カテゴリー「関東地方の灯台」の記事

2013年7月 7日 (日)

江ノ島灯台(神奈川県)

Botantoudai今回は、江ノ島灯台を紹介する。と言っても灯台としてより観光地として有名であるEnoshima1江ノ島展望塔の紹介になるのかもしれない。語らずとも多くの人が知っている灯台であるが、不思議なことに、登れる灯台としては、どの灯台のサイトにもあげられておらず、私も紹介していない。やはり灯台ではなく展望塔であり、民間灯台として認識されているからであろう。

雨はあがっていたが、梅雨に入った6月に訪ねた。毎年のことであるが、今年も職員旅行中の一日、私は自由行動をさせてもらい、鎌倉などのあじさいの名所を訪ねた後に、江ノ電にEnoshima3乗り継いで訪れた。梅雨の時期で平日であったが、さすが関東圏の観光地で、多くの人が訪ねていた。鎌倉では小雨だったが、途中から雨があがり薄日がさす蒸し暑い中、江ノ島に向かった。遠い昔に訪ねた記憶はあるが、こんなに歩いたっけ?と思う程度に距離はある。と言ってもいつもの灯台巡りに比べたら近いものである。特に両サイドに連なるみやげ物屋や海産物店、食事処など見て歩くと時間は感じなかった。しかし、江ノ島に渡ってからはさすがに登りである。いつもの灯台巡りも当然登りなのであるが、観光地とわかっているだけに、いつもより登りは遠く感じた気がする。

展望塔のある、つまり灯台のある塔に向かうためには入園料が必要となる。更に展望塔にEnoshima4上がるとなると別に料金がかかる。灯台巡りでお金を払うという行為は滅多に無い。今年は年明け早々に訪ねた潮岬灯台で駐車場代と入場料を払ったが、それでも料金が必要と言う感覚は、何となく受け入れがたい。とは言え、ここまで来たのであるから、どちらも支払って展望塔の最上部から灯台を見上げてみた。残念ながら照射器は見えなかった。前述に料金の事で愚痴っぽく書いてしまったが、確かにここからの眺めは素晴らしい。梅雨空の下ではあるが、湘南近辺を見渡すことができ、晴天であればその価値は更に高まるはずであEnoshima2る。

この日は職員と共に夕食の予定があったが、まだ時間も余裕であり、しばらくせっかく入った庭園を散策したりして時間を過ごした。約1時間ほどの滞在で、去ることにしたが、いつもの灯台から立ち去るときのような感情ではなく、後ろを何度も振り返るようなことはなかった。

江ノ島灯台と言う名前より、江ノ島、展望塔、灯台が付いている、と言ったイメージであり、やはり観光地である。それでも歴史は私よりも古く、既にこの展望塔も新しくされた物であEnoshima5る。自分はその姿を写真でしか見ていないが、旧展望塔灯台の姿の方が、観光地っぽい感じがした。江ノ島の上で見かけた、ブラジル原産の名前を忘れたが、赤い花が咲く木が何故か印象に残り、しばらくは江ノ島と聞くとこの木を思い出しそうである。

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2009年3月15日 (日)

犬吠埼灯台(千葉県)

Botantoudai少し前のブログが、犬吠埼灯台を紹介するつもりで準備を進めている間に、いつしInubousaki1長崎鼻一ノ島照射灯の紹介に変わってしまった。そこで今回は迷わずに犬吠埼 灯台をまとめることにした。とは言っても、明治7年にプラントンによって建てられた灯台としてだけでなく、その姿や立地条件なども重なり観光地としてもあまりに有名である犬吠埼灯台(写真右上)。今更語る必要などないのかもしれない(だから前回避けたのかも・・・)。

個人的な話であるが、私は銚子と言う地名から高校野球を連想する。間違いなく私の記憶に高校野球で活躍した『銚子』と言う地名が残っているからである。2008年夏に福島・茨城と海岸線に沿って南下しながら灯台巡りを続けている私が、ブルーの道路標識に白地で『銚子』と言う文字を見つけたこの日、北京オリンピックで星野ジャパンが韓国との大事な一戦を迎えるまさにその日だっInubousakichizu6た。ラジオからは、どの局も関連した話題を 報じており、私の気分は午後の一戦に向けて高鳴っていた。そんな状況で、犬吠埼灯台に到着したのである。

前日までの雨雲も消え、夏空が戻っているが風が強く、暑さはあまり感じない。平日と言うこともあり灯台周辺は混んではいなかったが、私はInubousaki3正面の土産屋さんが並ぶ駐車場には入らず、少し離れたところに車を止めて、北側の海岸(地図左上:国土地理院より)からカメラを構えつつ灯台に近づくことにした(写真右中)。家族連れや年輩の女性のグ ループ、そして若いカップルが海岸や灯台下の歩道で楽しんでいる。改めて海岸線から海に突き出た岬、そ してその上にそびえる白亜の勇壮な灯台を眺めると、誰もが灯台として思い描く姿なのだと 感じた。

Inubousaki2岬の階段を登り、先に灯台周囲を散策する道に入って周囲から灯台を見上げながら回った。海の色が昨日までの雨のためか、藍色ではなく緑がかって少し残念だが、青空は雲は多いが抜けるようで気持ちよかった(写真左中)。

灯台敷地内に入ると、正面駐車場から灯台を訪ねる人も加わり、かなりの人で賑わってい た。犬吠埼だけでなく登れる灯台は人気がある。いや観光地として人気があるからこそ開放しているのだろう。灯台や資料館周辺以外に人の姿は少なく、のんびりと各施設や設置品を見ながら敷地内を巡り、いろんな角度から灯台の写真を撮った。照射Inubousaki4_2灯の扉が半分くらい閉まっていたのは残念ではあったが、それでも勇壮な姿を十分に味わえる(写真右下)。灯台を正面にして待つこと10分くらいで、周辺に人がいない写真も撮ることができた(写真右上)。その後灯台に登り、長崎鼻方面など景色も楽しんだ。

2時間ほど灯台にいたのだが、次の予定もあり、また北京の野球も気になり始めて車に戻ることにInubousaki5した。土産屋さんの並ぶ正面駐車場の通りを歩きながら振り返ると、やはりそこにも勇壮な姿の灯台が織り成す景色が広がっている。正面からこの景色を見てやって来れば、まずは灯台に登ってみたくもなるはずである(写真左下)。

車に戻ってラジオの野球中継を聞きながら飯岡灯台、太東崎灯台方面へと車を進めたのであるが、試合結果は皆さんご存知の通りであった。灯台を巡る足取りにも若干の影響があったような記憶がある。明日早朝にWBC対キューバ戦をひかえた今日、日本の勝利を願いながらブログをまとめた。

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2009年2月20日 (金)

観音崎灯台(神奈川県)

Botantoudai観音崎灯台は、我が国初の近代洋式灯台としてあまりにも有名であるが、首都圏に住んでいない私にとって、その存在はけっして特別ではなかった。むしろ地元伊Kannonsaki6勢湾への侵入口となる伊良湖岬や神島灯台の方が、その重要性を認識できて、特別な印象を抱いていた。しかし、今回都内から足を伸ばして東京湾の入り口となる三浦半島を訪ね、幕末からの日本の玄関としての観音崎を意識すると、やはり特別な想いが強くこみ上げてきた。今回は、そんな灯台好きには外せることの出来ない観音崎灯台(写真右上)を、少し長くなるがまとめてみることにする。

Kannonsakichizu8 2008年秋の早朝に都内を出発し、京急電車に飛び乗り北久里浜まで行き、そこでレンタカーを借りて、三浦半島の灯台4基を巡った。最初に訪ねたのが、観音崎である。何カ所か駐車場があるが、どこが灯台に近いのか下調べが不十分な状態で到着し、より南東にある駐車場に車を停めて(地図左上:MapFanより)、カメラリュックを背負って観音崎の散策を始めた。すがすがしい秋晴れで、気持ちよく海岸線を行くと、Kannonsaki1 ススキの穂が揺れ、秋の日差しが海上でキラキラと光る光景に早くも足を止めた(写真右二番目)。やがて砲台跡などが残る道に入り、史跡の案内にも目を配り、観音崎を味わいながら灯台を目指した。しばらく進むと、分岐点があり、観音崎灯台と言う名前も見えた。ところが、どうしてKannonsaki2 なのか、(△印が左上を向いていたためか・・:写真左二番目)私は左手の登り坂に入ってしまったのである。後で案内をよく見ると、70mとあり、普通は右手に進むはずである。しかしこの時は疑うこともなく進み続けてしまった。結構Kannonsaki3急な坂道もあり、それでも進み続けると、やがて海上交通センターに出る。しかし、この近辺に観音崎灯台の案内などないため、私は更にそのまま道を進んだ。やがて海上交通センターの塔が正面に見える(写真右三番目)坂道にさしかかり、ここまで来て初めて海から離れていることに気づいた。しかし今来た道を戻るのも悔しい。どうせなら観音崎を極めてやろうと考え、結局そのままぐるっと一周する形で、元歩いた道まで進み続け、案内表示の箇所まで行くと、今度は右手に進み、近くて遠かった観音崎灯台にようやく到着することができた。早朝に着いていたはずが、結局灯台の拝観時間ちょうどとなっていた。

Kannonsaki5 既に5~6名の観光客が灯台を見上げたり、受付のおばさんと話をしていた。私も歴史ある灯台の説明を読みながら敷地に足を踏み入れ、いろんな角度から灯台を見上げた。灯台の後方のスペースは狭く、なかなか海を入れての撮影は難しかしい(写真左三番目)。そんな私を見ていたのであろう、掃除をされているおばさんが、声をかけて来てくれた。咳き込まれることがしばしばあり、私は職業柄、咳と共に聞こえる喘鳴が気になった。おばさんは、これまでにプロのカメラマンが、どのポイントから灯台を撮影されたかなどを教えてくれ、最後に掃Kannonsaki4除の手を止めて、受付まで私を連れて行き、一枚の写真を見せた。おばさんは、その写真が一番気に入っているのだと話してくれた。それは、私が先ほど歩き回った崎の更に高く頂上に近 い所から灯台を見下ろして撮影された物であった。これを今から真似て撮るためには、山歩きだけでなく木登りも必要になりそうであり、同じ場所からの撮影はあきらめることにし、おばさんにお礼を述べて、限られた範囲で撮影を続けた。

灯台に登ると、秋空に輝く海原が広がり、左手には、先ほどさまよい歩いた海上交通センター方面の地形も確認できた。投光器(写真右下)も間近で見ることができる。右手を見ると、崎によって駐車場の方面の景色は遮られていた。『帰りは、この崎の海際を歩いて観Kannonsaki7 音埼を満喫して車に戻ろう』と考えてしまったことが、再び遠回りをすることにつながり、その結果予定以上に観音崎で過ごしてしまい、後で訪ねた剱埼灯台城ヶ島灯台、そして安房崎灯台で慌てることになるのだが、この時は、眩しく輝く海を見つめ素直にそう思った。

日本という自分が住む国にとって、歴史有るこの灯台は、やはり特別なものなのだと感じつつ、一生懸命に掃除を続けているおばさんに、もう一度挨拶をしてから灯台を後にした(写真左下)。

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2009年1月30日 (金)

長崎鼻一ノ島照射灯(千葉県)

Botantoudai2008年夏に福島・茨城・千葉の灯台を巡り、既に多くの灯台を記事として取り上げNagsakihanachizu5てきたが、有名な塩屋埼灯台や犬吠埼灯台をまだ記事にはしていなかった。そこで犬吠埼灯台の記事を準備すべく、アップする写真を選んでいたのだが、犬吠埼で撮った写真に写る長崎鼻を見ている間に気が変わり、今回は長崎鼻一ノ島照射灯を紹介することにした。

関東圏の灯台で、有名な犬吠埼灯台を訪問された人も多いはずである。観光Nagsakihanachizu6地としても確立している場所であり、いろんな年代の人がさまざまな目的で訪ねるに違いない。そして灯台に興味のある人なら西明浦を挟んで対岸に立つ、長崎鼻一ノ島照射灯の存在にも関心があるはずである(右上地図参照:国土地理院より)。犬吠埼からその姿は肉眼で確認できるが、その雰囲気は犬吠埼灯台周辺と異なり、点在した岩礁に囲まれて、静かに重要な役割を担って立っている。(左上 地図参照:国土地理院)拡大した地図からも、長崎鼻周辺は岩礁が多く危険であり、船舶航行には大切な照射灯であることがわかる。Nagsakihana1

この日、前日までの荒れた天気から青空も戻り、先に訪れた犬吠埼では、夏の日差しも感じた。と言っても風が強く暑さは感じなかった。犬吠埼灯台は、これまで訪ねた観光地化された灯台の中でも最も賑やかな部類に属していた。あまり観光地化された灯台に良い思い出がない私だが、この日は何事もなくゆっくりと灯台を味わえた。灯塔に登り、南の景色をNagsakihana4 眺めると、長崎鼻がはっきり見える(写真右中)。波はかなり荒れ ていたのだが、よく見ると、照射灯の立つ周辺の岩礁で白い波が目立ち、長崎鼻周辺を白い波が取り囲んでいるようである。この景観を見るだけでも、今から訪ねる長崎鼻に興味を抱いた。Nagsakihana2

  犬吠埼から長崎鼻まではすぐである。犬吠埼の灯台を長崎鼻から眺めると、前日までの荒 れた天気の影響で波が高いためなのか、より力強く勇壮に見えた(写真左中)。長崎鼻一ノ島照射灯を正面だけでなく、両側からも眺めると、先ほど犬吠埼から見えていたように周囲の岩礁で白い波がが立ち、岩礁が囲っていることがよくわかる。そのため照射灯近くの波は穏やかである(写真右下と左下)。

Nagsakihana3 ひとしきり周辺を散策して写真を撮った後に、ゆっくりと長崎鼻照射灯近くの堤防に腰を下ろして、犬吠埼を眺めた。その姿から犬吠埼灯台の人気が高いというか、観光地としても有名な理由が納得出来る。振り返って長崎鼻を見ると、岩礁に続く弧を描いた入り江の先に立つ照射灯が玄人好みの姿にも感じられた。犬吠埼と長崎鼻。私個人の勝手な意見だが、セットで味わうのがお得なような気がした。

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2009年1月19日 (月)

城ヶ島灯台(神奈川県)

Botantoudai今回は、2008年秋に訪ねた城ヶ島灯台(写真右上)を記事にする事にした。ちょう ど、この一年前の2007年に南房総の灯台を巡った時の感動から、2008年の秋には、東京湾を隔てJougashima3て対岸に当たる湘南の灯台を巡ろうと決めての訪問だった。南房総で巡った灯台は、どれも印象深かく、良い思い出が多いのだが、先日その中の館山港沖島灯台布良鼻灯台が役割を終えると、灯台巡りの先輩から教えてもらった。どちらの灯台も個人的にはお気に入りであり、少し寂しく感じ、私の中では南房総と関連が深い湘南の灯台を今回記事として選んだのである。

Jougashima6 城ヶ島灯台は、観光地としての城ヶ島の一画に立ち、安房埼灯台とは明らかに雰囲気が異なる。みやげ物屋が並ぶ通り(写真左上)を抜けて、右手に急な階段を上った丘に灯台があるのだが、私は観光地化された灯台に良い思い出が少ないためか、どこか緊張しつつ身構えながら階段を上った。登り切ると噴水まである整備されたエリアが広がり、その奥に灯台の照射塔の後ろ姿が見えた。近づくと、正面に城ヶ島灯台と記された看板と鉄製のゲートが(写真右中)ある。しかし、ほとんどの人がゲートより左手前にある階段を登り、海岸線を見ながら灯台まで行ける道を利用していて、正Jougashima1面ゲートから入る人は少ない。そう言う私も一度正面から灯台に近づいて写真を撮った後、再びゲートを出て左手の階段を上って海を見ながら灯台に近づいた。

この日、東から雲が広がり始め、後に訪ねた安房埼灯台では曇り空となったが、まだこの時は青空も残っており、白い灯塔が輝いて見える。ヨットの姿など海上Jougashima2に確認しつつ、左手に海を入れて何枚か写真を撮りながら、徐々に灯台に近づいた(写真左中)。秋と言うよりは夏の日ざしも少し感じさせるこの日、ここへ来るまでの三浦海岸の賑わい同様、海上には多くのマリンスポーツを楽しむ姿を見ることが出来た(写真右下)。

私が訪ねている間にも、多くの観光客が入れ替わりやって来たが、Jougashima4 灯台そのものに注意を向ける人は少なかった。野島埼灯台や観音埼灯台と異なり、城ヶ島そのものが観光地となっている違いなのかもしれない。

時間を気にしながら巡っていたのだが、あまりの空腹に安房埼灯台へ向かう前に、階段を降りた正面にある食堂で遅い昼食を取ることにした。店の写真を撮ってから店内に入り『ネギトロ丼』を注文すると、サービスですと言って『イカJougashima5 焼き』を出してくれ、その後お茶と言ってペットボトルの未開封のお茶をテーブルに置いていった。確かにイカ焼きは他のテーブルでも同じように出していたが、お茶には驚いた。私だけ特別な気がして、感謝の意味で店の名前の入った写真を載せさせていただいた(写真左下)。満足して安房埼へ向かったのだが、予定外の昼食のために、後で時間に追われることとなった。

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2009年1月 9日 (金)

飯岡灯台(千葉県)

Botantoudai 2009年最初の記事をどこにするか・・・などと悩むこともなく飯岡灯台(写真右上)Iioka1 を選んだ。2008年夏に福島県から南下して千葉県鴨川灯台までの灯台巡りの中で、最も感動した灯台と言っても過言ではないだろう。塩屋埼灯台や犬吠埼灯台など幾つかの有名な灯台も訪ねたのだが、飯岡灯台とは良い出逢いが出来た灯台であり、私の中では印象深い。

飯岡灯台は、屏風ヶ浦や刑部岬で有名な飯岡台地に立つ。初灯は昭和31年である。地形的(地図左上:MapFanより)には九十九里に続く平坦な海岸線であIiokachizu6 り(と言っても断崖であるが)、犬吠埼灯台の様な役割を担っている灯台でないことは推察される。しかし高さ50mの断崖が続く屏風ヶ浦の端で点灯される光は、海上を航行する船舶からは大切な道標であることも容易に推察される。

犬吠埼灯台や長崎鼻灯台を巡り、飯岡灯台を目指すと、明らかに飯岡台地に登っているこ とを感じさせる光景が広がる。そしてその終点とも言える刑部岬に立つ飯岡灯台周辺は公Iiokachizu5園として整備され、景観を楽しめる場所となっている(地図右中:国土地理院より)。犬吠埼周辺では、前日までの荒れた天気の影響で波も高く、青空とは言うもののどことなくすっきりしない天気だったのだが、それほど離れていないここ飯岡灯台では、高台のためか比較的海は穏やかに感じ、雲はあるものの、夏の日差しが戻って照りつけ、私には心ときめく訪問となった。

Iioka4私が訪ねたのは金曜日のお昼前であったが、駐車場には数台の車が止まり、観光客も数名いた。ちょうど灯台の横に三階建て(三階が展望となっている)の立派な展望所があり、観光 客はここから景観を堪能できる。私はまず灯台をゆっくりと眺めたくて、灯台の周りをグルグルと歩きながら(灯台その物は小さいのだが)、何枚か写真を撮った。ちょうど私の後に一人の男性が同じ様に歩きながら灯台をカメラに納めていた。どちらIioka3からともなく話をしたのだが、灯台と言うより岬を巡っている方だった。灯台巡りのネット上の 知人で、同じ様に岬や灯台を巡り、良い旅をいつもされて、素敵な写真を公開されている人を思い出して、しばらく話がはずんだ。

展望台に登ると刑部岬から眺める景観が存分に楽しめる。右手には九十九里につながる海岸線(写真左中)が広がり、左手には銚子方面につながる海が見える。ちょうど灯台の横に展望台があり、広がる海を背景に、刑部岬の高さをイメージしながら灯台を写真に納めることができた(写真右下)。

Iioka2 しばらく、展望台の二階と三階を行ったり来たりしつつ、東洋のドーバーと言われる飯岡台地の景観、そしてその一角に立つ飯岡灯台を味わいつつじっくりと眺めた。そのスケールに圧倒されつつ展望台から降りて、もう一度灯台を眺めると、気のせいか先ほどより灯台が少し大きく感じられた(写真左下)。

もうしばらく灯台を見上げ、波による浸食で作られた屏風ヶ浦全体を頭でイメージしてから、九十九里浜に続く道、そして既にまとめた太東埼灯台に想いをはせつつ飯岡灯台を後にすることにした。

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2008年12月21日 (日)

磯埼灯台(茨城県)

Botantoudai 前日の強風も治まりかけた頃に、茨城県大洗で夏の夜明けを迎えた。まず宿のすIsosaki3 ぐ側の海岸で、荒波に耐える磯浜灯台跡を訪ね、その後今回紹介する磯埼灯台(写真右上)に足を運んだ。上空は青空が広がり始めているが、東の空に昨日からの厚く黒い雲が残り、既に夜が明けているのに日差しが雲に吸収され、なんとなく薄暗く感じた(写真左上)。

Isosaki1 海岸に沿った道を進むと、緩やかなカーブを曲がる丘の上に灯台の姿が見えた。まだ薄暗いと感じていたが、夜も明けており、既に点灯していなかった。灯台に続く階段下が近くの食堂の駐車場となっていて、早朝と言うことで無断駐車をさせていただき階段を上った。灯台の立つ敷地は、見た目よりも狭く、更に海側は背丈以上の木が連なっていて海は見えない。しかたなく、少し朱色にIsosaki5染まった雲が点在する青空を背景に灯台の後ろ姿を撮影した(写真右中)。その後周囲をグルグルと回ったが、灯台の後方には民家が連なり、それ以上下がって、海を入れた写真を狙うことも出来なかった。それでも海を入れた写真が撮りたくて、灯台を真横から眺めつつ後方に下がり、なんとか少しだけ海を入れて写真を撮った(写真左下)。

磯埼灯台は、冒頭にも紹介した磯浜灯台跡から北に車で15分位の場所に立つ。名前こそ似ているが外観も周囲の雰囲気も両者は全く異なる。Isosaki2いずれの灯台も夜明け時に訪ねたのだが、ここ磯埼灯台は、どっしりと落ち着いた雰囲気と表現して良いだろう。磯浜灯台跡では強く感じた風もここでは穏やかに感じ、波の音もほとんど聞こえてこない灯台周りでは、時間が経つのも遅く感じた。縮小地図でこの周辺を見ると、なだらかな海岸線に見えるが、実際走ってみると微妙に入り組んでいる。それぞれの灯台の、それぞれの役割を肌で感じることができる。Isosaki4

とりあえず写真を撮り終えた自分は、もう一度灯台近くに腰を下ろして灯台を眺めた。先ほどまで薄暗いと感じていたのだが、灯台の白い塔が眩しく感じ始めた(写真右下)。昨日までの曇天から変わり、今日は天気に恵まれそうである。そう考えるだけで、先ほどまで海を背景に満足のいく写真が撮れずにくさっていた自分も、不思議と明るい気持ちになってくる。そしてそう感じながら灯台を眺めると、灯台の表情も違って見えてくる。まったく自分勝手に灯台を味わっていたことを少し反省しながら、千葉県方面に向けて出発することにした。

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2008年12月11日 (木)

大津岬灯台(茨城県)

Botantoudai 2008年の夏に巡った福島県から千葉県鴨川までの灯台の中で、ある意味一番印Ootsumisaki2 象が薄いのが、今回紹介する大津岬灯台(写真右上)である。もちろんその理由は、私個人の理由である。既に紹介した小良ケ浜灯台では豪雨、番所灯台では不似合いなカップル、日立灯台では竜巻・・・と言ったように、印象深くなる何かがあったのに対して、ここ大津岬灯台では何事もなく、平穏無事に巡ることができたからである。

Ootsumisaki5chizu  大津岬灯台は、いわき市から海岸線を南下し、北茨城に入った五浦(いづら)岬公園に隣接して立っている。雨上がりと言うこともあるだろうが人気の少ない静かな場所であった。道沿いに灯台に入る短い坂道があり、灯台が正面に見える(地図左上)。数台の駐車場があるが、その右手奥には民家がある(写真右中)。そこの飼い犬と思われる犬が愛想良く近寄ってきてくれた。

いつものように海を背景に撮影できないかと歩き回ったが、灯台より高い場所もなく、周りのOotsumisaki4_2 木に遮られていた。海は勿論見えるのであるが(写真左下)、灯台を写真に入れることは叶わなかった。海も小良ケ浜灯台で見たような海ではなく、少し穏やかになり、天候が回復しつつある事を感じさせた。とは言うものの、空にはまだ厚い雲がかかり、徐々に風が強くなってきていた。この後日立灯台を目指し移動している時に、竜巻という言葉もラジオから聞こえ、実際日立 灯台では突風に悩まされたのであるが、この時ここ大津岬にいる時には、周囲Ootsumisaki1の雰囲気や人気のなさからむしろ雨上がりの静寂を感じていた。

しばらく周囲から眺め、その後灯台に近づくと、灯台のプレートが気になった(写真右下)。昭和35年初灯なのだが、「大津岬灯台」と燈台ではなく、灯台と記してあった。 しかも代理石板に名前が刻まれており、珍しく感じた。この時だけ何気なく考えただけであるが、灯台のネームプレートとしては、金属製のプレートで文字がエンボス状に浮き出た形が一番多いような気がする。大理石板に刻まれた物はすぐには浮かばず、珍しく感じたのである。Ootsumisaki3

印象が薄いと書いたが、確かに静寂の中、更に曇った夕暮れ時で鮮明に刻まれる物や出来事がなく、私にはそう感じたのかも知れない。それだけに、ゆっくり灯台を見上げたときに物静かな落ち着いた灯台として私の中には記憶された気がする。

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2008年12月 3日 (水)

安房埼灯台(神奈川県)

Botantoudai 剱埼灯台のブログでも語ったが、昨年東京湾の東側南房総を秋晴れの中巡り、Abousaki4 同時期の今年、西側の三浦半島を巡ることができた。いずれも仕事での上京を利用して巡ったのであるが、残念ながら今年は最後に巡った安房埼で雲がかかってしまい全て秋晴れとは行かなかった。しかしそれだけに今回紹介する安房埼灯台(写真右上)は思い出深いと言える気もする。

もう一つ思い出深くなった理由として、時間に追われていて、安房埼につながる城ヶ島公園の中を全速力で走ったことも挙げられる。早朝に東京から京急線に飛び乗り、北久Abousaki6_2 里浜でレンタカーを借りて移動したのだが、安房埼灯台を後にするとき、初めて返却時間が迫っていることに気づいた。借りるときに、予約していた時間より30分も早かったのだが、「9時からにしておきますから」と親切にされた。それだけに、多少なりとも遅れるわけにはいかない。埼を登る階段を駆け上がり(下るときに撮影した階段:写真左上)カップルが寝転がったり、家族連れがボール遊びをしたりするAbousaki5間を、全速力で駆けて車に戻り、そのまま北久里浜を目指した。幸い返却時間に間に合い、追加料金を払うこともなかったのだが、それだけに思い出深い。ちなみに、レンタカーは憧れだった湘南ナンバー(写真右中)で、密かに嬉しかったことも付け加えておく。

地元の人にしてみると、安房埼灯台や城ヶ島公園は普通の憩いの場所かも知れないが、遠Abousakichizu1くから訪ねた者にすると、どことなく観光地っぽい。とは言え、城ヶ島灯台周辺の土産物屋が並んだりする観光地のイメージではない。むしろ安房埼周辺の岩場が織り成す景観が、そう感じさせているのかも知れない(地図左中参照)。

Abousaki3ちょうど一年前の南房総を巡った時、最後に訪ねたのは白浜港灯台だった。そのブログにも書いたが、地元三重県には珍しい平坦な岩場に立つ灯台として感動した。今回も最後に巡った安房埼灯台は、平坦な岩場に立つ灯台で、灯台の姿も、水平線も、波しぶきも全て見渡せることができ、あいにくの曇り空にもかかわらず、私には感動であった(写真右下)。

城ヶ島に渡ってからのんびりと昼食を取ったりしたため、時間がかかってAbousaki2しまい、この後汗をかきながら走り続けることになったのだが、この時はまだ時間を気にすることもなく、安房埼の岩場にのんびりと腰を下ろし、灯台を、そして全 てを一望できる景色を眺めながら過ごしていた(写真左下)。

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2008年10月30日 (木)

鴨川灯台(千葉県)

Botantoudai Kamogawa4島に立つ灯台。それだけでも魅力的な響きがあるが、残念ながら船を利用して島に渡り訪 れた灯台はまだ数少ない。今回紹介する鴨川灯台(写真右上)は、島に立つ灯台であるが、防波堤から橋が架けられ、歩いて訪ねることができる。地図上(地図左上)には橋は示されておらず、歩いて渡れることを知らなかった自分は訪ねるまで、防波堤から写真に納めることが出来たら幸いと割り切っていた。それだけに橋を見つけた時には、思わず感激してしまった。

鴨川と聞くと、中部地域に住む自分はシーワールドくらいしか思い浮かばない。幼い頃に千葉県に住む親戚宅を訪ね、連れて行ってもらった記憶がある。シャチのショーと広場でやっていた仮面ライダーショーが思い出深い。

Kamogawachizu6今にも降り出しそうな曇り空の中、勝浦方面から車を進めて午前9時前に鴨川に入った。週末と言うこともあり鴨川シーワールド前は、駐車場を求めた家族連れの車が数多く並んでいた。シーワールドを過 ぎて港を目指したが、民家が軒を連ねる細い道の途中に、『港左折』の標識が出ていた。細い道のため一度通り過ぎて、港を見下ろせる高台まで登って、方向を確認してから、戻ってその道に入った。細い道であったが、港周辺の道につながっており、そこからKamogawa1防波堤に沿って島の近くまで車を進めることが出来た。灯台巡りをしていると、Uターンすら出来ない細い道に入り込み、行き止まりで苦労すると言う経験が時々ある。そのため見通しの悪い細い道に入るときは、少し慎重になっている気がする。

Kamogawa3防波堤からつながる橋は鉄製で、仮設とも言える橋(写真右中)であるが、釣り人を含め利用する人は多いようだ。島に渡ると木々の間に作られた道があったが、ゴミが目立った。更に灯台の周囲は、よりゴミが目立った。当たり前のことであるが、『エチケットを守らない人は来るな!』と言いたくなる。

あいにくの曇り空の下、防波堤の反対側から何枚か写真を撮った。反対側は岩肌が続き、崖なのだが、斜面はなだらかで少し下まで降りることが出来る。見上げると灯台がそびえている(写真左中)。防波堤を囲むように四つの島があり、灯台が立つ島が荒島、そKamogawa5してその隣の弁天島がここからよく見えた。崖を移動して、出来るだけ灯台の北側から灯台を入れて弁天島の写真を撮った(写真右下)。弁天島には、その名の通り祠があるようで、以前にもブログで書いたが、灯台近くにある神社である。この弁天島にも防波堤から橋が架けられていた。

島から防波堤に戻り、もう少し防波堤の先まで進むと、灯台の立つ荒島の全景が見える、灯台は北側の端に近いところに立っている(写真左下)。渡ることが出来なければ、この姿しか見ることがかなわなかったはずである。冒頭にも書いたが、島Kamogawa2に立つ灯台には、陸続きの岬や埼に立つ灯台とは、またひと味違ったロマンがある。他の灯台巡りの先輩達のHPや記事を読ませていただいても、島に渡って味わった灯台の思いは格別のように書かれている。私ももう少し島に渡る努力をしないと・・・などと考えながら、夏の休暇で巡った灯台の最終目的地であった鴨川灯台を後にして、自宅への長い帰途についた。

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