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2011年4月

2011年4月27日 (水)

河内灯台(熊本県)

Botantoudai東北地方にも桜前線が達し、東日本大震災の被災者の方々に、桜の花が少しでも癒しを、そして希望を届けてくれることを心よりお祈りしております。

私の住む東海地方も例年より桜の開花は遅く、4月10日前後が見頃でした。私には毎年撮り続けている鈴鹿川堤防沿いの桜があります。主要道路から離れていて、ほとんど注目されていないだけに愛着があり、今年は照明もないこの桜の木を夜に撮影してみました。

Kawachi07

 Kawachi08_3 Kawachi06

と、前回に続き前置きが長くなりましたが、今はこの桜も、花が散り若葉が木全体を覆い、目に鮮やかな装いとなっています。冬の間見通しが良かった交差点なども、新緑で遮られ、逆に車が来ているかどうかの確認に困ることもあります。2010年に訪ねた熊本県の河内灯台(写真左中)では、木々の葉に遮られて灯台の全景が撮影できずに、いらだった記憶がまだ新しく、今回記事として取り上げてみました。

Kawachi01熊本駅からまず向かったのが、この河内灯台である。百貫港灯台を左手に見ながら通過して、島原湾に面した河内の長崎鼻を目指した。余談になるが長崎鼻と言う名称は、灯台巡りでは良く耳にする。この時も千葉県犬吠埼に対した長崎鼻の照射灯を思い出していた。港周辺に着いても灯台の姿はなかなか確認出来ない。回り込むように介護福祉施設まで歩き、奥の丘にようやく姿を確認した(写真右上)。丘への登り口を見つけ踏み込むと、うっそうと茂った木々の葉が邪魔をする。

河内灯台の立つこの丘は神社と公園が丘陵地にある(写真右下)。しかしまったく見透しが効かず、神Kawachi05社らしき祠や遊具らしい物は一部見えるが、覆い茂った木々の葉が邪魔をしている。同様に灯台があることはわかっても、その全景を見るためには近づいて見上げしかない。うろうろと木々の中を歩き回りカメラを構えたが、結局その姿を満足に収めることは出来なかった。冬の葉が落ちKawachi04たときに来ないと・・・などと思いつつ灯台を後にした。

しかし、茂った木々の葉に邪魔されたにも関わらず、しかも猛暑であったのに、河内灯台を訪ねた時の印象は爽やかである(写真左下)。緑に囲まれたその空間がマイナスイオンに溢れていたかはどうかはわからないが、少なくとも私の中には爽やかさを残したようであり、また訪ねるとしても冬は無いような気がしていた。

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2011年4月15日 (金)

清水灯台(静岡県)

Botantoudai西日本がいつも通りに生活して、経済活動を続けてがんばらなくては!と思いつつShimizutoudai07も、続く余震や安定しない原発問題の報道などを見ていると、不自由を強いられている被災地や避難されているみなさまのことを考えてしまう。そして、普通に生活ができるだけでもありがたく感じて、自粛するつもりはなくても、どうしても趣味や娯楽のために外出したり、時間を使ったりしづらくなっている。当然私の場合、灯台巡りも出かけていない。

Shimizutoudai02そんな時に、荷物を運ぶため東京都内に、車で出向いた。節電の影響で街の灯りが暗く、店や飲食店の看板も消えていて、ショッピングモールも暗い。ますます普通の生活ができるありがたさを感じつつ、その夜は大きな余震にも驚いて過ごした。翌日荷物を積んで帰路についたのであるが、東名高速道路で火災炎上事故のため焼津から富士の間が通行止め。しかたなく一般道路を走ったのであるが、ひどい渋滞であった。その時に海を見て、清水灯台を昨年末に訪ねたことを思い出した。・・・・と前置きが非常に長くなったが、今回はその清水灯台(写真右上)の写真を幾つか紹介して記事をまとめることにした。Shimizutoudai03

既に『今年も使えなかった夜明け』のタイトルで一枚だけ写真を紹介したが、富士の朝焼けを背景に点灯する清水灯台の写真を狙って出かけたのである。結局、富士山の手前周辺のみ雲がかかり、願った写真は撮れなかったわけである。

清水灯台は、景勝地と知られる三保の松原の近くに立つ。余談になるが、三保の松原は天女の羽衣伝説が有名であるが、私がお気に入りの場所である滋賀県の余呉湖にも同様の伝説がある。しかし夜明け前の薄暗い海岸を歩き、遠くに富士山の姿が見えると、スケールでも、こちらの伝説の方が勝っている感は否めなかった。

Shimizutoudai05まだ暗い時間帯には人は少なかったのであるが(写真左上)、夜明けが近づくにつれてどこからともなく人が集まってくる。週末と言うこともあったのであろうが、やはり観光地なのだと感じずにはいられない。伊豆半島方面の空が茜色に染まり始めると、思った通り富士山も少しずつ染まってきた。しかし、その頃から雲が気になり始めた。結局灯台が点灯している時間帯に富士山はすっきり見えることは無かったのである(写真右中)。

清水灯台は、明治45年に我が国初の鉄筋コンクリート造りとして立てられた歴史ある灯台Shimizutoudai06である。しかし、富士山という日本を代表する山の姿が背景に収められなかった事で、この時は物足りない気分であった。普通の生活が過ごせるだけでありがたいと感じている東日本の震災後であるが、この時は、全くの自己虫になっていたようである。やがて伊豆半島から太陽が顔を出し夜明けを迎えたが、その景色を見ながら灯台を後にした(写真右下)。

東日本震災被災者の皆様の一日も早い復興を心からお祈りいたしております。

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