龍舞埼灯台(宮城県)
2009年、東日本大震災の二年前に宮城県気仙沼の灯台を巡ったときに、立ち寄ることが出来なかった龍舞埼灯台に、2023年夏に訪ねることが出来た。震災後の復興が進み、以前は船でしか渡れなかった大島に橋が架かったことが今回の訪問を可能にしてくれていた。二つ前の記事『岩井埼灯台(震災前に訪ねた記憶とともに)』で対岸に見える大島に立つ灯台として紹介したのが、今回紹介する龍舞埼灯台である。
もし2009年に船に乗って訪ねていれば、龍舞と言う地名などで、きっとこのブログでうるさくまとめていたに違いないが、今回は震災の爪痕や復興を見続けている旅の途中であり、灯台やその地名の由来よりも震災前後での姿や現状を淡々と感じながら 巡った気がする。復興後に出来た橋を渡って、しかも南北につながる復興道路から直通で渡れることもあり、予想以上に観光客は多かった。10台程の埼に続く駐車場は、ほぼ満車で、ちょうど出庫した車の後に駐めた。それにしても暑い。今年の夏は・・・と毎年繰り返しているがとにかく暑かった。
埼の先端にある灯台まで、少しアップダウンの道を歩く。周囲の景観に違和感は無いが、海が見え始め埼の端に出ると明らかに松の木が不自然である。枯れている木々がとにかく多い。おかげでとは言いたくないが、灯台の全貌が少し離れたところからでも確認でき、海を背景に写真を撮ることが出来た。これまでの灯台巡りの経験上、木々に邪魔され、海を背景に灯台の写真を撮るのが、どれだけ叶わなかったことか。
右手に目を向けると、先ほど訪ねて、この埼の変わった姿を見つめた岩井崎灯台の姿が確認できる。そしてそのまま右後方に目を向けると気仙沼の中心部につながる。新しい端や道、そして防波堤がずっと海岸線を包んでいることがよくわかる。目線 を正面に向けると、夏の青空を飲み込むような紺碧の海原が広がっていた。埼周辺には岩礁もあり観光名所となっている。しかし、2009年に訪ねていればクロマツが取り囲む埼や周囲の岩礁、奇岩なども楽しめたかもしれないが、今回の旅はやはり震災後の復興に目が行ってしまっていた。
旅を終え、戻ってからサイトで龍舞を調べると、灯台の写真が載っている。それが震災後に撮られたものであることや以前との景観の違いが私にはわかった。それがささやかであるが、この地に想いをはせると言う、ただ一つ私が出来た事なのかもしれない。
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