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2024年2月 4日 (日)

大須埼灯台(宮城県)ー再訪

Botantoudai_2_202401241719012023年の夏に、東日本大震災の2年前の2009年に訪ねた灯台を、もう一度巡る旅に出た。その中で最も嬉しい再会が、本日紹介する大須埼灯台である。以前訪ねたときも、地元の方との出会いもあり思い出深い灯台であったが、以前と変わらぬ姿の灯台や、その周りに見られた人々の強い歩みを感じられて素晴らしい感動を与えてくれた。2023826oosusaki03

大須埼灯台は、仙台から北上し石巻市を超え、北上川が流れ込む手前に東に延びる岬。雄勝と言う地名の岬の東側にある。岬に沿ってぐるっと外周を回る形で道があるため、398号線を北上してきて岬の付け根の南側から縁に沿って大須埼を目指した。車を進めていて前回と大きく異なっていたのは、海岸線を走る道はほぼ無くなっていたことである。雄勝の「道の駅」が新たに作られた堤防の上にあり、立ち寄ってみた。駐車場に止めて海側に寄ると、かなり高い堤防の上にいることがわかる。そしてその堤防は、そのまま岬を囲むように延びている。11年の歳月で!と驚いたのは、この旅では、もう幾度目かのことだった。

2023826oosusaki01 この日も暑かったが、14年前も暑い夏の日に訪ねた。確か大須埼灯台入り口と書かれた古びた立て看板の近くに路上駐車をして、急な小道を汗を流して登ったはずだと思い出しつつ埼に近づくと、その古い看板ではなく、大須埼灯台を示す大きな新しい案内看板があり、それに従いもう少し移動した。舗装された新しい道が続き、やがて立派な駐車場にたどり着いたのである。ロータリー形状の駐車場の真ん中には手洗い場まで完備されていた。観光地を彷彿させるような整備である。ただ、以前の小道を登るルートよりかなり離れており、結果、そこから灯台まで少し整備されてはいるが、歩道を歩かなくてはならない。夏の暑い日で、一般の人なら遠い!と思うところであろうが、私は全く気にはならず、新たに生まれ変わった観光地化された大須埼に感嘆の声をあげながら灯台を目指した。2023826oosusaki04

白亜の灯台が碧い海を背景に立っていた。その姿は、灯光窓の左側にソーラーパネルが設置され、広場から見ると目立っていた白い外壁が一部剥がれてた場所が修復された以外は14年前と基本何も変わっていなかった。しかし周りを見ると少し雰囲気が違う。ハート型のモニュメントがあり、幸せの鐘?まで備えられていた。2020年に、コロナ禍で訪ねてアップした蒲生田岬灯台の記事で紹介した『恋する灯台』に選ばれていたのである。灯台の姿は変わりないが、そのモニュメントがあるだけで華やかさが増し、更に整備された駐車場、ここにつながる歩道など、ふと震災の傷跡を忘れそうになったが、いや、それで良いのだと思った。この灯台は、間違いなく地元の人に愛されているはず。それは2009年に訪ねたときから感じていた。震災、津波の被害を超えて地元の人がこの灯台に明るい姿を、恋する灯台に似合った姿を求めたのは、立ち止まらず前向きに生きてこられたからなのだ。恋人たちにも訪ねてもらいたいと考えて整備されたその思いを素直に受け入れたい。

2023826oosusaki05 高い埼に立つ灯台から見下ろすと漁港が見えるが、周囲を取り巻く防波堤がハート型に作られている。実は、2009年に訪ねたときもここから港防波堤を写真に収めた。確かその時も同じ様な形だったはずである。恋する灯台と言うことで、この形はもってこいであったであろうが、その時は大きな被害があったはず。それを乗り越えてのこの形にこそ意味があると感じた。今回も、ハート型の港の防波堤も写真に収め、もちろんいろんな角度から、力強く、そして優しく立っていてくれた灯台の姿を撮り、ここを愛していただいている地元のみなさんにも感謝しつつ駐車場に戻った。

11年前、灯台周辺の花畑を手入れしに来られた老婆が、当時50歳少しの自分を「お兄さん」と言ってくれて、しばし地元の話を聞かせていただいた。数分間の会話だったが、とても丁寧に優しく話していただいた。そんな何故か甘酸っぱく感じる思い出を蘇らせながら灯台を後にして、岬の北西、北上川の下流に向かった。2023826oosusaki02

北上川下流は、津波の大きな被害を受けていて、大川小学校もこの地にあった。今はその変わってしまった姿を残し資料館となっており、多くの方が訪ねていた。見上げると学校の奥には背の高い山が、すぐそこにある。あの山のもう少し高いところに・・・と考えずにはいられなかった。そして資料館では涙が止まらなかった。

あの2年前の夏、しっかりと記憶に残っている。たしかにこの道を走った。町並みがあった。町並みを通り抜け、北上川にかかる橋を渡って北に向かい、更に多くの灯台と出会い思い出を作った。今回、町並みはまったくなく、整地され広い資料館の駐車場となっていた。14年前と同じように暑い夏の日。変わらず立っていてくれた大須埼灯台の姿を思い浮かべ、この地に心からのエールを送りたいと思った。

 

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