城であり、このために一揆軍は海を渡り長崎県の原城に立てこもることになったのでShikisakimisaki3ある。そんな歴史を考えながら四季咲岬を目指したのであるが、車では岬とつながる砂州を意識することもなく通過してしまった。その名の通り、四季の花を案内した看板が立つ駐車場周辺は整備されている。早速カメラリュックを背負い灯台を目指すことにしたが、前日の下大戸ノ鼻灯台から植え付けられた『マムシの恐怖』は残っているものの、比較的整備された道を進む限り、最小限に抑えられていた。

Shikisakimisaki7登って海が見える広場には、ハイビスカスが咲き乱れている。まだ朝焼け色が残る陽の光を浴びて緑と赤のコントラストが私を魅了した(写真右中)。広場から少し狭いが灯台まで道が延びているが、その途中にもハイビスカスが咲き乱れ、私の気分を高めてくれた。灯台の周辺は整えられていて、高い木立もなく海が見渡せる。更に灯台の奥の西側には展望台も設けられていた。私は、誰も居ない早朝の四季咲岬を存分に味Shikisakimisaki6わいながらカメラを向けた。展望台からでは逆光となり(写真左中)、そのイメージは伝わりにくいが、太陽を背に北西を向いた写真であれば、私が感じていた爽やかなイメージが伝わるかもしれない(写真右下)。

灯台の初灯は昭和26年である。展望台近くから海に目を落とすと、透き通った海水の中から突き出た岩肌がはっきりと見える(写真左下)。富岡Shikisakimisaki4城を取り囲む砂嘴に加えて、四季咲岬周辺の海域も、船舶の航行には危険な箇所が多いのであろう。ふと、島原の乱の時にこの灯台の灯りがあったら、どうなっていただろう?などとつまらないことまで考えながら、それからまだしばらくの間、ゆっくりと私一人だけの四季咲岬を楽しんだ。

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2010年10月 3日 (日)

時間制限(雨竜埼灯台)

Botanomake以前ゴルフ場の中に立つ、静岡県川奈埼灯台のブログでも書いたことであるが、灯台は公共の場に立っているとは限らない。管轄区域や私有地であれば不法侵入になってしまう。今回おまけ話として紹介する雨竜埼は、灯台が立つ場所は公共の埼かもしれないがUryusaki2chizu、そこに至る道が私有地となっていて通行許可をもらったものの、時間制限のため灯台に近づくことが出来なかったのである。そんな雨竜埼灯台をおまけ話として今回記事にした。

Uryusaki1chizu雨竜埼は天草諸島の上島の南側、ほぼ中央に位置する(地図右上:Mapfanより)。埼に近づいて車で進んでいくと、『ここから関係者以外立ち入り禁止』と書かれた門に突き当たる。正面から右の山側は採石場の様な山肌が見え、左手には海水と思われる大きな池が二つあり何台かの水を撹拌する装置が稼動している。何かの養殖だろうか?そしてその遙か向こうに埼が小さく見える。埼まで1~2kmはありそうである(地図左上:国土地理院より)。何故かわからないUryusaki5が、車での侵入は思いとどまり、徒歩でその門を通過して中に踏み込んだ。大きな池を二つ通り過ぎたところで人影を見つけ、近寄った。灯台に行く旨を説明すると、気軽に了承してくれたが、熊本弁でこう付け加えられた。『5時に帰るから、門も閉めるとよ。それまでに出とってよ。』時計を見ると4時半過ぎであった。

Uryusaki4とりあえず急がねばと思って進むと、なぜここにあるのか不思議だが、自動車工場みたいな建物が二つあり、それを過ぎると埼の入り口らしき場所に着いた。僅かに灯台の姿が確認できるが、多少移動しても全景は見えそうにない。しかし半時間でいって来られそうになかった。

結局望遠レンズを付けて灯台を木々に隠れた状態で撮影(写真右中:撮影場所1)し、その後埼の右側の海岸線に出てみた。全く灯台の姿は見えない(写真左下:撮影場所2)。仕方なく、引き返す形で埼の左側の海岸線に出てみた(写真右下:撮影場所3)。同じく灯台の姿は見えない。が、正面から見たときより灯台に向かうルートは理解しやすい。こちら側に先に来ていたら、もしかして灯台まで行けたかもしれないが、真面目な自分は時計の針を確認した。既に4時50分を回っている。お堅い自分は、素直に灯台を訪ねることをあきらめて門の方に移動した。Uryusaki3

途中、先ほどの人にあったが、私が『ありがとうございました』と声をかけると、右手を挙げただけだった。

閉鎖されたとしても、徒歩なら問題なくすり抜けられる。お堅いと言うか、真面目というか、門限を素直に守った自分に少し嫌悪を抱きつつ、訪ねられなかった雨竜埼灯台を後にした。

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