カテゴリー「東北地方の灯台」の記事

2024年3月 3日 (日)

龍舞埼灯台(宮城県)

Botantoudai_2_20230902095901 2009年、東日本大震災の二年前に宮城県気仙沼の灯台を巡ったときに、立ち寄ることが出来なかった龍舞埼灯台に、2023年夏に訪ねることが出来た。震災後の復興が進み、以前は船でしか渡れなかった大島に橋が架かったことが今回の訪問を可能にしてくれていた。二つ前の記事『岩井埼灯台(震災前に訪ねた記憶とともに)』で対岸に見える大島に立つ灯台として紹介したのが、今回紹介する龍舞埼灯台である。202382601

もし2009年に船に乗って訪ねていれば、龍舞と言う地名などで、きっとこのブログでうるさくまとめていたに違いないが、今回は震災の爪痕や復興を見続けている旅の途中であり、灯台やその地名の由来よりも震災前後での姿や現状を淡々と感じながら202382602 巡った気がする。復興後に出来た橋を渡って、しかも南北につながる復興道路から直通で渡れることもあり、予想以上に観光客は多かった。10台程の埼に続く駐車場は、ほぼ満車で、ちょうど出庫した車の後に駐めた。それにしても暑い。今年の夏は・・・と毎年繰り返しているがとにかく暑かった。

埼の先端にある灯台まで、少しアップダウンの道を歩く。周囲の景観に違和感は無いが、海が見え始め埼の端に出ると明らかに松の木が不自然である。枯れている木々がとにかく多い。おかげでとは言いたくないが、灯台の全貌が少し離れたところからでも確認でき、海を背景に写真を撮ることが出来た。これまでの灯台巡りの経験上、木々に邪魔され、海を背景に灯台の写真を撮るのが、どれだけ叶わなかったことか。202382603

右手に目を向けると、先ほど訪ねて、この埼の変わった姿を見つめた岩井崎灯台の姿が確認できる。そしてそのまま右後方に目を向けると気仙沼の中心部につながる。新しい端や道、そして防波堤がずっと海岸線を包んでいることがよくわかる。目線202382606 を正面に向けると、夏の青空を飲み込むような紺碧の海原が広がっていた。埼周辺には岩礁もあり観光名所となっている。しかし、2009年に訪ねていればクロマツが取り囲む埼や周囲の岩礁、奇岩なども楽しめたかもしれないが、今回の旅はやはり震災後の復興に目が行ってしまっていた。

旅を終え、戻ってからサイトで龍舞を調べると、灯台の写真が載っている。それが震災後に撮られたものであることや以前との景観の違いが私にはわかった。それがささやかであるが、この地に想いをはせると言う、ただ一つ私が出来た事なのかもしれない。202382605

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2024年2月 4日 (日)

大須埼灯台(宮城県)ー再訪

Botantoudai_2_202401241719012023年の夏に、東日本大震災の2年前の2009年に訪ねた灯台を、もう一度巡る旅に出た。その中で最も嬉しい再会が、本日紹介する大須埼灯台である。以前訪ねたときも、地元の方との出会いもあり思い出深い灯台であったが、以前と変わらぬ姿の灯台や、その周りに見られた人々の強い歩みを感じられて素晴らしい感動を与えてくれた。2023826oosusaki03

大須埼灯台は、仙台から北上し石巻市を超え、北上川が流れ込む手前に東に延びる岬。雄勝と言う地名の岬の東側にある。岬に沿ってぐるっと外周を回る形で道があるため、398号線を北上してきて岬の付け根の南側から縁に沿って大須埼を目指した。車を進めていて前回と大きく異なっていたのは、海岸線を走る道はほぼ無くなっていたことである。雄勝の「道の駅」が新たに作られた堤防の上にあり、立ち寄ってみた。駐車場に止めて海側に寄ると、かなり高い堤防の上にいることがわかる。そしてその堤防は、そのまま岬を囲むように延びている。11年の歳月で!と驚いたのは、この旅では、もう幾度目かのことだった。

2023826oosusaki01 この日も暑かったが、14年前も暑い夏の日に訪ねた。確か大須埼灯台入り口と書かれた古びた立て看板の近くに路上駐車をして、急な小道を汗を流して登ったはずだと思い出しつつ埼に近づくと、その古い看板ではなく、大須埼灯台を示す大きな新しい案内看板があり、それに従いもう少し移動した。舗装された新しい道が続き、やがて立派な駐車場にたどり着いたのである。ロータリー形状の駐車場の真ん中には手洗い場まで完備されていた。観光地を彷彿させるような整備である。ただ、以前の小道を登るルートよりかなり離れており、結果、そこから灯台まで少し整備されてはいるが、歩道を歩かなくてはならない。夏の暑い日で、一般の人なら遠い!と思うところであろうが、私は全く気にはならず、新たに生まれ変わった観光地化された大須埼に感嘆の声をあげながら灯台を目指した。2023826oosusaki04

白亜の灯台が碧い海を背景に立っていた。その姿は、灯光窓の左側にソーラーパネルが設置され、広場から見ると目立っていた白い外壁が一部剥がれてた場所が修復された以外は14年前と基本何も変わっていなかった。しかし周りを見ると少し雰囲気が違う。ハート型のモニュメントがあり、幸せの鐘?まで備えられていた。2020年に、コロナ禍で訪ねてアップした蒲生田岬灯台の記事で紹介した『恋する灯台』に選ばれていたのである。灯台の姿は変わりないが、そのモニュメントがあるだけで華やかさが増し、更に整備された駐車場、ここにつながる歩道など、ふと震災の傷跡を忘れそうになったが、いや、それで良いのだと思った。この灯台は、間違いなく地元の人に愛されているはず。それは2009年に訪ねたときから感じていた。震災、津波の被害を超えて地元の人がこの灯台に明るい姿を、恋する灯台に似合った姿を求めたのは、立ち止まらず前向きに生きてこられたからなのだ。恋人たちにも訪ねてもらいたいと考えて整備されたその思いを素直に受け入れたい。

2023826oosusaki05 高い埼に立つ灯台から見下ろすと漁港が見えるが、周囲を取り巻く防波堤がハート型に作られている。実は、2009年に訪ねたときもここから港防波堤を写真に収めた。確かその時も同じ様な形だったはずである。恋する灯台と言うことで、この形はもってこいであったであろうが、その時は大きな被害があったはず。それを乗り越えてのこの形にこそ意味があると感じた。今回も、ハート型の港の防波堤も写真に収め、もちろんいろんな角度から、力強く、そして優しく立っていてくれた灯台の姿を撮り、ここを愛していただいている地元のみなさんにも感謝しつつ駐車場に戻った。

11年前、灯台周辺の花畑を手入れしに来られた老婆が、当時50歳少しの自分を「お兄さん」と言ってくれて、しばし地元の話を聞かせていただいた。数分間の会話だったが、とても丁寧に優しく話していただいた。そんな何故か甘酸っぱく感じる思い出を蘇らせながら灯台を後にして、岬の北西、北上川の下流に向かった。2023826oosusaki02

北上川下流は、津波の大きな被害を受けていて、大川小学校もこの地にあった。今はその変わってしまった姿を残し資料館となっており、多くの方が訪ねていた。見上げると学校の奥には背の高い山が、すぐそこにある。あの山のもう少し高いところに・・・と考えずにはいられなかった。そして資料館では涙が止まらなかった。

あの2年前の夏、しっかりと記憶に残っている。たしかにこの道を走った。町並みがあった。町並みを通り抜け、北上川にかかる橋を渡って北に向かい、更に多くの灯台と出会い思い出を作った。今回、町並みはまったくなく、整地され広い資料館の駐車場となっていた。14年前と同じように暑い夏の日。変わらず立っていてくれた大須埼灯台の姿を思い浮かべ、この地に心からのエールを送りたいと思った。

 

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2019年8月24日 (土)

尻屋埼灯台(再訪)

Botantoudai_2_20190824175601随分しばらくぶりの更新です。灯台巡りは現在も続いているのですが、なかなか昔のように自由がきかなくなり、年間訪ねられる回数も減っていますが、今後も新たな灯台の記事はアップしていきますので、よろしくお願いいたします。

さて、そんな中、今回は青森県下北半島の最東北端の尻屋埼灯台をまとめます。既に2007年に記事にしており、今回は再訪です。機会があればもう一度訪ねたいと思っている灯台が十数基ありますが、尻屋埼灯台はその上位で、今回その機会を持てたことは非常に幸運でした。更に今回訪ねてみると、なんと上れる灯台に2018年から変わっていました。と言うことで、もう一度記事にして紹介します。Shiriyasaki201908

 

尻屋埼がある下北半島は、青森観光でも訪ねる人は決して多くないと思います。今回青森県を、下北半島だけでなく、津軽地方、八甲田方面、三沢八戸方面も巡った旅であっただけに、そう感じました。下北半島での観光地も限られているからでしょうが、行く先々で同じ人に何度も会いました。

 

そんな中で尻屋埼を訪ねたのは、全くの偶然なのですが、前回と同じ時間帯でした。同じように夏の青空でしたが、いくつか前回と異なっていました。そのひとつが風です。今回はほとんど風が吹いてなかったのですが、前回は海の音しか聞こえない静寂の中で風が強かったため、耳元を流れていく風の音が異様に大きく感じたことを覚えていました。と同時に、前回は風に乗って漂う寒Shiriyasaki201911 立馬の糞臭がかなり気になりましたが、今回はほとんど気にならなかったと言うのが前回との違いです。

そして何よりも大きな違いは、灯台の上に人がいるじゃありませんか!!前回と同じように、灯台に近づきながらシャッターを切っていると、ファインダーの中に燈塔の上部のドアが開いていて、人がいるのがわかりました。足早に近づいて敷地内に入ると、寄付といった形で入場料を払う受付が出来ていました。思わず係の女性に『いつから上れるようになったのですか?』と尋ねると、『昨年からですよ~』と教えてくれた。前回訪問したときは下から眺めて、その美しい姿に感動していたのですが、今回は上れると知り、早速らせん階段を上って燈塔を上ることにしました。Shiriyasaki201906

 

Shiriyasaki201905

私が上ったときには二人みえたのですが、すぐに降りられ、しばらくの間一人で上からの景色を楽しむことが出来ました。ぐるっと一周見渡しながら回ってカメラに景観を収めたのですが、風が本当に穏やかで、波の音がかすかに聞こえてきます。気分的には夕方前と思っていたのですが、燈塔の影が海面に映る姿はそれほど伸びておらずに、まだ陽が十分に高いことを感じていました。

 

ここで書くことではないかもしれませんが、燈塔に上って、太平洋を眺めていると考えていました。前回2007年にここ尻屋Shiriyasaki201903 埼はじめ青森の灯台を、そしてその後2回にわたって宮城、福島、茨城と太平洋側の灯台を訪ね終えた翌年の2011年に、東日本震災があったのです。その時、ここ尻屋埼はどんな状況だったのだろう・・・と

 

前回訪ねてから、12年の歳月が流れていました。自分の中ではついこの間に来た・・・と言う感覚だっただけに、改めて年月を考えたとき、驚いてしまいました。自分が歳をとったということではなく、尻屋埼灯台が、あのときと同じくここに立ち、この景観を作っていることにです。当然のことですが、私にはそれが嬉しく感じました。あのとき訪ねて感じたいくつかの感動を思い出すことが出来たのです。ただし、その感動こそが旅愁だったとすれば、今回味わった感動はそれとは異なります。旅愁は、初めて、一人で、若いときに味わえるものだと、その昔国語の授業で教わった記憶がありますが、そうなんだと思いました。しかし、だからこそ異なった感動が湧き上がってきた気がし、それShiriyasaki201909が年月を経たことによってもたらされたものであるなら、この世界を生きている自分の存在を改めて意識させられていました。

尻屋埼の写真に付きものの、寒立馬たち。前回も灯台の近くにはいてくれず、灯台の写真に一緒に写ってくれませんでしたが、今回も南の方に集まっていて、灯台の写真には一緒に入ってくれませんでした。この寒立馬の数頭は、以前訪ねたときにもいたと思うのですが、『今回も一緒に写ってくれないんだ~』と愚痴ったときに、こちらに目線を向けた馬がそうだったのでしょうか?

 

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2016年9月29日 (木)

鼠ヶ関灯台(山形県)

Botantoudai_2今回紹介するのは、山形県鶴岡市の西南に位置する鼠ヶ関の灯台である。新潟県との県境に近いこの地は、源義経が兄頼朝の追討を逃れ日本海を海路で平泉に向かうときに上陸した地として有名だ。と書いたが、そんなことは全く知らずにこの地に着いたのであった・・・。

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着いたのは午後3時頃。本当に蒸し暑い気温34度。鼠ヶ関はマリンパークもあり、駐車場周辺には海産物を販売する店もあるが、周辺の雰囲気は観光地ではなく漁港である。カメラリュックを背負って車を離れると、すぐに流れ落ちる汗を背中に感じた。埼に向かう手前に神社が有り、そこに義経の石碑が建っていた。それを読み終え、この地を昔から知っていた気分になって灯台を目指した。神社の右側が平坦路、左側が岩の間を通る道となって灯台に続いている。左側の足下の悪い方から向かうと、ちょうど太陽の方向に灯台と鳥居が見えてきた。弁天島(何処にでもある名前であるが)と地図上に記載されており、神社を含め境内なのだろう。更に鳥居には「金刀比羅神社」と聞いた名前が記されていた。正面に灯台、そして太陽が照るこの構図は、モノクロのイメージである。逆光の太陽が眩しく、白いはずの灯台も岩肌も波すらも黒く見えた。灯台の前まで進むと、水平線も見えて景観は良いはずなのだが、日射しに向かう視野の中では、何もかもが眩しく、青空さえも光ににじんで見えた。帰りは神社の右手につながる道を進んだ。灯台と周囲の岩肌、そして海面が良い構図となるが、やはりこの時間は全てか光に溶けてしまいモノクロのイメージでしか見えなかった。

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山形県の海岸線では、どこからも夕日が素晴らしいと案内されている。ただ西に海があるからなのだろうが、この鼠ヶ関は、岩で盛り上がった埼の上に立つ灯台であり、少し角度を付けた構図で、水平線に消える夕日と共に撮影すれば、茜色のお気に入りの写真が狙えそうである。しかしこの日は他に予定があり、その時間まで待つことも無く灯台を後にすることにした。神社の右側につながる道を戻りつつ、何度も灯台の立つ埼を振り返っては、何枚もモノクロのイメージの写真を撮った。しかし、どの構図でも、確かに夕日は似合いそうであった。

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神社まで戻る頃には、カメラリュックとで挟まれていた背中が汗で気持ち悪い。一度神社の境内に立つ義経の石碑の前でリュックを下ろしてシャツと背中の間に風を通して涼んだ。ふとこの地に上陸した義経を思った。そんなことも知らずに、ここに来たわけであるが、これまで義経を逃避行のイメージで考えたことは無い。どちらかと言えば武勇伝としてのヒーローである。改めて想いを巡らせ境内を歩いている間に少し汗も落ち着いた。それが理由ではないが、ふと思い立って、さい銭を握って、神社に立ち寄りお参りをしてから車に向かった。

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ちなみに、この日私は、庄内空港に近い湯野浜温泉の旅館から、アワビの踊り焼きを食しながら、のんびり日本海に沈む夕日を味わったのである。

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2016年9月 4日 (日)

波渡埼灯台(山形県)

Botantoudai_2ようやく灯台巡りに出かける時間を作ることが出来た。2016年の夏、これまで同様、お盆に仕事をして、その後休みを取って、山形県の灯台を陸路で目指したのである。山形県

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は日本海に、主に酒田市と鶴岡市で面してはいるが、県の多くは内陸に広がっており、到着した山形駅は、むしろ大洋側である仙台に近い。そこから磐梯朝日国立公園の月山を越えるルートでレンタカーで日本海側に進んだ。と言うかこのルート以外に西に向かう道は無いとも言える。一部を除き高速道路でつながってはいるが、ほとんどが対面通行。景色は楽しめたが、山形市や日本海沿いの坂田市や鶴岡市と交通の便が良いとは決して言えそうもないことは感じ取れた。

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日本海側に出て、最初に向かったのが今回紹介する波渡埼灯台である。日本海東北道を利用したため、少し南に下ってから、7号線で北に登ると、ちょうどカーブの正面に灯台が見えてきた。灯台の前には休憩や景観を楽しむための駐車スペースがあって、ありがたかった。

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見晴らしの良い高台の埼である。海原に目を向けると、まず沖の岩礁に立つ標識灯が飛び込んできた。水平線も見える晴天であるのに、先に標識灯に目が行くのが、灯台巡りをしている者の常かもしれないな・・・などと考えながら灯台に近づいた。灯台は、よく見る点滅式で、昭和30年点灯と私より年上である。夏の雲がかかる青空と碧い海を背景に白い灯台は良く映える。私にとっては、よく見る灯台ではあるが、しばらくぶりの灯台巡りがそう思わせていたのかもしれない。しかし仮に灯台に興味が無くて訪ねていたとしても、これと同じアングルで写真を撮ったはずだと確信できた(写真右下)。

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数年前に秋田県を北から南下して山形に入り県境の羽後三崎灯台を巡っている。あの時も暑かったが、今年はとにかく不快指数が高い。とは言っても私が東北地方の灯台を巡るときはいつも晴天である。少なくとも私は勝手に晴れ男と信じはいたが、出発直前まで曇予報で、南には台風の存在、そして今年は北の天気が荒れて

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いたことから考えると、晴れに感謝せずにはいられなかった。久しぶりに灯台巡りに戻れたことに感謝しつつ、そんなことを考えていたら感傷的になっていた自分に気づいて、不思議に懐かしかった。

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2013年4月 4日 (木)

チコギ埼灯台(秋田県)

Botantoudai最近灯台巡りに出かける機会が持てず、そのためにブログの更新も遅れてしまいまChikogichizu1した。およそ一ヶ月ぶりの更新となりますが、まだまだ続けていきますので、少しでも灯台に興味がある方は、よろしくお願いいたします。今回は青森県との県境近くに立つ秋田県のチコギ埼灯台を紹介します(地図右上)。

さて、カタカナで表記された地名があると、どうしてもその由来を考えてしまう。以Chikogi1愛媛県のカヤトマリ鼻灯台でも同様のことを書いたが、単に漢字では煩雑なために、カタカナとしたのかもしれないし、なにか由来があるのかもしれない。いずれにしても、訪れたときに現地の方に尋ねられなければ、戻ってからの答え探しは難しい。今回のチコギ埼も、訪ねる前から由来が気になっていたが、日没前のチコギ埼には、誰もおらず尋ねることもできず、結局戻ってからもわからなかった。もしご存知の方がみえたらお教え願いたい。Chikogi2

この日巡る最後の灯台であるチコギ埼に到着したのは5時頃だった。真夏と言うこともあり、まだ夕暮れには時間があり、昼の日射しであった。広い駐車場が、木々で見晴らしを遮られれた場所にあったが、そのまま木々の間から海側に通じるChikogi3道に車を進めてみた。すると正面に灯台の立つ草むらの平地が、広がっており、何とも開放的なその雰囲気にすっかり魅了されてしまった(写真左上)。写真撮影の邪魔にならないように、遠くに車を止めてその雰囲気を楽しんだ。灯台の右横から見上げると、草木の緑、空と海の青、そして灯台の白のコントラストが素晴らしい。これまで何度となくお目にかかった三色のコントラストであるが、いつでも新たな感動を味わわせてくれる(写真右2番目)。左側に回り太陽の光を正面に感じてChikogi4も、その感動は同じであった(写真左中)。何周回っただろうか?灯台を見上げながら広い埼の草むらをぐるぐると歩き回っていた。

ようやく陽の光が朱に染まり始め、もう一度カメラを向けてぐるぐると歩き回った(写真右3番目)。残念ながら西の水平線には雲がかかっており、水平線に沈む太陽Chikogi5を背景の写真は難しそうであった(写真左下)。しかし、日没が見られなくても、既に十分満足していた。頭上には雲の無い青空。この夏空の下、夏色を与えてくれた大戸瀬埼灯台、少年の心に戻してくれた鳥居埼灯台、寂しさに似た旅愁を与えてくれた艫作埼灯台。本当に思い出深い灯台巡りの一日だった。

白神山からつながる、チコギ埼。高台の埼から見下ろす日本海。私はすっかりこの地の虜Chikogi6になってしまった。それにしても、周辺に居住区が無いためなのかもしれないが、本当に誰も居ない。この日の宿泊地は能代で、明日は早朝から秋田県の一番南(実際には山形県にまで踏み込んだのであるが)まで移動して、そこから北上して灯台を巡り、最後に一番楽しみにしていた入道埼を訪ねる。そんな予定までぼんやりと考えながら、灯台の後ろ姿を眺め続けていた(写真右下)。

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2013年2月11日 (月)

鳥居埼灯台(青森県)

Botantoudai今回は、真冬の季節に、夏らしい灯台をあえて紹介して、暑かった昨年の夏を思Toriisaki2_3い出したい。"青森県深浦町かそせ"の漁港の前に弁天島があり、そこに立つ鳥居埼灯台(写真右上)である。既に紹介した千畳敷で有名な大戸瀬埼灯台からもう少し南に海岸線に沿って101号線を進む(地図左上:Mapfanより)と、『イカ焼Toriisakichizu1き村』と言う名の、道の駅があり(写真右2番目)、その奥に鳥居埼灯台がある。それにしても弁天島と言う名前の島は日本に幾つあるのだろう?と考えたくなるくらいよく耳にする。

誰にでも断片的な夏の記憶があると思う。私にも夏の断片的な記憶はたくさんある。しかしToriisaki7山育ちの私にとって、多くは蝉の声が入っている。漁港の先端に立ち、夏空と海が後方に広がる弁天島の上に立つ鳥居埼灯台を目の当たりにしたとき、私の中にその一瞬が確実に刻まれた。島に架かる簡易な鉄製の橋を渡ってこれから灯Toriisaki1台に会いに行くと言う気持ちがそれを盛り上げたとも言えるが、蝉の声は聞こえていなかった。(写真左2番目)。

島に渡ると、急な階段の上に灯台が見える(写真右3番目)。階段近くには何という名前だろう?アザミに似た紫の花が咲いている。一気に駆け上り島の上に立つと、夏の熱い海風を受けて、更に夏が私の中にしみこんできた。島には岩肌Toriisaki6も緑の部分もあり、まるで秘密基地のようである。島の奥側(灯台の反対側)に立つと、灯台の後方に白神山地に続く枡形山などがくっきりと見えるが、左手を見ても、津軽半島方面は手前の山で遮られて見えない(写真左3番目)。それにしても本当に澄み切った夏空である。島の反対側には危険な岸壁の箇所もあり、島から少し離れた海上には、白波が立っているところもToriisaki5あり、よく見ると海面部の岩礁であった(写真左下)。もう一度灯台を振り返って見てみると、ドアだと思ったガラス部分には、ちゃんと照射灯が設置されており、その岩礁を照らすようになっていた。

灯台の初灯は昭和41年と比較的新しいが、新しいと言うよりユニークな形状であり色である。赤と白の灯台は、同じ青森県の高野埼灯台もそうであるが、お城の窓のように空いたToriisaki4模様の囲い部分が白く、高野埼灯台とは全くイメージが異なる。ツートンの灯台は降雪時のためかもしれないが、夏のその姿は、より強い印象を与えてくれる。Toriisaki3

夏を全身に感じながら、もう一度島の上を行けるところまで移動して、いろんな角度から灯台を見てみた。おもちゃの様に見える一面もあれば、精悍な顔つきも見せてくれる。岩肌が大きく写り込み、後方の山々が写り込んだ写真は、全身で夏を感じながら訪れた鳥居埼灯台を表現しているようで、一番のお気に入り写真となったのである(写真左下)。

Toriisaki2_2

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2012年12月 9日 (日)

入道埼灯台(秋田県)

Botantoudai今回紹介する灯台は、秋田県の男鹿半島先端(地図左上:Mapfanより)に立Nyuudousaki06つ、入道埼灯台(写真右上)である。男鹿半島全体が観光地とも言える中、先端の高台平地に立つ白と黒の灯台は男性的であり、更に周辺の景観と重なり、雄壮と言ったイメージを与えてくれる。入道埼から南に続く男鹿半島の西側の景観は、日本列島の誕生を物語るような壮大な景観であり、入道埼はそんな景観を楽しめる旅の起点や終点として存在している。今回は夏の訪問であったが、四季それぞれに訪れて景観を味わいたくなる。

南から男鹿半島に入り、塩瀬埼灯台を訪ねた後、あえて男鹿半島全体を回りたくて、一度101号線に戻って半島の付け部分を北上して、男鹿半島の北側に出てから西Nyuudousaki10chizuに走って入道埼を訪ねた(地図右二番目:Mapfanより)。北側の景観は、これまでにも幾度となく目にした普通の海岸線であった。それだけに入道埼を起点として南下したときの景観に感銘を受けたのかもしれない。Nyuudousaki11chizu

一般的には男鹿半島の南西を進んで景観を楽しんでから入道埼に到着する人が多く、広い駐車場の前には、みやげ物屋や飲食店が並んでいる。まだ昼食を摂っていなかった自分は、空腹を抑えつつも、まずは灯台に向かった。なかなか人の姿が切れるシャッターチャンスは巡ってこない中、場所を変え、構図を変えつつ灯Nyuudousaki01台に近づいた(写真左二番目)。入道埼灯台は、日本の登れる灯台の中では最北端にあたる。早速入場券を購入して灯台に登ることにしたのであるが、観光客が多い割に、登りに来る人は少なかった。どうやら北緯40度のモニュメント方向に人が集まっているようであり、実際そこから海や岩礁を眺め、記念写真を撮っている人が多かった(写真右三番目)。

らせん階段を登り灯台の上から景観を眺めると、北西の沖合岩礁(水島)に表示柱が立っNyuudousaki08ているのが見え(写真左三番目)、少し南に目を移すと、観光船が出る門前の港まで続いている猛々しい岩礁が見えている。それに対して東側は、今走ってきたばかりの良く目にする海沿いの景観ではあるが、遠くに奥羽山脈の一角が見えた。もっと澄んでいたら左手には白神山地も見えるはずであり、昨日そのふもとを感動しきりに車を進めていた自分を思い出した。晴天と自然の景観に癒やされているのだと感じずにはいられなかった(写真右四番目)。

Nyuudousaki05幸いなことに私が登っている間、誰一人灯台を登って来る人はおらず、のんびりと景観を楽しみ、投光器などを見学することが出来た。登れる灯台は観光地に立つことが多く(だから開放しているのであろうが)、登っても、あまり景観を楽しめなかったり、人の姿が多すぎてお気に入りの写真が撮れなかったりしていて、登れる灯台への印象は良いものではなかったのであるが、今回の訪問でそのNyuudousaki04イメージも改善したようである。

入道埼灯台は明治31年に設置され、現在の灯台は昭和26年に改築されたものであるが、それでも歴史は古い。沖合に浮かぶ水島を照らす照射灯も加わり、海上安全上重要な働きをしているのであるが、それ以上に、入道埼の景観上、誰もが認める重要なアクセントになっている。いつも思うことであるが、本当に灯台だけは、人工産物にして、景観に溶け込むことを許されているように感じる。だからこそ、私のように『灯Nyuudousaki09台の立つ風景』を追い求める者がいるのだろう(写真左四番目)。

入道埼の、灯台の立つ風景を堪能した後に、立ち並ぶみやげ物屋の間にあった食堂で海鮮丼を味わった。空腹を満たした後に、ゆっくりと南に進んで、私の未熟な写真技術では捉えきれない自然が作り出す雄壮な景観を味わってから、宿泊地である秋田市内に向かったのである。

珍しく予告となるが、次回は『登れる灯台』をまとめてみたいと思っている。

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2012年11月26日 (月)

金浦漁港灯台(秋田県)

Botantoudai今回紹介する灯台は、秋田県の南にある、にかも市に立つ金浦漁港灯台(写真右Kanaurakou02上)である。山形県の羽後三埼灯台を以前に紹介したが、ここから海岸線に沿って秋田県を北上し、最初の灯台である(地図左上:国土地理院より)。ちなみに、何度か書いてきたが、私のブログで紹介する灯台は、原則として自然の岩や土の上に設置された灯台を取り上げており、堤防などの人工に設置された灯台は紹介していない。

Kanaurakouchizu1と偉そうに書いたが、ここ金浦漁港灯台では、直接渡る橋があるにも関わらず、対岸に出てしまい、遠景からの撮影となってしまい、訪ねたことにはならないかもしれない。それほど暑さは感じない夏の日であったが、早朝から移動して羽後三埼灯台を訪ね、少し汗をかいた状態で、車に乗り込み汗が乾いた頃に漁港に着いた。灯台の立つ島の対岸に着いてしまったことに気づいたが、ナビを責めるわけにもいかず、望遠での撮影となった。

複雑な防波堤の作りのために(写真右下)、外洋が背景に写らない。本当に港に戻るための標識的なKanaurakou01役割なのだろうと考えつつも、灯台のすぐ隣にある祠に目が行った。何度か紹介してきたが、灯台の立つ近くに祠や神社があることは多い。八百万の神様以上に、灯台が人々の安全のために役立っているのだと改めて感じた(写真左下)。

Kanaurakou03〇〇漁港と名がついた灯台を記事にするのは珍しい。一般に漁港では、灯台や標識灯として堤防や防波堤に立つことが多く、私が取り上げることが少ないからである。しかし、漁港として人々の生活を支えてきた歴史は古いはずであり、どんな漁港の灯台にも多くの歴史があり、海に出て行く人たちを守り続けているわけである。祠や神社が近くに築かれるのは、当たり前かもしれない・・・と思いつつも、灯台には近づく事なく次の目的地に向かった。

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2012年10月29日 (月)

艫作埼灯台(へなしさき)(青森県)

Botantoudai今回紹介する灯台は艫作埼灯台(写真右上)である。読み方がわかる人は少ないとHenashisaki2思い、『へなしさき』と仮名をふらせていただいた。実は、私は何度も読み方を忘れてしまい、訪ねる時にも忘れていて、灯台への道を人に尋ねることがあったら、どうしよう?などと考えていたのである。幸い迷うことも無くこの灯台の入り口に到着した(写真左上)。この灯台を通り過ぎて先進むと、不老不死温泉があり、更にこの周Henashisaki7辺は黄金崎と呼ばれている(地図右二番目:Mapfanより)、何か神秘的でもあり、ありがたい場所のようにも感じつつ、入り口近くの路肩に車を止めた。

2012年の夏に、青森から車で日本海側に出て、徐々に南下して灯台を巡ったのであるが、Henashisaki8chizu既に紹介した大戸瀬埼灯台の次に立ち寄ったのが、この艫作埼である。2007年に龍飛埼から陸奥湾に沿って下北半島、そして太平洋側に出て、八戸まで巡っHenashisaki1ていたため、ほぼ青森県の灯台を巡った気になっていた。今回の訪問で、本当に青森県の灯台を制覇したことになるわけであるが、今回巡った日本海側の灯台は、2007年に巡った灯台とは異なった印象を私に与えてくれた。Henashisaki4_2

灯台につながる歩道も整備されているが、夏草が道を隠すように覆い茂っている。そんな中進むと、正面に立派な灯台が立っていた。訪ねたのは、午後3時頃だったが、まだ日も高いのに、夕暮れ時に感じる様な、何かもの寂しい感覚Henashisaki3を、その姿は私に抱かせた。正面の門越しに灯台を見ると、見た目には大きく立派である(写真左二番目)。同じ青森県で、立派な灯台と感じた鮫角灯台よりも少し背も高く23.7mある。

門は鍵こそかかっていないが、頑丈な門。もちろん開けて敷地内に入ったのであるが、ゆったりとした敷地にそびえる灯台が、どの方角からも魅力的に見える。太陽を正面に灯台Henashisaki6を見ると(写真右三番目)、後方に日本海が見える。既に日本海を意識してしまった私には、このアングルすらもの寂しく感じられた。太陽を背に灯台を見上げると、後方には真っ青な夏空が広がり、少しだけ気分も変わった(写真左三番目)。しかし、もう一度ベストアングルと思われる、門に近い所から灯台の立つ風景を眺めると、やはり落ち着いていると言うか、もの寂しいHenashisaki5印象を与えてくる(写真右下)。少し姿勢を低くして灯台を眺めると、灯台の立派さが引き立つのだが、心に浮かんだ、そのイメージは消えることはなかった(写真左下)。

この後、徐々に夕焼け色に変わっていく日本海の海岸線を移動して秋田県に向かったことも原因の一つかもしれないが、読み方すら知らずに訪ねた艫作埼灯台は、立派さとか大きさとかよりも、どことなく感じるもの寂しさが、私の中では印象に残った。

 

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