カテゴリー「近畿地方の灯台」の記事

2015年12月19日 (土)

経ヶ岬灯台(京都府:再訪)

Botantoudai_210月末にまとめた記事が手違いでアップされていなかったため、前回記事から間が空いてしまった。今回紹介する灯台は、有名ではあるがここでは再訪であり、記事内容も乏しKyougamisaki201くなってしまった。本来なら「おまけ」に分類すべき内容かもしれないので、先に謝罪しておくことにする。

京都丹後半島の経ヶ岬灯台である。前回の訪問時は曇天で、厚く低い雲に圧倒された(それなりに自分は気にいっているが)写真であったので、今回は快晴が続いたシルバーウイークに青空が背景の写真を求めて向かったのである。今年のシルバーウイーク、東海地方は見事な晴天であったため、この日思い立って経ヶ岬を目指したのであるが、さすがに多雨の丹後半島。近づくにつれて雲が覆い始め、青空もあったが晴天とは言えなかった。Kyougamisaki203

今回は、連休中のドライブであり、渋滞を避けるために、自宅を早朝に出発して午後3時までには自宅に戻る計画で、三重県から北に滋賀県に入り、琵琶湖の東側から日本海に出て、若狭自動車道を西に進むルートを黙々と運転し、午前10時半頃灯台に到着した。駐車場からは灯台が立つ岬まで山登りである。ちょうど同じ頃到着した家族連れ6人、バイカー3人の後ろから出発したのであるが、歩くのが遅い!! 更に横に並んで歩くため、追い抜くのにひと苦労である。バイカーのおじさん(たぶん私くらいの歳)が、私が抜いて行った後ろ姿だけを見て、『やっぱり若い奴は違うKyougamisaki202_2のー』と声を発した。若いと言う形容で、私の足は更に軽やかになったことは言うまでも無い。

連休中のこの日。さすがに有名な灯台であり、写真を撮るためには、人が途切れるタイミングを待たなければならない。構図から人の姿が消えると写真を撮り、また別のアングルで待って・・・としている間に、追い抜いてきた家族連れも、バイカー達も灯台に到着し見学を始めたが、見学は短い時間だった。歩きながら見上げて一周すると、まもなく全員帰路についたようである。彼らが去った後に誰も居ない時間がしKyougamisaki204ばらく続いた。おかげで着いたときより青空が少し広がった背景で灯台の写真が撮れた。ペットボトルのお茶を飲んでから、カメラリュックを背負って帰途についた。帰りは下りであるが、トレッキング用の靴を履いている私のペースは登り以上に速い。結局再び家族連れやバイカー達を追い抜くことになった。『二回も抜かれたぞ~』と、さっき灯台で写真を撮る私を見て、若くないことを知ったためか、嬉しい形容詞は省かれた声を聞きながら駐車場まで一気に歩いた。Kyougamisaki206

帰る途中、バイカーを抜く前に思い出していたのであるが、前回訪ねた時に、次回は投光している姿を夜に訪れて狙いたいと感じ、このブログにもそう書いた気がする。灯台の後方上方から見下ろす形で灯台と共に日本海が広がる位置から撮影できる以上、是非とも狙ってみたいと今回も思った。しかし前回訪ねた時に、丹後半島を探Kyougamisaki205索して、間人蟹(たいざ蟹)などの情報を得てしまっていた私は、冬の丹後半島を一泊で訪ねて、夜撮影した後、宿に戻って蟹を・・・などと考えてしまっていた。

 

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2013年5月16日 (木)

潮岬灯台(和歌山県)

Botantoudaiまたまた更新までに時間が空いてしまったが、言い訳はせずに、今回は和歌山県の潮岬灯台(写真右上)を紹介する。既に何度か訪ねているが、いつも早朝であったり夜間であったりと、観光地であるが故に門限のある灯台に近づけない状況での訪問だっShionomisaki1た。今回、平成25年の年明け早々に訪ねた時、初めて敷地内に入って、灯塔にも昇ることが出来た。と言うことで今回は記事としてまとめてみることにしたのである。

潮岬という名称は全国的である。台風シーズンなどでは必ずここから海の荒れ模様が中継される。本州最南端の岬に立つ灯台(地図左上)であり、江戸条約によって設置が決まった、いわゆる八灯台の一つで、プラントンによって作られた灯台でもあり、観光地になって当然かもしれない。当初は洋式木造建築だったそうであるが、後に現在の石造りに改築されている。と言ってもそれも明治11年の事であり、本当に歴史的な灯台なのだとわかる。

Shionomisaki8chizu途中梶取埼灯台樫野埼灯台と立ち寄って潮岬に到着したのは、少し西日となり始めた3時頃であった。潮岬灯台は観光地で有り正面の駐車場は有料となっている。離れた場所に無料駐車場もあるのだが、便利さを求めてココを利用することにした。それほど車の台数は多くなかったのであるが、訪れる人は灯台の立つ限られた敷地内に向かうのであり、その後の写真撮影時に人の姿を入れないようにすることは難しかった。Shionomisaki4

灯台を観光で訪ねる人たちに何の恨みもないが、灯台の立つ風景を追い求めて全国の灯台を巡っている一人として言わせていただければ、やはり正直邪魔である。灯台だけならおそらく訪ねないような人たちが、ただ観光地と言うだけで灯台に立ち寄るのである。そのお目当ての一つは灯塔へ登れることであShionomisaki2る。少し前に『登れる灯台』の記事をまとめたが、岬の灯台から見下ろす景色は確かに魅力的である。しかし、灯台の立つ風景を追い求めている私には、肝心の灯台の上に人の姿が写り込むのは、やはり邪魔としか言えないのである。

なんとか人の姿がない瞬間を待って何枚か写真を撮ったのであるが、なかなかお気に入りの写真は撮れない。敷地内をいつも以上にグルグルと回ってその時Shionomisaki5を待った。灯台の奥には米粒岩の照射灯が設置されている(写真右中)。『米粒岩』と言う名前に興味を持ってその方向に目を向けてみたが、正直なところ、どの岩なのか分からなかった。その間も、観光客は入れ替わり、なかなか灯塔から人の姿が消えない。米粒岩を確認したい気持ちもあり、先に灯塔に昇ることにした。私が上って行く途中数名の観光客とすれ違ったが、上に出ると誰もいなかった。絶好のシャッターチャンスを逃したことになる。灯塔の上からは岩礁がよく確認できた(写真左中)。遠くにポツンと黒く見える岩が米粒岩であろうか?確認できないまま下に降りると、急いで撮影ポイントに向かって、ようやくお気に入りの写真を撮ることができた(写真右下)。帰り間際にもう一度後方かShionomisaki7ら海を背景に灯台を広角で眺めた。やはり人の姿が写ってしまったが、『晴れた日、観光地の灯台らしい』と言ったある種の納得感を感じ始めていた気もする(写真左下)。

三重の自宅に戻る途中、事故渋滞に巻き込まれて動かない車の中で、ふと思ったのであるが、台風が近づいた暴風雨で荒れた時に、テレビに写し出される潮岬灯台の立つ風景こそが、私が追い求めている姿だったのかもしれない。台風時に潮岬に向かう元気はないが・・・。

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2013年3月 4日 (月)

樫野埼灯台(和歌山県)

Botantoudai今回は、潮岬灯台と同じく、本州最南端の和歌山県串本町に立つ、樫野埼灯台Kashinosaki1(写真右上)を紹介する。潮岬灯台は、台風情報などのニュースでもよく登場するが、樫野埼灯台は、そう言った意味ではあまり知られていない。しかし、トルコ軍艦船遭難や救助の地として、或いは幕末時に認められた8灯台の1つとして、また本邦初の石造り灯台として明治3年に点灯された歴史ある灯台として有名である。更に景観も素晴らしい場所であり、観光地として訪れる人は多い。

Kashinosaki7chizu_2串本大橋によりつながってはいるが、紀伊大島に立っている(地図左上:Mapfanより)。ループ橋で渡る串本大橋の周辺にも、小さな灯台が点在しているが、梶取埼灯台の記事でも書いたように、今回は大きな灯台に訪問を絞っていたため、立ち寄ることは諦めて、遠方からの写真撮影だけを行って樫野埼灯台へと車を進めた。年明けの暖かい日であったが、バイクが多いのに驚いた。やはり温暖なのであろう。自宅の三重県北西部を出発したときには雪も降っていたが、こちらは気温こそ低いが、暖かい日射しを感じられKashinosaki6る。

きれいな無料駐車場も整備されていて、出入り口では小さな露店の販売所もあった。車を止めて灯台に向かって歩き始めると、トルコとの友好のモニュメントや記念館などもあり、更にはトルコ絨毯の制作販売の店もあった。何気に立ち止まっKashinosaki8て、絨毯を眺めたが、好みの柄もあり、『入り用になったらここまで買いに来るのも有りだな・・・』などと予定にすらない事まで考えていた。予想以上に駐車場から灯台までは距離があったが、整備された広い道は何も苦労はない。大きな有名な灯台巡りではいつもと違って、道無き道や山道をさまよい歩くことはない。本当に景観だけを楽しみながら、巡ることが出来る。『たまにはこう言ったスタイルも良いな~』などと考えながら進むと、正面に灯台が見えてきた。Kashinosaki3

灯台を囲む塀の周辺には水仙が咲いていて(写真右2番目)、広がる海原を背景に太陽の光が眩しい。灯台の灯塔はそれほど高くないが、見晴らしの良い埼の上であり、海面高は47メートルである。門を通り敷地内に入ると、灯台の左側は大きな木で見えない(写真左2番目)。左の敷地に回り込むと、なんと、木で隠れていた部分には、らせん階段が設置されていて、上Kashinosaki9れるようになっていた(写真右3番目)。『と言うことは、既に登れる灯台を訪ねてみませんか?の記事でまとめた15基が16基に増えると言うことなのか?』 景観や灯台を味わう前にそんなことを、あれこれと考えてしまった。らせん階段はオモチャのような作りとなっていて、まずは上ってみることにした。少し上っただけなのに目線が変わると風景は一変する。キラキラ輝く海面からそり立った埼の形状がよくわかり、埼の上に咲く水仙も違って見えた(写真左3番目)。Kashinosaki4

灯台の塀の外側を歩くと敷地内から見える灯台とは少し異なった雰囲気で灯台を味わうことが出来た(写真右下)。小さな休憩所からは、ちょうど太陽と海原を背に灯台を見上げる事ができ、そこにはバイクで訪ねた二人がのんびりと灯台を見あげて休憩していた。なぜか微笑ましい気持ちになり、『次回来るときは、俺もバイクにしよう・・・』などと考えつつも、『真夏と真冬はあり得ないな・・・』などと考えKashinosaki5ていた(写真左下)。

正月過ぎと言うこともあってか、観光客は多い方だと思う。写真を撮るときに人が写らないように待つ時間がかなりあった。のんびりと大きな灯台だけを巡ろうと決めていたからこそ持てる余裕であり時間なのであるが、時間があると色んな事を考えてしまうものだな~と改めて気づかされる灯台巡りでもあった。

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2013年1月26日 (土)

梶取埼灯台(和歌山県)

Botantoudai今回紹介する灯台は、和歌山県太地町に立つ梶取埼灯台(写真右上)である。太Kajitorisaki5地町は、クジラに関する話題などで、その名前を耳にされた方も多いはず。ここで語る気はないが、日本と捕鯨の歴史を理解できない人に、云々言われたくないというのが私の気持ちである。

Kajitorisakichizu1Kajitorisakichizu2_3年が明けた1月4日の早朝に三重県の自宅を出発して、日帰りで潮岬灯台まで3基ほど灯台を巡ってきた。太地町の梶取埼灯台(地図左上:Mapfanより)へは最初に立ち寄ったのであるが、せっかく南紀まで足を延ばしているのだから、勝浦漁港にある灯台や、くしもと大橋周囲の灯台なども訪ねたい気持ちもあった。しかし、晴天に恵まれたこの日、メジャーな灯台をのんびり味わおうと考えたのである。梶取埼は、42号線を南下して紀伊勝浦を過ぎると案内表示Kajitorisaki1もあり、道に迷うことはない。ちょうど左右に分かれるような交差点を左に進み太地町に入ると、案内表示が至る所にある。話はそれるが、落合博満野球記念館があることは知っていたが、ここにあるとは知らなかった。

小高い丘に登るように車を進めると、諏訪神社の向こう側に梶取埼公園がKajitorisaki2広がり、その向こうに灯台の姿が見える(写真右2番目)。灯台に出会う景観としては、私は大好きなロケーションだ。ちょうど訪ねた時間がお昼前と言う事もあり、公園には人影はなかった。広い公園の芝生が広がり、その向こうに灯台の白亜の姿、そしてその向こうには海が広がっている。夏に訪ねたなら、きっと夏空の下に広がる海の藍色に圧倒された光景に変わるのであろうが、今の季節、海は控えめであり、灯台と重ねてもそのコントラストは自然である(写真左中)。Kajitorisaki4

灯台の向こう側に周り、海を見下ろすと、180度以上の景観が広がっている(写真右三番目)。振り返って灯台を見上げると、灯台の照射灯部分が、同じように海を見下ろしているように見えた(写真左下)。梶取埼が高台の岬であり、その上に立つ灯塔の高さも十分であKajitorisaki3り、存在感は大きい。

お気に入りの写真を撮りながら徐々に戻っていると、小さな子供と両親が公園を散歩に訪れた。梶取埼の内陸側は、新しく分譲された住まいが立ち並んでおり、近所に住む方なのだろう。憩いの場として、灯台が立つ公園はうらやましい環境である。そんなことを感じながらもう一度海を背景に灯台を眺めた(写真右下)。灯台の上に着いている鯨のマークが、暖かく感じられた。Kajitorisaki6

人の営みの中で生まれ出た問題を非難し、1つの事実を指摘する事は、容易であるが、それを指摘する人も、既に人の営みの中で存在し、多くの指摘されるべき事実を有している事もまた、間違いない事実である。

Kajitorisakichizu2_2

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2010年11月30日 (火)

友ヶ島灯台ー後編ー(和歌山県)

Botantoudai前回に引き続き友ヶ島灯台(写真右上)の後編をまとめることにする。前編では灯台までの行程などを中心にまとめたが、今回は灯台や周辺の状況、或いは景観を中心にまとめたい。Tomogasima11

前編の最後にも書いたが、ブラントンが建てたその姿はやはり優美でありながらたくましいと感じる。石造りの灯台がそう感じさせるのであろうが、しかしながら同時に、彼の建てた多くの灯台を見てきた自分にとっては、見慣れた物の様にも感じる。少し思い上がった感想かもしれないとはわかっているのだが。

Tomogasima15灯台が目の前にあるのに、『灯台ココ』と言う案内表示は笑えた(写真左上)。そのまま灯台の真後ろに近づくと、ちょうど太陽を背に受けて、青空がより濃く広がり、そこに立つ白い姿が眩しかった(写真右二番目)。背の低い灯台であるが、島の丘の上に立っており水面高は60メートルある。灯台の前Tomogasima17面に回って、正面からその姿を見ながら少しずつ下がっていきたいところであるが、正面は崖になっていて子午線広場と名付けられた灯台に向かって右前方に進んだ。名前の通り、この広場は子午線上にある。振り返るように灯台を見ながら何枚もカメラに収めたが、全く海が背景に入らない。灯台に背を向け子午線広場の方に目をやると、正面の淡路島生石鼻がすぐそこに見える(写真左二番目)。灯台の姿と共に、この距離感をカメラに収めたいところであるが、併設される建物のTomogasima12屋根にでも登らないと不可能だった。

子午線広場は、一段下に広がる広場であり、灯台に向かって少し左に移動すれば、正面Tomogasima13に灯台を見ることも出来たが、やはり背景に海は入らない(写真右三番目)。そこで次に、灯台に向かって右側にある丘の上に移動してみた。確かに海は見えるのであるが、併設されている建物が灯台の姿をほとんど隠してしまう。

Tomogasima18これ以上の構図は望めないのかと、灯台の後ろ側に戻ると、灯台の後ろから進む道を見つけた。クモの巣が張っていて、あまり訪ねる人はいないようであるが、ちょうど灯台に向かって左前方の丘の上につながっていた。鉄の丸い屋根が地面から飛び出た、哨戒のための跡地である(写真左三番目)。ここからであれば、背景に海をTomogasima14入れて灯台が撮れるのだが時間的に少し逆光となってしまった。それでも紀淡海峡にさしかかる船に投光している灯台の姿は十分にイメージできた(写真右下)。

約2時間の滞在で帰りの船に乗ることにして、野奈浦の桟橋に向かっていると、来るときには気がつかなかった看板を目撃した(写真左下)。この夏熊本の灯台巡りTomogasima16でどこまでも私を悩ませた『マムシに注意』と言う看板である。そう言えば、前編のブログ右三番目に載せた地図を眺めると、島の東側には『友ヶ島深蛇池湿地帯植物群落』と言う名があり、蛇という文字が気になっていたところであった。この夏は、他にも蛇にまつわるエピソードが多くあり・・・、いやはや全くの蛇足の話になってしまった。

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2010年11月18日 (木)

友ヶ島灯台-前編-(和歌山県)

Botantoudaiもう数年前になるが、淡路島洲本市の生石鼻灯台を訪ねた。その頃は、まだTomogasima08灯台巡り駆け出しで、この灯台が友ヶ島水道(紀伊海峡)を挟んで友ヶ島灯台と向かい合っていると言う事実(地図左上:Mapfanより)を知らないままに訪ねていた。いやそれだけではなく、地理を確認せずに別の灯台と間違えていたこともあった。今回友ヶ島灯台を訪ねたのだが、さすがに今は紀伊海峡の地図がしっかり頭に入っており、その意味では数年間の灯台巡りで、私も成長したのだなと感Tomogashima02chizuじてしまった。今回はそんな友ヶ島灯台(写真右上)の記事をまとめるが、少し長くなるので二回に分けて紹介したい。今回は主に灯台への経路などをまとめてみたい。Tomogashima03

友ヶ島は、今でこそ観光地とも言えるが、昔は軍が管理し、以前は電気すら来ていなかったそうである。島は地ノ島、神島、沖ノ島、そしてつながってはいるが虎島とに分かれ、全体を友ヶ島と呼び、灯台は沖ノ島の西側に立っている。和歌山市の少し北側に位置する加太(かた)港から、友ヶ島への連絡船が出ているのだが、この乗Tomogasima04船場がわかりにくい。幸い案内看板だけを信じて車を進め、無事に着くことが出来たが、道も細く、いわゆるフェリー乗り場のようなイメージではないので、初めて訪ねる方は注意が必要だ。Tomogashima01chizu

私が訪ねた2010年9月の中旬は、まだ猛暑が続いている頃で、例年より島に渡る人は多いと連絡船の関係者から聞いた。多くが釣り客だが、家族連れやデイキャンプ目的の人たちもいた。ほぼ満席に近い状態で船が出航したのは、9時ちょうどであった(写真右二番目)。約20分で沖島の野奈浦に着くTomogasima05(写真左二番目)。着船した桟橋から正面は公園になっていて、島を訪ねた人たちを出迎える雰囲気にあふれていた。人は住んでいないと聞いていたが、宿泊施設なども何件かはあるようで、夏期を中心に営業しているそうである。

野奈浦から歩道が整備されていて、上陸した人たちは目的地に向かって歩き始める。私Tomogasima06は迷うことなく西に向かって歩き始めた(地図右三番目:国土地理院より)。しばらく緩やかな登り坂を登ると、熊崎に着く。正面に池尻浜が見え、山の上に灯台の姿も少し見える。そして友ヶ島水道を挟んで淡路島がすぐ近くに見えた(写真左三番目)。改めて以前淡路島の生石鼻を訪ねたときに、この友ヶ島を意識しなかった自分が信じられない思いであった。池尻浜を超えて山を登ると、その途中に灯台の案内がTomogasima09あった(写真右四番目)。その昔は軍の対空砲などが設置された島であり、第一砲台と同じ方向と記されていた。下船後何人かの人が私の前後を歩いていたが、この案内板を過ぎる頃には私一人となっていた。木々が道を覆い、薄暗くなっている坂道を登ると、木々が揺れて音がした。何かの動物が私の姿から逃げ隠れしている音である。最初はその姿が見えなかったが、なんとかカメラに収めることができた(写真左四番目)。尻尾があるようにも見えるが、結局その正体は何かわからなかった。Tomogasima07

坂を登り切る手前に、燈光会の立てた案内板があり、その奥に灯台の姿も見えてきた(写真右下)。今でこそプラントンの建てた灯台をいくつか巡り、その名前も知っているが、対岸の生石鼻を訪ねたときには、どうだったのだろうか・・・などと考えながら、歴史ある灯台をまた一つ巡ることがかなった事に素直に喜びを感じていた。(次回に続く)

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2010年6月24日 (木)

江崎灯台の光り(兵庫県)

Botantoudaiお気に入りの灯台の中で、比較的近い灯台への訪問回数は年々増えていく。夜明け前に訪ねて徐々に青空に変わっていく中で灯台が消灯するのを見守ったり、夕焼けから空の変化と共に灯台が点灯し、更に闇に包まれて光りが浮かび上がるのを楽しんだEsakinitibotu01りすることが多い。灯台の立つ風景として私のお気に入りとなった場所から、次にその灯台本来の姿を追い求めたくなるからなのだろう。 今回は三回目の記事となるが、淡路島に立つ江崎灯台の夕暮れ時の訪問をまとめてみる。(初回記事はこちら明石海峡大橋との記事はこち

Esakinitibotu0370-80年代育ちの私にとって土曜日は格別であり、それは今でも同じだ。土曜の午後2時くらいに仕事が終わり、開放感に包まれた中で青空を見ると車を走らせ、灯台を訪ねたくなる。この日も晴天。私はカメラリュックを積み込んで車に乗り込んだ。三重県の自宅から神戸まで、時間帯にもよるが3時間はかからない。午後4時過ぎには淡路島に渡り明石海峡大橋を淡路側のサービスエリアにある展望から眺めていた。Esakinitibotu02

夕焼けが近づく頃江崎灯台に向かった。灯台そのものに来るのは二度目である。灯台下の道路沿いのパーキングに車を止めて、ゆっくりと階段を登った。一気に登ると多少息が切れる。登り切ると相変わらず江崎灯台はあっち側を向いて物静かに迎えてくれた(写真右上)。前に訪ねた時は蝉の声が耳に痛いくらいであったが、今は初春のうららかな風に揺れる木の音だけである。

Esakinitibotu04夕日は明石海峡大橋とは反対側に沈んでいく。必然的に大橋や神戸の街に背を向けてカメラを構えた。徐々に夕焼けの色が濃くなり、太陽の姿は瀬戸内に消えていった(写真左上)。途中灯台の背後からもその景色を味わった(写真右中)が、やはり背後から見ると物静かな灯台のイメージが強調されたかのような夕焼けであった。それから数分後灯台が灯った(写真左中)。ふと背後を見ると明石大橋を挟んで神戸にも幾つかの光りが浮かび上がり始めている。かなり離れているはずなのに、街の雑踏や車の音が聞こえるくらい近くに神戸の街Esakinitibotu05があるような気がする。いや違う。自分の手を伸ばして右から左にひと拭きすれば真っ白に戻るキャンパスに描かれた絵のようにこの景色を見ていたのだ。青空が闇に包まれ、幾つかの星の輝きがわかるようになると、そのキャンパスは更に身近に感じる(写真右下)。

昨年の夏に神戸側から明石海峡大橋を隔ててこの江崎灯台の灯火をEsakinitibotu07味わった(写真左下:橋の下から灯台の光)。その時は淡路側から放たれる光が少ない中、江崎灯台の灯りが特に目立って見え、そしてそこにつながる明石海峡大橋が希望に架かる橋のようだと感じた。しかし逆に江崎灯台に立ち、どこまでも広がる光りに彩られた神戸側の景色を見ると、間違いなく明石海峡大橋は未来に架かる橋であった。

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2009年8月12日 (水)

明石海峡と江崎灯台の光

Botantoudai 神戸に私的な用事があり、8月初めの土曜日に午前の仕事を終えてから車を走らせた。どうせなら明石海峡と江崎灯台(写真右上)が光る夜景の写真を撮ろうと考Esaki1え、その日は神戸市の西、垂水区で宿泊することにした。そのため神戸市の中心部は通らず、北の山陽道方面から向かったのだが、実はこの日神戸港の花火大会。おかげで市内の渋滞にも巻き込まれずに順調に着くことができた。宿だって中心部では取れていなかったに違いない。明石海峡近くの宿Akashikaikyouchizu6 に車を止めて、そこから公共機関(地図左上:Mapfanより)を利用して、用事も無事完了できたのだった。

夕食を終えて、明石大橋に向けてカメラを構え始めたのが午後8時半頃であるが、午後9時頃から急に西向きの小型船がたくさん通過して行った(写真右中)。神戸Akashikaikyou1_2の花火を船上から見るために出ていた船が帰って行くのであろうか。だとしたら是非一度は 味わってみたいとうらやましく感じた。長い間花火を楽しんでいない私は、船から頭上に見える花火を思い描いた。

どの場所からも江崎灯台の灯りはすぐに確認できた。と言うより、既に暗くなる前にその姿は肉眼でも確認できていた。前回灯台を訪ねたのは、Akashikaikyou42006年の夏(写真左中)である。蝉の声が痛いくらいの中、吹き出す汗をぬぐった夏の日ざしが思い出深い。あれから三年。対岸から明石大橋を眺める限り何も変わったとは思えない。しかし何も変わっていないと感じたことで、逆に時の流れを意識させられた気がした。神戸に関係ない私が言うことではないが、震災からの復興で変わった姿を見ても、時の流れを感じるより人の営みを感じるだけであるが、むしろ変わらない姿にこそ時の流れを感じ、震災を越えて存在しているのだと思ってしまう。Akashikaikyou5

明石大橋の照明のパターンは時間で変化しているようであるが、それよりも橋の上を通過する車の光が、橋の表情を変えているように感じた。それに対して江崎灯台からの灯りは、時に赤い標示に変わる以外その灯りは変わらない。車の光と灯台の灯りが、動と静の対照的に見えるのだが、そのイメージを写せるほど自分にカメラ技術がない のが残念だった(試みた写真が右下:中央右下の光が江崎灯台)。

Akashikaikyou3翌朝、空は雨雲に覆われていたが、同じようにまだうす暗い中灯台の光りを狙ってみた。明石大橋は深夜には照明を落とし、明け方のこの時も同じである。大橋の姿がモノトーンで浮かび上がる中、昨夜はあれだけ賑やかだった周囲の灯りはすっかり落ちて、ただ江崎灯台の灯りのみが点灯していた(写真左下)。しかしその姿は、昨夜と同じ様に静かだった。

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2008年11月13日 (木)

産湯埼中磯灯台(和歌山県)

Botantoudai 私が灯台巡りを始めた当初は、国土地理院の地図を海岸線に沿って眺め、灯台の印を見つけて、そこに出かけるというものだった。だからUbuyuokichizu6たどり着くまで灯台の情報はおろか、どんな形の灯台かも知らずに出かけていたのである。私が灯台として海上保安庁や他の先輩方の情報を参考にするようになったのは最近の事である。しかし今年夏に巡った和歌山の灯台は、これまでの様に国土地理院の地図(写真地図右上)だけ見て行程を決めた。『産湯埼』と言う微笑ましい名前の埼に灯台の印が付いており、是非とも立ち寄りたいと考え、日ノ御埼灯台Ubuyuoki1の次に立ち寄るつもりにしていたのである。

とにかく強い日差しの中、日ノ御埼を出て産湯埼に着いたのは、 午後1時半頃であった。灯台を目指すには、『産湯』よりもう一つ北側の入り江『比井』からの方が良いと考え(地図右上参照)、産湯からもう一つ坂道を登り下りした所にある施設の駐車場に車を停めたのだが、そこはなんと火葬場の駐車場だった。「産湯」から一つ山を越えた所に「火葬場」があることに因縁めいたものを感じたのだが、この日葬儀も行われており、さすがに遠慮して少し離れた空き地に車を移動させた。カメラリュックを背負って炎天下の中、埼の岩場が続く海岸Ubuyuoki4線を進むことにした。岩は案外滑りやすく足場が不安定で、吹き出す汗を拭いながら、20分程かけてようやく埼の先端部分にたどり着いた。しかし、どこを探しても灯台の姿は見えない。埼の中ほど木々に囲まれた場所に立っているとしても、海岸線に近い岩場からなら、照射灯のある先端部分くらいは見えるはずである。しかしそれも探すことは出来なかった。実際には存在しない可能性もある。以前にも三回ほど地図に灯台の印があっても、訪ねてみると存在しないと言った経験がある。

Ubuyuoki3_2 仕方なく、沖の方を眺めると、空に龍が登るような見事な形の雲が水平線から延び(写真右中)、その手前には、中磯灯台の姿が確認できた。事前に地図で見たときには、中磯灯台は距離が離れており、さすがに撮影は無理かと思ったのだが、産湯埼の最も突き出た岩場を渡り歩いて、本当に先端部まで行くと、望遠レンズを通してその全貌が確認できた(写真左中)。産湯埼の灯台を目指してきたのだが、結果的には中磯灯台をカメラに納めることとなった。

Ubuyuoki2ちょうど大きな平坦な岩があり、そこに登ってカメラを構えて、昇竜のように見える雲を背景に何枚か写真を撮った。この場所からだと、一つ南側の入り江にある、産湯の町まで見ることが出来る。20分ほどかけてたどり着いたと書いたが、この場所は散歩気分で来られる場所ではなく、もちろんこの時私以外には誰も居なかった。産湯埼に灯台が存在しなかった残念さは既に薄れ始め、中磯灯台に陸地からこんなに近づけたことに感動し、同時にやってきた自分を少しだけ誇らしく感じていた。正面右手には、その名前も印象的な「辛子埼」が見え、人生にスパイスを与えてくれそうだ(写真右下)。更に右Ubuyuoki5 後方に「火葬場」のあった比井の町、左後方に「産湯」と、まさに人生の真ん中にいる様な気分だと、苦笑しながらも考えてしまった。

戻る途中に、岩場からもう一度中磯灯台を見ると、その向こうに昇竜の様に見えていたその姿が、先ほどよりも、より上空に舞い上がりそうになっていた(写真左下)。

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2008年9月18日 (木)

日ノ御埼灯台(和歌山県)

Botantoudai 澄み切った青空や紺碧の海を背景に灯台を訪ねることが出来ると素直に嬉しい。周囲が整備されていたり、素晴らしい景色が広がっていたりすると、写真を撮る上でも更に満足度は高まる。もちろんこれは、灯台に対しHinomisaki2ての評価ではない。私の灯台巡りでの、訪問に関する満足度と言うべきものである。今回紹介する日ノ御埼灯台(写真右上)は、灯台として個人的な評価も高く、その姿も綺麗でたくましく、周囲も整備され、広がる景色も素晴らしく、そして暑かったが見事な晴天の日に訪ねることが出来て、全ての条件が整った訪問であった。

Hinomisakichizu6既にブログで紹介した、和歌山県の番所の埼灯台天神埼丸山灯台の後に、御坊市を抜けて美浜町に入った(地図左上:MapFanより)。とにかく暑い日であったが、真夏の青空が広がっている。日ノ御埼に向けて岬の斜面をジグザグに登っていくと、岬の先端から少し戻るような方角に、展望台が見えた。しかしナビは、ここから少し岬の先端寄りに灯台を表示しており、とりあえHinomisaki3 Hinomisaki7 ずこの場所の木陰に車を止めて、ナビの示す方向へ徒歩で向かうことにした。余談になるが、一般に車載ナビは灯台巡りには不親切である。堤防に立つ標識灯などは表示されても、ちゃんとした道が付かない灯台は表示すらされないことがある。この時もナビを頼ったと言うより、勘に従ったとも言える。付け加えるなら、いつも地図の参照に利用させていただいているMapFanのネット地図は、灯台の表示は親切で、役立Hinomisaki1_2つことが多い。

少し下る形で整備された道を進むと、右手奥に道が続き、低く太いフェニックスの葉が重なり合う向こう側に、青い空を背景に、綺麗な白亜の建物があった(写真右中2枚)。久しぶりに感動の声をあげてしまった。灯台は、どっしりと構えた構造で、白く眩しく輝いている。右手前(灯台の左Hinomisakichizu8後方)には、背の高い電波塔が立っている。しかし敷地が広く整っているため、その高さや大きさが気にならなかった。

まずはゆっくり灯台の正面まで進んだ。きれいに整備され、品の良い柵が正面を囲っていた。そして灯台の照射灯は、そこから遙かに望むことが出来る海原に向かっている(写真左中)。残念ながら十分に海を背景にして灯台を撮影することは出来なかったが、灯台の裏側からでも、正面からでも、そして側面Hinomisaki4_2から見ても周囲が整備されていて灯台の姿が引き立ち、本当に美しい。そしてこの季節だからかもしれないが、フェニックスの木陰から見上げた灯塔の姿からは、たくましさが感じられた(写真左下)。実は、日ノ御埼灯台の外観は訪ねるまで知らなかったのだ。それだけに感動も大きかったに違いない。

日ノ御埼灯台は、紀伊水道への入り口として東側に位置する重要な灯台である。地理的 に言えばかなり以前にブログでまとめた徳島県のHinomisaki5蒲生田岬が西の入り口にあたる(地図右下:MapFanより)。蒲生田岬を訪ねた時には、まだ知識不足から、ここ日ノ御崎を意識することはなかった。しかし今、既に訪れたことのある約25km隔てた蒲生田岬灯台を意識すると、もう一度徳島に足を伸ばして灯台を訪ね、東の海をゆっくりと眺めてみたいと思った。ここ日ノ御埼灯台での一番のお気に入り写真が右下である。

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