カテゴリー「北海道の灯台」の記事

2018年8月27日 (月)

日和山灯台(北海道)

Botantoudai_2随分アップするのが遅くなったが、2017年夏に巡った北海道西北部の灯台巡りから、小樽に立つ日和山灯台を今回は紹介する。日和山は小樽中心部から北北西に位置する高島岬にあり、小樽水族館の北側である。神威岬、積丹半島方面から訪ねたが、当日はお盆すぎの日曜日でもあり、水族館に向かう車で予想以上に混雑していた。幸い灯台側の空き地を駐車場として開放(と言っても料金がかかるが)しており、灯台に近い場所に車を停めることができ、水族館には遠くなるが、私にとっては好都合だった。Hiyoriyama01

車を停めて、カメラリュックを背負って外に出ると、気温は30度以下だが、日差しが強く暑い。背中ににじみ出る汗を感じながら、灯台の立つ日和山を上がった。見下ろすと岬の南側(小樽中心部方面は、祝津のヨットハーバーや海水浴場があり、夏の海辺を絵に描いたような光景が広がっている。少し沖に目をやると、積丹ブルーに近い青い海から紺碧の海が広がる。背中は暑いが、視覚的には涼しさを感じる光景だった。Hiyoriyamachizu09
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灯台は白亜に紅色が混じる灯台で、青森県の高野埼灯台を訪ねたときのことを鮮明に思い出した。あのときは、小高い丘を上ると、突然視界が開け、背景に紺碧の海があり、その全面に白と紅色の灯台が立っていたのである。しかし今回は、見上げた日和山に既に灯台の姿が見えていた。Hiyoriyama03
後で案内板を見て知ったのであるが、往年の邦画で、灯台守を描いた『喜びも悲しみも幾年月』のロケ地だったそうである。現在国内の灯台はすべて無人化されているが、灯台の敷地は広く、住居スペースがあったのかもしれない。さらに燈塔部分以外にも建物が隣接しており、その昔は、ここを人が守っていたことを感じさせた。Hiyoriyama07
灯台の敷地内に入ると、周囲の海が一望できる。青に近い海の色が印象的である。灯台の東側に回ると、少し下った場所から、岸壁の上に立つ灯台と、その右側(北側)に広がる海を構図に写真が撮れた。一隻のヨットとボートが進んでいくその景観は夏のものであり、北の小樽に立つ灯台のイメージは無かった。

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2018年5月27日 (日)

地球岬(北海道)

Botantoudai_2 2017年夏に訪ねた北海道の灯台記事がアップできないままに、また月日が流れてしまった。長く灯台巡りを続けた成果として、未踏の灯台が減ってきた現在、新たな灯台の多くは遠方や離島であり、訪ねる機会は多くない。だからこそ初めて訪ねた記事はしっかりまとめなければ、と反省しきりである。

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神威岬など積丹半島に向かう前に、千歳から室蘭に向かい地球岬を訪ねた。実はここの灯台には、強い思い入れがある。以前函館の葛登支岬灯台を訪ね、記事にしたとき、幼少期にお父様が灯台守としてこの灯台にみえて、一緒に過ごしたと言う女性から、想い出のメールをいただいたのである。(その記事の紹介はこちら)その時私が返信に、早く行きたい灯台の一つとして、今回の地球岬をあげると、その数年後にその女性が訪ねられ、私が来たときの目印にと、黄色いリボンをどこかに結びつけていただいたと聞いたのである。あれから訪ねる機会はずっと持てず、10年弱経ってしまった。今回雨がぱらつく曇天の中訪ねたが、まずはその黄色いリボンを探して歩き回った。『もう、あるわけ無い』と思いつつも、やはり見つけられなかったのが残念で、もっと早く訪ねられたら、と。まずは心の整理をしてから灯台に目を向けた。

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地球岬は、通常は灯台が立つ敷地まで降りていけず、丘の上から、視野に入る水平線を背景に、眼下にその姿を見る形となる。1920年に立てられたこの白亜の灯台の形状は、比較的多く目にするが、私が一番好きな形状かもしれない。安定していて力強く、それでいて美しい。

天気に恵まれず、『地球が丸い』と感じるような水平線を背景に見られないばかりか、近づけない。さらに私的には、黄色いリボンが無かったことも加わり、なんとなく重い雰囲気で灯台を味わった。

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ちなみに、観光地でもあり、駐車場も整備され、立派な展望台もある。私はレンタカーでやってきたが、TVなどの旅行記でも取り上げられる様に、列車で訪ねて駅から徒歩で登ってきたときには、広がる海が見えたときは、地球岬という名前通りの感動を味わうに違いないと感じた。

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今回、曇天だったことと、回収できなかった黄色いリボンの想い出を自分の中で整理して写真に珍しく加工を加えてしまったことを付け加えておきます。

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2017年9月12日 (火)

神威岬灯台(北海道)

Botantoudai_2今回紹介するのは、地球岬と共に、必ず訪れたいと思っていた北海道の灯台の一つ、神威岬灯台である。晴天に恵まれ、多くの観光客に驚きながら訪ねたと言う印象も強かったが、それ以上に積丹ブルーの海に突き出た岬の絶景は忘れられない訪問となった。

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洞爺湖方面から、ニセコを通り抜けて北上して、徐々に神威岬に近づくと、車やバイクの数が増えてくる。バイクで北海道を走ってる姿には、この歳になっても憧れがあるためなのか、私は、前に車がいない状態で後方からバイクの集団が近づいてくると、窓から手を出し『いいね!』をして、そのまま抜いていくよう促してしまうのだ。挨拶を返して抜いていく姿を見送りながら、今更ながら、若いときにバイクでこの地を走ってみたかったと思うのである。

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ただ訪ねたのは8月19日、夏休み期間である。とにかく凄い人だった。神威岬と看板が出た交差点を曲がると、既に数台の車が駐車場手前で並んでいる。結局少し時間がかかったが、幸いにも出て行く車を見つけてそこに駐車した。岬に向かって歩き出すと、徐々に細くなって一列になった人の波は数珠つなぎ。渋滞まで発生している。更に日本語よりも中国語の方が圧倒的に多く飛び交っている。灯台巡りで中国人と一緒なのは、鹿児島の長崎鼻灯台でも経験したとは言え、私にとっては異様である。

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気温は28度で風が心地よいのだが、日差しは強い。しっかりと汗をかきながら人の波に従って進むこと半時間。ようやく先端の灯台にたどり着いた。私としては灯台が目的だが、多くの人は岬の先端からの景観が目的である。しかし灯台が日陰を提供しており、その前から人が消えてくれない。不本意ながら多くの人が写り込む写真となった。それ以前に、灯台にカメラを向けていたのは、私だけだった気がしている。

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神威岬灯台は明治21年が初灯で、北海道に最初に立てられた灯台20基の内、5番目に古い灯台である。この絶景の中に立つ神威岬、改めて感じたのだが、灯台ほど人工の建造物で、自然に受け入れられた物はないと思う。おそらくこの地を訪ねてきた多くの観光客の誰一人として、神威岬灯台を邪魔な物、余計な物としては見ていないはずである。

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灯台を取り終えた自分も、この積丹ブルーの景観を見逃すはずはない。灯台の写真を撮り終えると、いろんなアングルでこの絶景をカメラに収めた。だが、この景観は写真に残さずとも、忘れるはずがないと思っていたことも間違いない。

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付け加えておくと、岬の先端までの歩道は整備されているとは言え、アップダウンはかなり多い。駐車場に戻ったときに、ヒール姿のボディコンのワンピースをまとった女性が彼氏?と中国語で話しながら岬に向かったが、少し無謀だと感じた。また岬までの道は、本当に狭い場所もある。今回のように人が多いと、立ち止まって写真を撮ることすら迷惑となる。この景観を背景に写真を撮りたいという気持ちはよくわかるから、少なくとも先に行かせてあげたり、人の列が切れるのを待つなど、タイミングを計って欲しいものだ。しかし、そう考えない人たちが平気で立ち止まって渋滞を引き起こしつつも、景観を背景に自撮りしていた。この時の一団は中国語を話していたが。

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2017年8月24日 (木)

積丹出岬灯台(北海道)

Botantoudai_2今回は、旅から戻り一週間も経たない間に記事を書いている。2017年8月19日に神威岬から積丹岬を経て小樽に旅して灯台を巡った。今年天候不順が各地で続き、北海道も例年より雨が多かったそうであるが、この日は快晴。気温は27度と涼しいのだが、日の当たるところでは肌に刺すような日の光が降り注ぐ快晴だった。

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積丹ブルーと言う言葉は、この地を旅するからこそ知った言葉であるが、その言葉が必要だと感じる碧い海。神威岬から感動の言葉を発し続け、この積丹岬まで続いたこの感動を忘れない間に記事にしてみた。ちなみに積丹ブルーの原因は特産とも言われるウニが海藻の新芽を食べるために白い岩肌となったことも一因で独特の青みが生まれているとネットで読んで驚いた。

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神威岬を訪ねて、その素晴らしさでhighになった状態のまま積丹岬を訪ねたが、神威岬に比べて道案内は無く、ナビが無ければ通り過ぎてしまうような細い道に入った。上る道も狭く、たどり着いた駐車場も狭い。しかし頭上の岬に灯台の姿が見えており、おとなしく車の列に並んで、少し待って駐車場に車を納めた。駐車場から歩き始めるとすぐに、『日本の渚100選』と書かれた案内番が目に入ったが、そちらとは異なる上り坂方面に灯台がある。観光客の列から離れ、一人上り坂に向かった。結構きつい坂道を上ると、やがて白と赤の灯台が見えてきた。先端は黒ずんで見える。一見すると古く見えるが初灯は昭和40年と私よりも若い。適度に古いためそう見えるのかもしれないと思った自分であるが、そんな自分も古びれて、いや老いぼれて見えるのだろうか。

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人の姿は少ない。満車から降り立った人はほとんど全員が、駐車場からトンネルをくぐってたどり着ける渚100選の島武意海岸に向かったようだ。おかげで、灯台の奥にある絶景を独り占めできた(写真最右下)。この景観も島武意海岸の一部である。

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先に訪ねた神威岬灯台では、観光客の人混みに埋もれていた。観光客がいる、と言うよりも人がいる灯台巡りになれていない自分は、ここでようやく居場所を見つけたようにリュックを下ろして灯台、そして周囲の景観をゆっくりと味わった。積丹岬であるが、灯台名は積丹出岬灯台である。地図で見ると少し東側の出っ張った部分は積丹出岬となており、納得である。灯台の姿は、少し頭でっかちであるが、安定感があった。北海道と言えば我々東海に住む者は冬をイメージする。しかしこの日の晴天からそれは難しかった。

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しばらくして、人の姿が近づいてきたのを機にリュックを背負って、多くの人が訪ねている海岸線に向かった。しかし高い場所から下りていけると思ったが、そのまま横への移動のみ。随分高く、海岸を見下ろす形となった。それでも人が点にしか写らないこの高さから海岸全体をカメラに収めることが出来たのはラッキーだった。積丹ブルーを十分に味わい、満足して車に戻ったのである。

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2008年4月23日 (水)

汐首岬灯台(北海道)

Botantoudai 07年の夏に青森県大間埼を訪ねた時に、本州最北端に感動したことを覚えてShiokubimisaki04いるが、同時に津軽海峡を隔てて更に北に広がっている北海道の大地をより強く意識した事も記憶している。今回は、その大間埼から眺めてた北海道の地であり、大間埼から最も近い距離にある汐首岬の灯台を紹介する。(写真右上)

大間の海岸から大間埼灯台を見ると、後方は函館方面となり、最短距離の汐首岬は少し右方向となる。(写真左上が大間埼灯Shiokubimisaki061台の右方向を含めた写真、写真右二番目は赤部分の拡大で汐首岬方面)実際に汐首岬を訪ね、その近辺を車で走ったからこそわかる地形であり、大間埼からの写真を拡大して初めて、函館や汐首岬を本州最北端から眺めていたのだと実感した。

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汐首岬は、函館から海岸線に沿って278号線を東に進むと約30分ほどで到着する。海岸から急に盛り上がった様な形で岬は奥地の山々に続いている。従って道路沿いの斜面は急で、灯台の姿はかなり上方に見える(写真右二番目)。道沿いの入り口には門があるが、そこから急な斜面をジグザクに 登っていくスロープが付いていて、そこを登ると灯台に上がれ、更に山奥へと踏み込むことも出来る。Shiokubimisaki02

スロープを登り始めると、すぐに異臭に襲われた。スロープのコンクリートの上にも、周囲の土の上にも、至る所に糞が点在しているのだ。『クマ??』と思って少しとまどったが、灯台より上方の山に続く斜面に放牧されている馬を見つけて安堵した。以前青森県の黒崎灯台では、熊の看板に翻弄された記憶があるからだ。http://toodai.cocolog-nifty.com/toodai/2007/10/post_b172.html

馬の姿を見ながら灯台まで登ると、建物の煙突のような形で灯台の照射灯が伸びていた。灯台と言うより展望所の様な姿で、しかも少し老朽化は隠せない。色あせた時代遅れとも感じさせる姿である。

灯台からもう少し山を上方に登り対岸を見ると、霞んだ中に大間埼方面が視認できた。前日訪ねた葛登支岬と同様で、今は対Shiokubimisaki03岸にいるのだと感じた(写真左下)。灯台の東側に廻り函館方面を見ると、当たり前であるが同じように津軽海峡が広がっている(写真右下)。ほぼ灯台が180度の範囲で海上に光を放っているのである。汐首岬灯台の光到達距離は19海里。約36kmであり、その光は十分に大間埼にも届いているのである。

いつも思うことであり、このブログを書き始めた頃にも書いたが、私は灯台に人の香りをShiokubimisaki01 感じて巡り続けているが、灯台の真の姿は夜間にしか見ることができない。しかし現実に夜の灯台を訪ねることが出来る数は限られてくる。そんな中、いくつかの灯台で夜に光を放つ姿を見たいと感じることがあるが、ここ汐首岬灯台では、これまでで最も強くそう感じた。きっと暗闇の中で津軽海峡に光を放つ姿は、古めかしく感じた灯台の姿とは別の姿を見せてくれるに違いない。そう感じながら馬の糞臭に鼻をつまみながらスロープを下り、汐首岬を後にした。

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2008年4月11日 (金)

葛登支岬灯台(北海道)

Botantoudai 函館を旅する機会に3基の灯台を巡ったが、今回は当初から予定していた葛登Kattoshimisaki1 支岬灯台(かっとし岬)(写真右上)を紹介する。他の2基は、函館に着いてから時間が取れたため幸いにも訪ねることが出来たのだが、この葛登支岬灯台は函館へ行くと決まった時から予定に組み込んで、下 調べもしっかり済ませていた。

Kattoshimisaki6朝早くに函館に着き、まずは朝市で海鮮丼を味わって(写真左上)から葛登支岬に 向かった。天気も良く、函館山を左手に見ながら海岸線に沿って228号線を西に進むと、茂辺地を過ぎて函館湾を回り込むようにして葛登支岬に着く。ところが国土地理院の地図では、灯台を通り過ぎたところから戻るような形で、車でも通れそうな道が灯台までつながっている様に記されてKattoshimisaki5いた。しかしそんな道はなく、危うく見過ごすような草の茂った地道しかなかった。車を空き地に止め、その道を歩いて岬に登った。道は笹に覆われていたり、背の高い枯れ草に覆われたりしており、その度にバキバキと音をたてながら払い除けて進んだ。途中左手に線路が見え、そこにつながる崖の下にわずかだが雪が残っていた(写真左2番目)。この日最高気温15度の晴天だった。

最後に笹の覆い茂る場所をかき分けて進むと灯台の裏側に出た。周囲を低い柵が囲 んでいたが、乗り越えて敷地に入って、まずはゆっくりと景色を楽しんKattoshimisaki2だ。灯台の裏側から見ると、左側に函館山が見え(写真右2番目)、函館港に入るための重要な指標となっていることがわかる。灯台の正面に回ると、正面側にも道が通じている。こちらは地道だが、車なら通れそうである。下調べ十分で来たつもりであったが、正面へ通じる道があることは確認していなかった。少しその道を下って灯台を振り返ると、灯台が岬に溶け込んで立っているのが見える。Kattoshimisaki4昨年夏に青森の灯台を巡ったことを思い出し、本州最北端の大間埼から津軽海峡を越えて函館方面の景色を見ていたのだが、今はこちら側に居るのだと実感した。そのまましばらく灯台を眺めていると、夜になり周囲に光りを放っている姿を思い浮かべることができた(写真左下)。

立派な灯台なのだが、案内板は見あたらなかった。確か改修工事Kattoshimisaki3_2もされていると記 憶しているが、その姿は確かに綺麗である。それにしても青空を背景に、函館旅行の一番の目的としていた葛登支岬灯台を訪ねることが出来たのは本当に幸いだった。(写真右下:正面の入り口から撮影)蛇足になるが、この日函館の夜景も実に素晴らしかった。

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2008年3月25日 (火)

日浦岬灯台(北海道)

Botantoudai 北海道の灯台を記事にするのは初めてである。と書くより北海道の灯台をよう やく訪ねることが出来た、と書くべきかもしれない。北海道を訪ねた事は何度かあったが、灯台を巡る趣味を持たない頃の訪Hiuramisaki1問であり、今思えば悔やまれる。特に5年ほど前の釧路、知床、旭川と巡った旅で、一カ所も灯台に立ち寄っていないことは、今考えると残念としか言えない。勿論、あきらめる気は全くなく、必ずいつの日か訪ねるつもりでいる。今回の記事は、その一つであり、始まりである。

前置きが長くなった。函館へ行くことが決まり、当初は時間の都合で葛登支岬灯台のみ訪ねる予定であった。しかし当日少し時間ができたため、汐首岬灯台と今回紹介する日浦岬灯台(写真右上)まで足を伸ばすことができた。昨年北海道の灯台を巡られた山口のS氏から、『北海Hiuramisaki2道の灯台は距離はあるけど、道沿いが多いので、その意味では楽だ』と聞かされていた が、ここ日浦岬灯台も同じであった。とは言うものの、奇岩の山の向こう側に立つ灯台への道には、途中崖が崩れて危険な箇所もあった(写真左上)。

昨年夏に青森県の灯台を巡ったことで、津軽海峡を挟んで青森県側の津軽半島と下北 半島、そして北海道側の松前半島と亀田半島の位置関係がようやく頭に入った(地図右Wayhiuramisaki1中:gooより)。ここ日浦岬に立つ灯台の位置からは、正面に青森県の尻屋埼があるはずである。と言っても汐首岬から本州最北端の地である大間が、かろうじて確認できるこの日、対岸に陸地の景色はなかった。

日浦岬は、函館から278号線を東に、汐首岬を通り、恵山に向けて走る途中の日浦町にある。北海道の地名はアイヌ語に当てられた漢字が多いため難しいと感じるのは私だけではないだろう。また漢字からその地の由来を連想することは意味がない場合が多い。そう言えば若かりし頃、『女満別』の読み方もだが、その由Hiuramisaki4 来を考えて悩んだ事がある。ここ日浦岬は悩まずに読めたが、由来については考えないことにした。

278号線から日浦町の港へ曲がると、すぐに灯台が正面に見える。しかし港に近づくと地質学的に何と呼ぶのかわからないが、縦にブロックが積み重なった様な岩肌の山に隠れて見えなくなる(写真左下)。灯台の両側後方には同じ様Hiuramisaki3な岩が連なり、その後方に作られたこの日浦港を、津軽海峡の波風からしっかりと守っている。灯台へ続く道は、灯台の後方左手からつながっており、右手は岩肌で海は見えない。左手、つまり東側には背の低い同様の岩が広がり、津軽海峡の波を受けていた(写真右下)。正面左に亀田半島 の最東端である恵山岬が見えた。地理的に見れば、このずっと向こう側に襟裳岬があるはずである。今回ようやく初めて北海道の灯台を巡ることが出来たばかりであるが、既に次回は襟裳岬を目指したいと考えている自分だった。

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