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2011年3月29日 (火)

「また巡りに行きます」被災地への思いを込めて

○東日本大地震の被災者みなさまに、心よりお見舞いを申し上げると共に、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りし、深く哀悼の意をお伝えいたします。

「また巡りに行きます」などと、今伝えるような言葉ではなく、お叱りをいただくようなタイトルとしましたが、義援金や援助物資の提供以外に何も出来ない自分が、被災地に向けて届けたい気持を一言でまとめると、このタイトルになってしまうのです。

Omoide12008年に福島県の小良ヶ浜灯台から千葉県まで、そして2009年に宮城県岩井埼灯台から福島県の鵜ノ尾埼灯台まで、地名で言えば気仙沼から千葉県銚子まで海岸線に沿って、ずっと車で移動しながら灯台を巡りました。入り江にある小さな港町や小さな砂浜、砕ける波しぶきを眺めた小さな埼。観光では決して訪れることのない町や港であり、海岸線に沿って走ることでしか味わえない景観やあふれる情景がそこにはありました。そして各地の灯台。全てが忘れられない灯台巡りの紀行です。Omoide2

あの日から日が経つにつれて、上空からだけでなく、目線から映し出される被災地の映像は、見覚えがあるはずの町が見るも無惨に変わっていました。確かにあの港に車を止めて情景を、その香りを感じていた。左手に海を見ながら、その道を走っていた。海岸線に架けられた高架橋を次の目的地に向かって移動していた。Omoide3被害を全く受けていない遠く離れて生活する私の思い出までも打ち壊すかのような映像。

今はまだ、被災された方々に復興の話をする時期ではないのかもしれません。がんばろう!とかの励ましの言葉ではなく、お見舞いの言葉を贈るべきなのだと思う。被害以上に心の傷は大きく、深く、私が軽々しく励ましの言葉を語ることすら許されないものだと思うからです。そんな自分が義援金や支援物資以外で出来ることは、被災された方々への深く、そして心からの同情とお見舞いの言葉だと思うのです。Omoide4

しかし心から同情して、被災地のみなさまの悲しみや苦しみを感じれば感じるほど、やはり励ましの言葉を贈らずにはいられなくなります。このまま悲しみ続けるわけにはいかない。誰もがわかっていることではあるものの、苦しくつらい道のりを、これから乗り越えて行かなくてはならないのです。私たちには多少の支援Omoide5は出来ても、苦しみを代わりに背負ってあげることは出来ません。しかし決して他人事ではありません。同じ日本人として同情だけでなく、励まし、そして必ず立ち上がり復興してくれると信じたいのです。

だからこそ、「また巡りに行きます」と言わせていただきました。遠く離れて暮らす私の中にOmoide6あった思い出までも壊されてしまった地震や津波の被害から立ち上がり、必ず力強く、新たな生活を築き上げて下さい。壊され流された物や思い出は、失ったままではなく、忘れ去るのではなく、築き重ね上げる事によって新たに上書きされていきます。そしてその時こそ、被災地のみなさまに笑顔が戻ると信じています。だからこそ私も、『また巡りに行きます』と伝えたいのです。

写真は、左上:塩屋埼灯台(福島県) 右上;番所埼灯台(福島県) 左中:磯浜灯台跡(茨城県) 右中:磯埼灯台(茨城県) 左下:岩井埼灯台(宮城県 この先に気仙沼の町がある) 右下:鵜ノ尾埼灯台(福島県 宮城県との県境に近い)

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コメント

hideさん、お久しぶりです。
東北出身者の私としては、震災の日から一日一度は涙する日々を送っております。
暮らしていた土地、かつて訪れた懐かしい土地がことごとく壊滅している状況には堪えられません。
私には絵を描くことしか出来ず、被災地の方々へ「希望」を届けられればと連作を描いています。

投稿: 棚倉 樽 | 2011年3月30日 (水) 01時16分

taruさん。コメントありがとうございます。
そうですよね。遠く離れ、縁者すらいない私たちも、
ニュースを見る度、心が張り裂けそうです。
一日も早い元気な姿が見られるよう願い、同時に
これからも微弱でも一緒になって支援、応援を
させていただきます。

投稿: hide | 2011年3月30日 (水) 06時28分

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